わたしの目線に当たる頭部。

薄い色素の髪は異国の血が流れている彼女独特の色だ。

瞳に感情を乗せないようにして、わたしと合わせ鏡の行動を始める。

剣を振るい、身体を縦横に動かして互いに鍔競り合う。


互いの動きは軽い。

本来の武道や武術のようなものではない、様式美。

でも、内心わたしの身体は汗まみれに緊張している。緊張は身体だけじゃない。
心がぶつかり合うたびに境界を認識させる。
軽く動けているように見える。足が地に付いてもいない。

気づけないはずが無い。わたしたちが重力を無視していることを。


僅かに浮かび上がり、境界でもって世界からわたしたちは浮かび上がる。

「どうしたの。」

舞といいながら、鏡あわせの映し出された自分へと向けて、己こそが己であると競う武でもある。
人形は具象化された自分から生み出された外界の自分。
自分は自分という主観でしかない己である。

自分がどのようなものかを自覚する。
境界は世界を隔てる。
重力を遮断し、空気に存在する空気の摩擦係数すらも境界でもって遮断する。

ありえない運動速度。本来限界を作り出す環境が、要素が遮断される。
腕の筋肉が裂けるように痛む。

ぶつかり合う模擬刀は、寸で互いにいなしあう。

鎬を削るという日本刀での戦いを物語る表現がある。
わたしたちが振るう模擬刀は、神剣に似せたものだ。


もっとも、伝承によると自分の望むとおりの形、強度を具現化してくれる。
だから、刀にしてあるのは前回の使用者が創造した力の、条理のイメージが刀だった。らしい。

だから、イメージを変えればどうにでもなる。らしい。 らしいばっかりだ。

汗と泉の水の区別はなくぐっしょりと服をぬらしながら、わたしたちは向かい合う。
自分の髪の毛が黒か、色素の薄いものかもあいまいな、どちらがどちらか判らなくなる曖昧。

理性が働いているという自覚はあるのに、認識できない。

向かい合うわたしは、わたしに向かい合う。

わたしはわたしであると主張するが、相手もまたわたしであると主張する。
だが、これは言葉の上での交渉ではない動作によって、強いものこそがわたしであると主張できる喧嘩。

「ここまでにしましょうか。もう、行き過ぎるところに来ているようだ。」

声によって、私と私の喧嘩は強制的に終了する。
目の前の私はユキさんになって、身長が縮む。


そして、水だらけの私たちは洗い息を白く吐いた。

「出来はよさそうね。」
「ユキさんがやったほうがいいんじゃない。私よりよっぽど」
実力もあるし、境界を操る術に長けている。ロリの癖して結構手癖悪い。
あと、結構面食いの男好きなのだ。
「男好きだからかしら、あんまり神様に好かれないのよ。
だから、あんたみたいな耳年魔な清純派が大好物なの。」
神様の定番よねなどとのたまって、汗まみれの着物を脱ぎ始める。

私も着物を脱ぐ。

季節は冬だというのに、冷気が体を犯さない。私たちが境界を展開しているからだ。
境界、壁、外界と内界全てが外と内を隔てるものをさす。
境界使いと言うやつは、まったく持って任意に展開しているそれを、自覚的に運営できる一部の人間だ。

だから、空間の風を遮断して心の熱を物理世界に投影することによって半裸の私たちは冬空にある。

「祭は境界使いの祭りよ。一部の人間にしか知られていないのは、常人が受け付けるような内容ではないから。
だからこそ、顕現した彼を私たちは殺さなくてはならない。」
「殺すって、あんまり好きじゃない。」
泉に向かって、体を下ろす。私たちの熱は心にあり、冷気は矢張り伝達されない。

「いけにえがいいかな。」
にこりと、おにいちゃんなどと甘くささやくロリっ子の表情。同性からみても、かわいいが、本性を知る限りは
げーげーだ。
「本質はどっちもおんなじでしょう。」
泉は水深170センチの、私とユキさんでは脚が届かないものだ。泳いで、中心に向かう。
境界使いと言うのは、単一境界しか展開できない。
展開できる種類は少ない。

線と面と領域と言われている。
だけど、どれも同時に展開は出来ない。これが、境界使いの限界といえる。
でも、祭に参加する限り、この制約は一部改訂される。この場において、自らの自我が維持できる限り展開限定が
解除されるのだ。
「解除されれば歩けるのに。」
ぶーたれだ。ないもの欲しさだ。
「自我拡大の領域はだめだよ。体と境界の齟齬は調整する人間がいないんだから出来ない。」
「わかっています。」

泳いで渡り石のある泉の中央に到達する。
泉には泉というのがはばかれる水深と共に不可解な渡り石が中央に続いている。
ぐらぐらと浮いている様にも見える岩の上に上って、私とユキさんはその中央に拘束された人型を見る。


「これで、八割が顕現しているね。最初は鍵が出てきた時点でどれくらい掛かるかと思ったけど。」
前回の祭は記録によると60年前。最初に展開された鍵から顕現したのに掛かった時間は20年前というふざけた時間を掛けて
祭は行われている。
「もうふくらはぎまで出ていて、出来としては9割、祭は近いわ。」
「結構神様ってイケ面ですね。」
私はそう思った。黒髪に閉じられたまぶた、鼻梁を見る限り一般人よりちょっと整って見える。
いや、私の美的感覚も怪しいもんだけど。
「イケ面はもっといいもんよ。神様は結構普通じゃない。」
鍵が心臓から飛び出ている。

神様は心臓を神様にあげてしまったのだ。貫かれた胸にはからっぽがある。でも、それは空っぽじゃないんだってさ。

からっぽの心臓は双子であるこの世界の神様に捧げられている。物理と心理と時間は全てが縒り合されて形成されている。そのために
生まれた神様は、心臓なんて必要などない。でも、必要な理由は他にある。


「まあ、いいか。健気でいいですね。神様は。」
「ともかく、祭は近いわ。だからこそ、あなたが完成しようとしているのでしょうね。」
裸身になった私たちは泉を泳いで戻る。
泉を泳ぐことは禊に近い。

隕石の落下する前から紡がれ忘れかけられている伝統や、神への畏敬が生み出した神秘への憧憬。
私は進む泉の水底に私を見る。でも、影は同じでも異なる私は沈黙して私から映し出されるだけだ。

水音小さく浅瀬に立ち上がる。肌を滑り降りる水。髪や体毛から滴る雫、私と同じ雫は不協和音。
「私は、あなたを知らない。」
脱ぎ捨てた着物を二人して回収する。どうせ禊いでも私たちはお風呂に入るんだ。


「さっさとあったまりましょ。泉が綺麗とは言え、やっぱり屋外の泉なんだから。」
ユキさんが気だるげに、そしていそいそと歩みを進める。せわしない脚運びは、私よりも小さいから。
泉の付近にあるのは湯治場だ。地下からくみ上げられる温泉はボーリングによって掘削されたものだが、
商業施設ではない。もともとここの周辺は山だったそうだ。活動を停止した活火山、その中央に隕石が落下した。

隕石被害に人的損害はなかった。ただ、地形の変質と森が出現したことが大きな変化だった。
山はなくなった。泉が出来ていた。大地はカルデラ状となって復興するために環状デザイン都市計画が持ち上がったんだ。

湯治場の存在を知っている人間の数はあまりに少ない。
境界使いと一部の都市市民、行政の区画管理者しか知らないだろう。

神社ということになって祭られた泉の存在は良く知られている。
でも、湯治場があるのを知っている人間は少ないだろう。
社務所になっている家屋が、湯治場も兼ねていて一般に開放されている。

心の熱を投影したままで、着物を簡単に着流す。
ユキさんと一緒になって社務所に向かうが、ありえないはずの訪問者がいた。
「珍しい。お客なんて。」
「いい人でも来たんじゃないですか。」
主にユキさんの。

「そんなわけないじゃない。例え男好きでも一応は神に仕える身なの。
町の家になら呼ぶけど、こっちには人を呼ばないよ。」

訪問者は一人、子供がすっぽり入るようなトランクを片手に持っている。
背格好は160センチある私よりも目線一つ高い。黒髪短髪はぼさぼさ、髭は薄く中性的だ。

「どちらさま。」


ユキさんがたずねる。明かりの点った社務所の光を背にして、彼は「どうもはじめまして」と言った。
「コクウチョウジと言います。さにわの黒子を務めるために参りました。」

丁寧に言う言葉は、緊張が含まれている。

普段から使う口調ではないのだろう。発せられた言葉の内容は、私たち二人にしっかりと理解できる。

「失礼しました。さにわの黒子さんでしたか。」

言葉を正してユキさんは着流しを見た目だけだが整える。

「私はこの社務所を預かります、水瀬ユキといいます。あなたがいらっしゃったのならば。」
厳かに、確かめるための言葉のやりかただ。
「祭が近いんですね。」

「はい、明日。祭は行われます。」
確約されたことだと、彼は言った。

私達二人の姿を見て、目のやり場がなさそうにしているのを見ると、結構な純情な人じゃないかな。
「失礼ですが、泉に行きたいのですがよろしいですか。」
「寒そうな私達の姿を見て言うあなたの根性に敬意を表して案内しましょう。」
どこか皮肉気な表情でユキさんは返して、私達は元来た道を戻ることになった。

「さにわが来るのは本当に唐突ですね。」
冷気を忘れながら、私達は暗い森林を分け入る。獣道よりはマシだが、道中には草が生い茂る。
「私の主観では依頼が来てから動いています。唐突というよりはお互いに知らされていないんでしょうね。」
「初耳ですね。」
「祭が四つ行われているのを知っていますか。」

慎重に、探るように言葉を搾り出すチョウジと名乗る彼。声色から察するに恐怖が入り混じる。
どこか、得体の知れないものに巻き込まれてしまった恐怖だろうか。事実そうなのかもしれない。

「知っています。落ちた隕石は一つでも、それらは分裂して五つ。都市復興計画として環状線を5つ形成して、
沿線都市として復興を開始した。」
「それだというのに、祭は四都市でしか行われない。五つ目の都市こそが神に至る都市だからですね。」
「初耳です。」
ユキさん共々、心底驚く。
四つの祭の情報はそれぞれ共有されていない。ただ、連携するように連続して行われている。
だから、祭りの内容は決して伝わらない。
「祭りの行う最終目的は全部同じです。神を殺す。それでも、言えないのですが手段はそれぞれに違うんですよ。」
「いえない、んですか。」
「情報の共有がないのは伝統と思ってたんだけどなぁ。」

道が開ける。泉が水底まで届かない月の光を映し出す。
「いえないんですよ。事態の移り変わりを受け入れていくしか、僕たちには用意されていない。」
彼は片手に持っていたトランクケースを下ろす。
革張りのトランクケースは、置かれたと同時に姿を変える。

「そんな、物理化を継続していたというの。」
ユキさんの驚く声が遠い。どこか水底から浮かび上がった私の知らない私の姿が浮かび上がる。

呆けてしまった。

「私の役目はさにわの黒子。彼女を、運ぶことだけなんですよ。」

トランクは形を消して、立方体の箱は境界を失う。

「あなたは、私じゃない。」

私の姿を模した、精密な人形が胎児のように抱いていた自分の体を直立させる。
光が発せられるような、神々しい姿はない。ただ、それが当然であるように立ち上がる。

間接人形独特の歪な挙動。作り物の白磁の肌。薄目を開く瞼に覗く瞳は漆黒。

私と同じ体躯の、私と違う私。

見つめる先は泉の中心部。私は人形同様に立ち上がった人影を見つける。

神とされる彼は立ち上がり、現れていなかったくるぶしから下を地面に接地させて立ち上がる。

私が立つべき位置に、私ではない私が立ち上がる苛立ち。不快感。明日になったらこれを、私は解消しなくてはならないんだ。

そう悟った。そうしなければいけないと思った。





明日なんていうのはすぐさまに訪れて、私は昨日よりも格式ばった服を着て相対した。
私の向こうに人形がいて、人形もまた私だった。
私が私を見つめる。

我慢ならない状態。意思は唯一つ、行動も唯一つ。手に持った神剣を解き放つ。


敵意感知、迎撃、選択、第二条理、迎撃。
初撃を受ける。
境界拡大。拳の拡大した自己境界を使った打撃攻撃。

それに対して、私は境界強化で迎撃する。

場所を把握する。
泉と森林地帯。見覚えのない場所にわたしは直立して逢瀬を楽しんでいた。

全力を以って力を示した彼は招来された。
器は既に四肢を一つ穿たれて、楔は動き続ける器を串刺しにして拘束した。
そして、彼は後継者としてここに招来されたんだ。

泉に私は立ち上がる。境界が足場を形成して、私を浮遊させる。

相対するのは私だ。

不条理、条理、絡み合う時系列ってやつだ。時間は物理に結びつき、概念は条理に結びつく。
「あなたは誰。」
声を発する。
「あなたこそ、誰。」

相手が答える。まったく同じ問いだ。答えなんてわかりきっているから、拒絶されている。
「私は、あなただ。」
「いいえ、あなたは私じゃないわ。」
私がそう思うなら、あちらはそう思わない。

私の能力が自動的に選択される。選択されるのは第二条理、セカンドシャフトと誰かは言っていた。
能力選択の余地が与えられない私には、自動的にしか選択肢は示されない。

「そう、でも、それはあなたから見てでしょ。」
「そうね。」
嘲ることなく、実直、私の言葉に彼女もうなずくしかない。真実も世界も全て一つの見方だけしか示すことはない。
「でも。」
瞬間、彼女を見失う。
一歩歩みでただけ。いや、それで十分だ。自己境界の拡大は、目に見える物理の体の大きさは変えないが、
存在の大きさを変えている。一歩でたというのが、常人の一歩、おおよそ60センチメートルと考えるだけではいけない。

「私はあなたが嫌いだ。」
一歩で私を通り過ぎて振り返った朝霧雫が、振り返り私に剣を突きつける。
「そう、でも、私はあなたが嫌いではないよ。」

 

「あなたが嫌いかどうかなど、関係ないでしょ。」
「そのとおりだ。」
私は肯定して私と同じく剣を持つ。

私達は剣を持っていた。模造刀として渡されたものではない、棒のようなのっぺらとしたものだ。
私はそれを剣と認識している限りは、剣であり、槍であればそうなる。

お互いにかがみ合わせに私達は向かい合って、お互いの武器の切っ先を向け合う。

刃の冷気が首筋に当てられる。

同じようにしている彼女をみて、私達の姿を思い出してみる。
水にぬれた着物姿の私と、濡れていない着物を着る私だ。球体間接は失われて、ぎこちなさなど消えている。
私達は神である青年を中心に据えて演舞を踊る人形。

切っ先が白い首筋に触れる。白い作り物の首に当てる。
「関係なく思うのは私達の勝手で、私たちの意志で、私たちの違いなんだ。」
どっちがどっちの私が言ったのかはわからなかった。

私が言ったはずだ。だが、私が言ったのだとしっかりと認識できない。
私達は境界を押し付け合い、拮抗する衝撃に吹き飛ばされる。


暗闇に落ちた夜空の月明かりに肢体が線を綺麗に描く。
正面から綺麗にはじかれて、後ろに突き飛ばされたのを踏ん張るように水しぶきを上げて停止を掛ける。
振り返った先に私は反発するように跳躍して空を翔る。

「あなたは、私じゃないが。」
上段に受け止める。
「私だ。」
踏ん張る。足元の感覚でもって、面を構築できるのはあとわずかだ。私は再び自己領域を拡大させる。
「そうかもしれないね。」
相手は面を自己領域を縮小させながら私に圧縮を掛けて切りかかっている。
「私は、あなたが嫌いだ。でも、受け入れるこも、出来ると思うんだよ。」

面が消失する。
足場を失った体は重力に引かれて。私は縮小を掛けていた自己領域を踏み閉めて水中に沈む。
水飛沫を回りに見る。

月光に照らされた水中に、光はほの暗くしか浮かばない。だけれど、私は拡大した領域内のいる全てを認識して浮上する。
拡大された領域の、水底に触れた境界面に面を展開して、背中を水面に向けた仰向け状態で私は浮上する。

水中から浮上する。私の抱え込んだものは、球体間接人形といっぽんの棒だった。
「大丈夫なの。」
「まあね。」
息は荒い。水中に落ちたのと超絶な境界酷使が、自分の体を意識させていないと解けてしまいそうに成っている。
吹き荒れる嵐が、自分の中に封じ込められている。

「あんた、祭だからって盛大にやりすぎ。それに、全然自分を理解しているね。
まったく、その人形はあなただったよ。」

ユキさんがぬれねずみの私と人形を怖いものを見るように笑う。
笑い方としてはあざ笑う様にも見えるけど、彼女は私達の狂気を感じているらしい。
「あんた、ちゃんと話さないと理解できないこともあるんだから。」
「それが常識だったらいいけど、人は分かり合おうとしていないと思うよ。」

泉の深さは浅瀬に行けば当然浅くなる。着物を着た私と抱えた人形はぬれたままで、渡り石に上がった。
人形は人形に返った。私に似た面影の人形は嫌になるらい私に似ていて、私とは違う私だった。

「境界を拡大させるのはだめだよ。自分の大きさを忘れることは早々ないけれど、それを使い続ければそうなる。
お祭りじゃなければ出来ないようなものなんだから。」
「判っているよ。」
口やかましさはまるで母親だ。もっとも、私の母親はぶっきらぼうでふざけたことが好きな人間で、
私は好きにさせてもらっているのだけれど。
「でも、第一関門が終わったよ。」
人形を渡り石に置く。
大きさが人間一人が横たわっても大丈夫な、浅瀬の一つだ。
「自分自身との戦い。ほんとに問答無用なんだね。聞いた限りのそのとおり。話し合って戦うような連中は選ばれないってさ。」
見た限りでは、私はそう見えなかったらしい。でも、私は世渡りが下手で、おしゃべりが好きなのに、人を気遣えないぶっきらぼうなんだ。

「自分を大きくすれば、自分の視点も世界も変わる。視点と自分の拡大は別の何かを変えているんだから気をつけるように。」
「うん。そうしたいけど、そうも行かないかもね。」


渡り石に乗っからず、岸辺でたたずみ青年がいた。彼は私を遠い存在のように見て、浮かない顔つきをしている。
「これ、いらないの。」
「いえ、必要です。」
掛けた声に、大声ではないけれどはっきりとこたえる。
「中身は消えてしまったようですが、必要ですからね。」
渡り石を渡って、チョウジと名乗った彼はやってきた。
石に置かれた人形は、私だった面影をそっくりなくしている。形はそのままだが、面影と言うべき何かがなくなっている。
私のなかに渦巻くそれが面影というべきものなんだろう。
「そっくり取り込んだんですね。それでも、そのままなのは、彼女はあなただったのでしょう。」
 

どこか引っかかりを覚える言葉は暗い影を宿している。
それでも私は知っていることがある。
「選んだ道には責任を取らないと、私は思っています。」

人形を抱きかかえたチョウジさんを見る。

「わかります。私もそう思うんです。だからこそ、その道が険しいのを知るものとして、私は心配なんだ。」

遠く感じる彼の言葉に返すものはなかった。

向かう先は一つしか存在しない。
「はじめましてだね。」
彼はただ一人立ち尽くす。何もかもを失ったように見える。
失ったものは遥か、彼は人格も記憶も、意思も形も、外界を意識する認識や共感を得るための全てを失った。

失うべくしてそうなった。器である彼はそうなることに異論などもって居なかった。

「目に見えるあなたは、あなたじゃないのかもしれない。」

境界に触れた彼の感触は存在するという一言ですんだ。
彼は、ここに居る。

そして、彼の境界はない。


「出来るわね。神様は殺さないといけないのよ。」
背後で叱咤の声が聞こえる。殺さなくてはならないという言葉。

「好きな人でも、どうでもいい人でもない。あなたがどのような人かも私は知らない。
でもわかることがあるよ。」

「あなたの存在は許されないみたいだ」

境界を解して得られることは多い。外見や身体的特徴も得られるが、境界を解する真の知覚は心象の形にも結ばれている。
彼は、存在しているだけなんだ。

今にも消えそうになっているというのに、確固としてではない、不確かな綱渡りの上に立っている。

「だから、私が許されないあなたを終わらせよう。」

私は境界を拡大させる。私が私を拡大して私ではない外界を私へと変える。

境界は彼を包み込んだ。だけれど、私は私ではなくなってしまったと、私は認識できない。

今まで存在した私はいなくなった。

境界操作は、境界を操るもの同士でも感知するのは難しい。物理的に展開した何かを示すように、空気の移動と波紋のように広がる波状の光しかない。


「やったわね。お祭り達成。」

容姿の押さない女性が私に笑いかけてきた。
「うん、達成したよ。」
お祭りが何だったのか、私は知らない。私はなんだったのかわからないお祭りを終えられた喜びなんて得られなかった。

なくした四肢のうちの三つの断面が疼く。傷はない。でも、あるんだ。


境界使いたちの饗宴がはじまった。お祭りが始まった。
私は神を殺した後の一日に与えられる終末の宴。制限を一切失った、自由な一日。制約のない一日。


世界は崩壊を始めている。

祭りは続いている。