機械で体を補っている人間をサイボーグと言う。
義手や義足、義眼などがそれにあたり。人口心臓があるということもある。
小腸や大腸、などの人間の器官を代価物に変えることは出来ずに居て、脳は電気信号の配列や、
システムなどによって一部復元や再現が可能であるのが、23世紀現在における一般常識だ。

だが、ただ一人の例外が火星ユートピアコロニーに一人居る。
円形に広がった都市の外周には円状移動モノレールが配置され、北部区画の幹線車庫からはマスドライバーの電磁レールが延び、
北西部にある滑走路の建設された慰撫部隊駐屯基地がマスドライバーに寄り添いながら配置されている。

都市として復興を続けるユーロピアコロニーの南部、保育所とマシンチャイルド保護施設を兼ねた「樹」。
テンカワアキトの亡骸から生まれ出でたもう一人のアキトはそこにいた。
「平和だな。以前の研究所では絶対に見られない光景だ。」
「比較対称がひどすぎる。あそこから此処で比較するとは、随分ともうろくしているのか。」
施設職員ではない二人の男が、水のみ場の脇に並んで立つ。
一人は黒のシャツを着てジーンズを穿いたサングラスの男。髪の毛はつんつんととんがっている。
もう一人は白衣を控えめのアロハシャツに替え、白いハーフパンツ姿の白髪の男性だ。
あごと鼻の下に髭を蓄えて、最近はジージと子供達から言われている。

肉体をサイボーグのにしているテンカワアキトは、アキト・ヘミングと異なり、法外な研究施設を特別チームと
襲撃するという活動を行っていた。
無論、硝煙の匂いを嗅ぎ、防護服の装備を日ごろから身に着ける生活を行っているわけではない。
「いや、もうろくはしていないが。しそうなくらいの生活だ。以前はこんな状況に置かれたことがないのでね。」
マシンチャイルドの研究室に在籍していた老人は、アラカワと言った。
元ネルガルの研究員で、現在は慰撫部隊の医療チームに所属。

イネス・フレサンジュと郷田ミツンドの同僚。そして、樹の園長を行っている。
「家族が地球圏には居る。今も妻は存命。子供も居るが、こうして直に触れたり話し合うのは少なかった。」
「生きていることは、知らせたらしいな。」
「ああ。ワタシも生きていることぐらい知っていて欲しい。彼女も火星に着たいと、言ってくれている。
子供は心配だが、何時までも一緒に居られないんだ。こっちで夫婦そろって骨を埋めたい。」

アラカワの偽らざる本音を聞いて、アキトは既に決めたであろう老人をうらやましくも思い、鼻から息を吐いて笑った。
「君はどうする。何時までも慰撫部隊で暗殺や奪取を行っていても、面白くないだろう。」
「ああ、そうだな。」
「君も子供の相手をしてみたらどうだ。火星の後継者を相手にするより、よほど有益だよ。精神的に。」
見下ろすアラカワの視線は暖かい。未来を掴もうとする子供達、マシンチャイルドや普通などという隔てはない。
「埋める骨があるのか解らないが、一応土仕事の協力はしている。あんたが心配することない。」

「そうかね。それならば、私から言うこともないか。」
あごひげを弄り、アラカワは子供達を眺めるのを再開する。

火星の土壌はナノマシンが主体となって改善を行っていた。
地球の土に居るようなバクテリアが火星には存在しなかったためだ。

だが、此処に大きな失敗が生まれたことも記さなくてはならない。
人間の手で土を作り出すことが出来た成功例がナノマシンであったが、
それでは土としての機能を最低限にしか発揮できなかったのだ。
地球の土同様にバクテリアの繁殖する、ひとつの生態系を構成しなくてはならない。
現在の慰撫部隊が行っている、アキトが参加しているのはその根本問題を解決するための活動はこうだ。
地球の土を一部持込、火星の一部農園に撒き散らして、生ごみなどの廃棄物と混合してバクテリアの繁殖具合を見る。

もちろん、土壌がどのように変化するのも見物である。
「土壌改良はこれからの火星が発展するためのひとつの鍵だ。子供を相手にするよりは、簡単だが有益には違いないだろう。」
そらで聞いているだろうアラカワに言って、アキトは見渡していた子供たちにぎこちない笑顔が戻っていることに気づく。

マシンチャイルドの回収を行うのは、、テンカワアアキトと特殊部隊だ。
エステバリスの実地運用実験なども平行して行ったり、単独で攻め入るという訓練という名の実戦経験をつんでいた。
マシンチャイルドの保護数はラピスとユキたちを含めて、41名。

最初にテンカワアキトが感知した50人の内で、生き残った人数だ。
死んだ全員に関しても、強力な暗示によって自決したというのが3件。
狂った研究者が渡そうとせずに、生命維持装置を停止させるということもあった。

「生き残って、火星に着ただけでも随分変わってくれるもんだ。」
環境の変化と、周囲の人間が変化しただけでも十分に彼らは代わってくれた。
猜疑心と疑いの視線を取り除き、根気強く子供に立ち向かって話し合う。保育士の人間的能力の高さを伺えるものだ。

現在ラピスラズリ3人が調整中のオモイカネ3機、その彼らの端末が一応この施設にも敷かれているが、
子供達がそれに触れる事は一日に一回ぐらいだ。
コンピュータと付き合ってばかりいた彼らは、体の運動リハビリの後に素肌と
体を触れ合わせる遊びに夢中になっている。これは、ラピスやユキにも見られたことなので、アキトはなるほどと思っている。

「あげる。」
小さな声が聞こえた。
思わず下を向いて、何事かと思いつつも、自分を見上げる瞳と相対する。
「ミゾレか。一緒に来ていたとはいえ、驚いたぞ。」
金髪に金色の瞳の少女がそこに居た。
若草色のワンピースを着て、どこで作り方を習ったのか知らないが、見知らぬ紫の花環をアキトに突き出す。
「あげる。」

ミゾレは一番にテンカワキトと行動している。同じアキトでも違うアキト。
アキト・ヘミングとテンカワアキトの二人は、思考を共にしているし、考えも同じだ。だけれども、行動を共にする人間は異なる。
ラピスとミゾレはアキト・ヘミングと行動することもあるが、テンカワアキトにも等しく一緒に居た。
「指輪。」
この施設に来ていないのは、ラピスラズリとユキたちの6人以外だ。
そして、ミゾレはヘミング夫妻の住む大きな部屋とは違うブロックの一室で過ごしているアキトについてきていたのだ。
「良く出来るもんだ。」
指にはめてみて大きさを確認する。
良く出来たものとはいえ、ワッカの大きさは器用とは言いがたい。
一応の礼儀として薬指にはめておく。

「これでいいか。」
しゃがんで目線を合わせる。コクコクと頷いて、
ミゾレは満足そうに笑むとしゃがんだアキトの隣、段差のある施設のテラスに座った。

アキトも座ったミゾレの隣に座る。
「平和ってこういうの。」
「ああ、そうらしい。」



ユートピアコロニーの再建に際して、一番連合宇宙軍が注意を払ったのは都市として運用が行えるようにすることだった。
以前のユートピアコロニーは、マスドライバー基点や居住地、農作物の生産プラントが役割として与えられていた。

殖民惑星において、実験が行えるのが目的だったからだ。
だが、再建するに当たって箱庭という表現をさらに昇華しつつも、
居住するに十分な半径50キロメートルの及ぶ防衛ラインを構築し、中央に都市を建設した。

地下に作られた大戦以前より存在するシェルターは必要箇所の補修を施し、残りの不要箇所は崩落させて上に都市を作り上げた。
火星に適応できる植物もネルガルと大戦では目立つことのなかったアスカ・インダストリーから実験レポートの提出
を条件に植えられ、コロニーにはいたるところに植物がある。
軍施設として運用する、実験都市がユーロピアコロニーの名目だ。
半径30キロメートルの幹線鉄道を中央に繋げられるように建設された。
いちばんに目が付くのは都市北部から南に伸びるマスドライバーだ。
幹線鉄道からの物資や質量弾の投擲、小型戦闘機やシャトルの打ち上げが目的とされている。

上空から見下ろしながら、連合政府ユーラシア統括本部長であるアフメット・セラップは
自身が遠くに来たことを今さらながら自覚する。
「遠くに来たものだ。そして、ボソンジャンプの偉大さを思い知る、か。」
「公転周期の理にかなった航行であっても、月と火星の中間ターミナルから三週間。以前ならば考えられないような速さですな。」
彼は自分の護衛に随行する公安部署の一部長であるアラマキの言葉に苦笑する。

「本当に、ボソンジャンプという技術が未だに解明されるのを待っているのに、
人間は自身同士の争いを懸念して進めようとしない。しようとしても、そう考える者は強硬派が多すぎる。」

「民衆は理解していなくても進めることを願い、
理解しているものは自らの利権と世界の革新を望んでいる。難しいものですな。」
二人の会話に、火星の後継者と民衆の思惑は上らぬことはないだろう。
政治家と、連合政府組織内の監視役。二人は火星ユートピアコロニーの状況査察軍団の一人だった。

「この時期に穏健派と強硬派、そして反連合政府すべての勢力と交流のあるあなたが此処に訪れたことは、
連合政府にしても、渦中の慰撫部隊。そして反連合政府勢力からみておおきな意味を持ちましょう。」
「知っていましたか。いや、知らなければいけない立場でしたな。」
「いえ、」

アラマキは公安において特別な立場にある。

彼の創設した公安独立9課、通称「攻殻機動隊」はその独立性と熟練された技術を持つものを揃えた、
攻撃的なまでの調査や事件解決方法を取る稀有な存在だ。
当然ながら、彼らを率いるアラマキも大きな力を持っている。財政界や経済の中核を握るもので彼を知らずに居るものはおるまい。

「私は、世界に対して調和が必要であることが大切だと思っているのです。」
眼下の火星は、赤くない大地を曝している。
シャトルの向かっている先、ユートピアコロニーの全貌すらも見ることが出来、アフメットは笑うのだ。
「この世界は煩雑に過ぎる。
ボソンジャンプで政治・秩序、倫理、道徳を変化挿せようとするものが居れば、
以前より連綿と繋がっている倫理秩序を保とうとする勢力が居る。

両者は本来ならば歩み寄って話し合わなければ成らない。
それがが第一の始まりだと言うのに、人間はあまりにも武力に訴えすぎる。」

「武力にて語らなければ成らないことも多い。
あなたの言うことに強調することは私にもあるが、端的に成りすぎではないでしょうか。」
アラマキの提言に、アフメットは肯定の意を示す。
「そのとおり。人間は誰しもが個別として存在し、介在する全てのものを受け入れざる状態にある。
受け入れて尚、受け入れないという選択肢を自らでなくしている。そのような世界で、火星慰撫部隊は鮮烈だ。

彼らは貪欲に吸収し、連合宇宙軍とFAF、企業を取り込んでユートピアコロニーの再建を行っている。
私にとって、それはまぶしいくらいの希望なのですよ。」

火星の後継者がコンタクトをはかり、内部からの連合政府瓦解を提示してきた。
与えられた情報はボソンジャンプと、A級ジャンパーと呼ばれる火星に生まれ育った人々を実験体として行われた研究の成果。
当然、成果は死屍累々の研究より生まれていた。言論にて正しきを述べる彼らは、武力に訴え出ていた。

連合政府は不穏勢力との折衝を行ったアフメットに当然ながら、不安の念を抱かずには入られない。
謎の勢力と反連合政府の結託は、連合政府においても知られている事実だった。
審問が彼を対象として行われ、公安は事の次第を調査する。

緊迫するアフメットの周辺情勢下において、火星慰撫部隊設立と火星ユートピアコロニー再建の計画立案は、
彼の好奇心と連合政府の関心を当然のように誘った。

アフメットの視点からして、火星慰撫部隊の設立は当然の帰結と思えた。

ボソンジャンプという未知の技術を研究するのは、火星極冠遺跡のアマノイワトだけで行われるのは、
非常に危険であると察していたからだ。

連合政府の見解からすれば、ボソンジャンプの研究を一限して行い、完全に想定範囲外の出来事が起こらないように制御する。
それが、統合軍とクリムゾングループ傘下のアマノイワトに期待することだった。
だが、それでは不足の事態が起きたときにどうするのか。

研究を行うのが多角的で行うにしても、一箇所にして、何時までも火星を復興しないと言うのは非常に問題のあることだ。
「反連合政府一派の主力軍事力は、木連の優人部隊の一部強硬派だ。
彼らの存在を知る前から、木星の一派が加担をしているのは目に見えずとも、想像にはあがった。」

「議員のおっしゃるところ、私にも思い至ります。彼らの理想を掲げ遂行する力は、地球圏の市民には推し量れぬものがある。
ゆえに、武力のみではなく知力が必要となった。だからこそのクリムゾングループとヒサゴプラン。」

「全ては連合政府の思惑と連動させることが出来た。
統合軍の設立は木連男性の受け入れと就職先の斡旋に当たる事業だったが、そこがいけなかったのかも知れませんね。」

軍組織を維持してゆくためには、国力などが大きな問題となってゆく。
連合政府という巨大組織が形成されて尚、未だに旧国家間の軋轢は存在する。
連合政府はそういった反連合政府国家に対する牽制武力であるとともに、
外宇宙へよりの何時来るのかもしれない異星人相手に対する武力というのが当面の命題だった。

第一次火星会戦において、連合宇宙軍は始めて反連合政府以外の勢力と戦うことになり、

連合政府に参加していない国家も一時的に連合政府に参加していた。
宗教に対する観念が緩和されるほどに世界は成熟したが、いまだに捨てきれない者もいる。
やがて、火星会戦終結後に反連合政府は名前を残しつつも、連合政府とは反目しあっている。

「軍で半分が成り立っていた社会に生きる木星人を、もっと農耕などの労働力として
火星に移住させることが出来るのなら良かった。

だが、火星という受け皿が受け入れることが出来るのに、連合政府はそれをしない。まったく、慰撫部隊が出来てよかったですよ。」
「我々の目的は、慰撫部隊駐屯のコロニー、「ユートピア」の査察。議員の有意義な見識となることを、心から願います。」
「どうも。」
機体は着陸する。
滑走路に降り立つ感覚はしっかりと体感でき、外部を映すウインドウにエステバリスや見慣れぬ型の機体。
航空機などが整列する。

初めての連合政府議員査察、そのセレモニーという名目だ。
「さて、どうなるかな。」
(なあ、少佐。)
(そうね、人材のばらつきはやっぱりあるけれど、都市再生においてチームワークを見ていると、
彼らの活動視察は極普通に終わるでしょうね。)
「先遣として現状査察を終えて、内部を移動するのはわかるが、慰撫部隊にはイリーガル部隊が存在する。気をつけろ。」
(了解。各員慰撫部隊駐屯基地に探りを入れるわ)
脳内だけでの会話だ。
ウインドウ通信が発達するとともに二極化したのが、通信技術だった。
ウインドウのような視覚認識をメインとしたものが、現在のウインドウだ。

空中に画面を表示させるというのは、十分に困難だったと言うのに、技術が確立されてからは、
センサー類のタッチ操作性を向上した為にメイン技術となった。

アラマキと、彼の率いる9課と呼ばれる部隊はそのウインドウとは異なる技術を使用している。
体の一部を機械化している人材しか居ない部隊だ。
なおかつ、反連合政府との抗争に尽力した良くも悪くも、充実した人材である。
「では、参りましょう。」
機体外部から来たのだろう。黒を基調とした高官服の男が迎えに来ていた。

ジェイムズブッカー少佐、FAFより出向要請を受けた人物だ。
連合宇宙軍の制服をベースにしていながら、白のケープが一部省略されている。
「うむ。では、議員。」
「わかりました。いきましょう。」



「査察は一週間。都市復興状況、慰撫部隊の現状。火星の状況の把握、か。
まあ一ヶ月ゆっくりそれをやろうってんだから、豪気というか、のんびりというか。」
「そうでもない。一ヶ月に人脈の形成を目的としている側面もある。
政治的配慮の必要がない軍部隊、その独善的とも思える行動と彼らの敵の存在を把握する。
それが今回のメインともいえるだろうな。」

着陸して降り立ってくるアフメットを眼下に見る。空港展望からの景色はすこぶる良い。
コロニー再建を最優先したというが、地下施設に力を入れたために、地上部分に高層建造物は存在しない。そこに、二人はいた。
紫色の髪を方まで伸ばした、ロングコートの女性と、白に近い銀髪をオールバックにして後ろでひとつに束ねている男だ。

二人とも平均的な身長よりも少々高い。男は少々というよりも高いと表現したほうが良いだろう。
何より特徴的なのは、男の義眼だった。女性と同じく黒のコートを着ているが、ニット帽をかぶってなお、
センサー群の内蔵された特殊機械は無機質な様をしている。

「モトコ、此処で一ヶ月だとさ。楽しめるかねえ。」
「少佐とモトコ、此処ではどちらがいいかとは言わない。バトー、今回は施設内部と部隊の実働状況を把握する。」
「やつらの実働状況は、不鮮明な金の動きから類推できるからな。」
二人はアラマキの9課と呼ばれる部隊のメンバーだった。

アフメットとアラマキに先んじて二週間前から火星に着任している。
「此処の連中は良くやっている。」
脳内でのネットワーク上でウインドウが表示される。
火星の枯れたような大地を改良しようとしている、土壌改善実験。
航空機とエステバリスの共同運用、その実働実験や運用。
肉体に纏う強化ボディスーツと、外部に身に着ける強化鎧。

「だが、良くやっているとやりすぎているが混じってるな。」
データを見れば、まるでこれから戦争を起こそうとするかのように、都市自体の強化や訓練が行われている。
資材の搬入や、食料の備蓄量も多い。土壌改良においては、食料を懸念とする火星で楽しめるようにする布石だろう。
「そして、マシンチャイルドの保護か。」

イリーガル部隊の存在は、火星に来て明確に過ぎるほど示されていた。
一端として存在を出しているのが、子供の養育施設だ。
普通の子供と共に、マシンチャイルドが生活をしている。

それも、健康的に育成しつつ、マシンチャイルドと普通の子供を同じく育成しながら、情報端末での学習を行っているのだ。
だが、普通の子供の平均年齢は1歳のため、母親などの寄り合い場所となっていた。

「やつらの目的は平和だろう。手段は問わない、自身の自衛のための行動。
敵としている反政府勢力は、マシンチャイルドの資料収集や、実際に非合法研究所を襲撃している。
襲撃で奪取されたのはデータと被検体だ。」

「それで、その奪取された存在が火星に居て保護されている、か。」
空を仰ぐ。火星の宇宙空港は離発着が少ない。火星で航空機を使って移動する場所は
ターミナルコロニーアマノイワトぐらいであり、火星を訪れる人間が圧倒的に少ないからだ。
「なに考えてるんだか、なぁ」
「さあな。それを調べるのが私たちの仕事だ。」

モトコが踵を返して、バトーもそれに続く。
彼らの仕事は既に開始されているのだから。


火星慰撫部隊の駐屯基地というが、此処は駐屯すべき都市など存在しない。都市そのものが基地となっているのだ。
地下構造体の上に成り立った、地上の都市。ネオユートピアコロニー。

旧ユートピアコロニーの跡地に建設された、火星慰撫部隊の家。
施設や人物に関して怪しい点を発見すると言うのは、コンピューターネットワーク上で
物理的断線が行われている箇所を探すだけで十分といえた。

「まったく、歯ごたえがないと言えばいいのか。それともそれを感謝すべきか。」
ネットワーク上で、モトコとバトー、アラマキにアフメット、それに9課の面々だった。
「此処は部隊しか存在しない。書類上に提示された施設は厳然として存在する。」
イシカワがグラフィック上で書類を提示して、ウインドウが展開される。

「軍の航空施設。マスドライバー。緊急時の非難シェルターに環境改善実験施設。
エステバリス開発局に、造船所。連中は一時派遣に使われたコスモスの改修名目にドッグの建造を行っているが、
ネルガルが一枚噛んでいる。」

片目を人工衛星とのリンクが行える義眼のサイトウが口を出す。
「プロスペクター、か。ナデシコBの後版を建造するつもりか。」
「いや、疑問視することはない。断定だよ。」
サイトウのつぶやきにアフメットが答えた。

「マシンチャイルドの能力を生かした、という名目上だが。
保護目的で舟を作るのはホシノルリを対象として行われている。ナデシコBが、ね。」

「いかに優秀な人材でも、彼らはDNAの処理が施されているイリーガルな存在だ。
ホシノルリ嬢に、少佐の地位が与えられるのは、連合宇宙軍、
ひいては連合政府が火星の後継者に交戦する構えはあるという牽制にもなる。」

アマラキが杖で床をつつき、ルリの画像を表示する。
瑠璃色の髪の毛。銀髪にも見えるそれは人間性を感じさせない。
容姿や体躯なども人形めいていることをなおさらに助長させる。
軍服に身を包み、肉体訓練中の彼女は、同世代の少女よりも幼く見え、機械的ながら必死に訓練を受けている。

「よくもまあ、小さいのにやるねえ。」
「おい旦那、データを見なかったわけじゃないだろう。彼女は敵勢力の一端にかち合っている。」
バトーの視線は、独特の義眼によって解らないが、茶色で長髪のタートルネックにジャッケットという姿のトグサは窘める。
「そのとおりだ。タカスギ大尉が敵を撃退したが、やはり捕獲には至っていない。相手は思う以上に周到だ。」

モトコの言葉に、それぞれが頷く。
「だが、此処で履き違えては成らない。我らの相手は敵ではなく慰撫部隊だ。
慰撫部隊の真意を探る。施設の存在は確証できた。
だが、マシンチャイルドの確保と、戦艦の建造。二つの大きな力を、彼らがどうするのか。それを探る。」

アラマキの声に、全員が同意の意を示す。
「真意など、難しいことじゃないですよ。」

それぞれの意思が固まった時に発せられた、一言は一同に衝撃をもたらした。
「なんだって、此処はトリプルAランクの防壁が展開されているのに。」
イシカワの驚嘆は全員のものだった。
9課の人間は体の一部を機械化し、脳を電子信号体として捕らえて開発された電脳としている。
IFSよりも人間の脳そのままに再現された電子構築体だ。

彼らの肉体はそれぞれ駐屯基地の迎賓館に置かれている。
ネットワーク上での干渉は、一重に生死にかかわるために、なおさらに厳重だ。
「もともとが、こちらで提供したネットワークなのですから、仕方ないでしょう。我々のほうには、」
彼が自分の手を頭上に差し出す。
一挙手一頭(護字?)によって、データの処理が行われているのがわかる。

「Sランクの電脳ダイバーか。」
目の前の男はアラマキと9課、アフメッドが知った顔だった。
アキト・ヘミング連合宇宙軍大尉。

現在の慰撫部隊を率いるために少佐に昇格が決定している慰撫部隊のトップにして、今回の調査に関する黒幕だった。
アラマキははうろたえた。
アキト・ヘミング少佐の演算能力の桁違いさ、彼が行っているデータ処理の速度は
オペレータドールと呼ばれる専門のアンドロイドを100機引き従えても叶わないものだ。

そして、彼が手を伸ばす頭上から差し出される手もまた、アラマキの驚きを助長させる。
「ラピスラズリ。影に生まれたマシンチャイルド、それがお前の力か。」
モトコの声が遠くに聞こえる。驚嘆に値する事態で降り立ったのは、桃色の髪の毛に金色の瞳の少女。
先にみたホシノルリよりも人間味は薄い印象だ。
「いや、力は確かにこの子の持ち物だが、」

ふわりと降り立つグラフィックの少女に、彼は頭を撫でる。
アキトの胸の位置の頭におかれた手を喜んでいる少女の表情が、二人の信頼を表している。
「望んで得たものじゃない。私どもは確かに力を得た。私たちの真意はその力の行使によって得られる未来。そのものですよ。」
「未来、か。あなた達の行動は面白いです。」
アフメッドが一人語りを始める。一歩二人の慰撫部隊へ歩み寄り、両手を広げて歓迎するような仕草だ。
「火星の後継者達は語った。連合政府に徳はないと、ボソンジャンプの起こす変革は、
これまでの一部の利権者に多大な利益をもたらすものから、分配された群への平等さを説いた。」

「それは、彼らの理想にしか過ぎません。人間は利益をもたらすものを得たとしても、共用するのが出来ない。
いくつかの勢力が繋がった、連合政府と彼ら、両方変わらないでしょう。」
初めてこのことを聞くのは9課の面々だった。
アキトとアフメットの話す断片的でも十分に敵勢力の目的がわかるからだ。
尚かつ、ヘミング少佐の言葉は9課からしても真実だと判断できるジャッジだ。

「彼らの行いは、倫理観から喚起されている。」
「そうですね。」
ラピスが一人アフメットの声にこたえた。
ラピスラズリである3人の少女は、火星のネットワークに居城を構える妖精として火星を既に掌中としている。
オモイカネトリニティの存在が、彼女達をその場所に至らしめたのだ。

「倫理観念から思い立ったというのに、彼らの行動は非常に野蛮。
私に協力を持ちかけた時点で、既に君達のカルテは閲覧させてもらった。」

苦々しい表情が浮かぶのは、真にアキトとラピスの心を抉る過去が、火星慰撫部隊全体の暗い部分がストレイトに現れるからだ。
「私は、彼らの存在は不快だとは思うが、不必要とは思わない。」
アフメットは、挑むようなラピスの視線をものともしない。
いかに一心に向けられた憎しみといえど、小娘の視線は彼の浴びてきた重油のように濁ったものとは違ったからだ。
だが、良心は呵責を訴える。

「狩猟民族、農耕民族の違いは環境と文化だ。彼らの存在が敵となるならば、
敵と成る我々の熟慮の時間が与えられたことにもなるのだ。

敵がいるからこそ進歩できる存在が、人間には存在する。
過去の戦争がそれを物語り、私はこのたびの戦いで、君達の活躍に期待しているのだ。」
スーツ姿のアフメットの表情は希望にすら満ちている。

9課の面々は彼の言葉を聞き、思案顔だ。
「少佐、どうする。」
「私たちは行動しようがないわ。知りえなかった事実と、議員の心中は私たちが手出しをするには躊躇われる。」
「うむ、そのとおりだな。」
脳内の通信で9課メンバー内がアラマキとモトコの声を聞いていた。
目の前の電脳空間で行われる二人と一人の会話は、これから連語政府を左右することに言及している。
「おやじ、このままで俺たちの正義は保たれるが、これは・・・」
「いうな、バトー。私たちは知らぬことが多い。いまは、知るべきときなのだ。」

「確かに進歩はすばらしい。だが、進化のための思考回路に操られた私たちが、
彼らを消し去るべきだ思うのをあなたはどう思う。
連合政府を見てきた中立派のあなたからみて、我々の行動は愚行ですか。」
アキトは親しみすら覚える表情で問う。
ラピスはアキトの腕にしがみついて、彼の鼓動をひしと聞いていた。

ラピスは相でもしなければ、アフメットと相対して自分の意思がどういうものなのか、
人類全体と比較して自身が消えてしまいそうに思ったからだ。

ラピスはそうしてつかまったアキトの腕が、こわばっていることに気づかずには居られない。
アキトもまた、尊大な声色でアフメットと相対しているのだが、此処一番の虚勢を張っているのだ。
火星の後継者こそがボソンジャンプをこの世界にどのような影響を与えるか、一番承知している人間集団なのだ。
彼らの起こした行動そのものの、行動原理は人間的には正しい。

だが、ジャンパーからしてみた彼らの行動は禁忌たるもの。
アキトはアフメットに問うのだ。ジャンパーであるだけで、人間に排除されなくてはいけないほど、人間は愚かな蛮行を許諾するのか。
敵たる火星の後継者に火星人が牙をむくことに、何を感じるのか。

此処が、火星慰撫部隊の正念場だった。
「自身が受けた痛みを、そのままに相手に返すというのは、フェア精神の根底にあるもの。としましょうか。
ですが、それは実に人間的に見えることだが。理性による慰めですよ。」
アフメットは、この場を制圧したラピスとアキトに尚、屈するような態度はない。

思考を共にする、良き理解者として彼はこの場に立っていた。
「フェアに見えるそれは、持ちかけたフェア自身が自分の優位を疑わない精神なのです。
ならば、私はあなた達のような獣の考えを人として認めましょう。」
アラマキたちが背後でこの状況の記録を取っている懸念はある。

「連合政府ユーラシア代表として、私は此度の査察で確信を得ました。」
アキトに言い、ラピスに言い、9課に宣言をする。
「火星の後継者と名乗る、反連合政府の武装勢力の徹底的なあぶり出し。
連合政府、反連合政府、統合軍。その三つの勢力から彼らを弾き、

ジャンパーを受け入れられる世界を作りたい。そのためならば、武力の行使を認めると。」
アラマキの表情は硬いが、事態の次第を飲み込むことは出来ていた。

彼の行う正義は、民主政治の維持と市民の平和を継続してゆくことなのだから。
守り行く市民は、連合政府や反連合政府といった隔たりはない。生きとし生ける者全てなのだ。
アフメットの宣言は、火星の後継者に対しての敵対行動に他ならない。

それは、連合政府の存続をアフメットが望んでいる他ならない。
ならば、9課のアラマキやモトコはアフメットと火星慰撫部隊の動向をいさめる必要はない。
「だだ、手段を問いながらの行動をしていただけますかな。」
口を開いたアラマキにアフメットは苦笑を返し、アキトとラピスは彼の渋い表情を見て笑うのだった。

何を言う。敵のみを滅ぼすために手段は選んでなど居られないのだと。

ラピスはこの状況を作り出して、この事態に至るまで。
胸中に渦巻くものをイロイロを思考することを止めることは出来なかった。
電脳空間を制圧すること事態も難しい。

通常のネットワークとは異なり、電脳の情報を保護するプロテクトは、人間の自我領域に他ならない。
ラピスは自らの存在を感知されないように、9課とアフメットに気取られないように相対したのだ。

アフメットの協力宣言が出たことは、得ることが出来なかった地球圏での敵に対する対抗手段だ。
地球圏内で火星慰撫部隊率いるアキトが行えることは、ネルガルによる火星の後継者へ探りを入れることと、
連合宇宙群極東地区を直轄とするミスマルコウイチロウによるルリの保護だ。
コウイチロウの力は、ルリを保護するのに発揮された。
ネルガルと連合宇宙軍が面で出来ることは濃い有意義あるものだが、すくない。

ナデシコBの建造と火星での試験戦艦建造が現在進めている最重要事項だ。

わたしにはやはり、力がない。
手をぎゅっと握って開いてみれば、グラフィックの腕が反応してくれる。
アキトと私の現実での肉体は停止している状況で、電脳空間にて私たちは存在する。
ネットワークや電脳空間というのは、私の力及ぶ領域だが、現実世界での力は少ないのだ。
非力である少女であることは、アキトに守ってもらったり一緒に居られるイイワケにもなる。それは嬉しい。
抱きしめてみたり、手を繋いだり。ユキと一緒に軍の任務にも随伴できる。
でも、やはり私はアキトに同思われているのかが気になってくるときがある。

リンクによる意思疎通は出来る。
吸血を行わなくなったアキト。私の血を必要としなくなった彼。飢餓状態に陥る心配がなくなった、一個人。
普通の人同士。ただひとつ、意思が伝え合えるだけの私たち。

アキトと共に居る。ハイハイが出来て、つかまり立ちし始めたユウキといる。
気に入らないけど、信頼できるサクヤが居て、ユキといる。

私は、アキトと一緒に居る。それで、これからもいたい・・・・



血が流れる感覚は、自身におきた事象を観測する感覚とは言い切れない。
知覚する事象で、尤も鈍感にもなるのが自身への変化だ。

転倒し、地面を見失い、頭から落ちて怪我をする。
それだけならば、十分に文章化できるだろう。だが、自身におきた出来事を正確に理解するには、
自分を客観的に観測できる手段か、痛みに関する知識と知覚能力を必要とするのは必定だ。

「力、ねえ。」
「ええ、アキト。あなたなら力が欲しいという感じわかるでしょ。」
「それはまた、端的なのでは?」
火星慰撫部隊開発局。 ユートピアの北西部に拠点を置く慰撫部隊の、一番西に施設を置くFAFのブッカー少佐とフカイ大尉、
郷田博士がデスクワークをこなす区画の隣に、その開発局はある。
「それは物理的なものか、精神的なものか。そこからが問題じゃないか。」
「いえ、一概に言えば両者が伴ってなくてはいけないのでは。」

ここでは、慰撫部隊のマッドサイエンティストたちが集う、エステバリスやFRXの改良や、
慰撫部隊に居る両性器具者や体の一部を移植または、機械化されたものたちの診察が行われる。
イネスフレサンジュ、ヤマサキ、郷田の3人のうち誰かが、此処に居座っている。
もっとも、一番居るのは郷田博士であろう。

だが、今日に限って普段居ることのない人間が多かった。
「装着時の痛みなどは。」
「皆無だ。動きやすい。」
ヤマサキが中世の鎧を帯びたテンカワアキトにたずねる。
アキト・ヘミングとテンカワアキトに分岐した、ふたりのアキトは別々に行動をしている。
腕を動かし、両足を足踏みさせる。
拳を放つようにして見せて、腰をかがめて蓄えた後に跳躍。
全てが重い筈の装備を身に着けていながらにして、俊敏。

跳躍などは何かの出力を乗算して、8メートルにもなるFRX格納工の天井にまで到達する。
「すごい。」
ここに居てもおかしくない二人に混じって、一人来ていたラピスは鎧のすさまじさを思い知る。
全体に落ち着いた金属色が慰撫部隊施設の基調色となっている。

赤のラインが引かれた隔壁は凡そ10×10の100平方センチメートルだ。
そこを、アキトは駆け巡って戻ってくる。
アーマー、ナノマシンの結束によって構成された防具は飢餓状態と、吸血衝動。

感覚不全に陥っていたテンカワアキトの第二の皮膚だった。
生体電力を動力として、電力そのものを拳や脚に乗せて直接叩き込むライダ。
研究所を脱出する際に役立ったそれは、第二の段階になっていた。

「これは、でも・・・なに?」
ラピスは此処に来て黒のワンピースを着ている。
慰撫部隊がいるからには、通常制服の着用が義務付けられ、大半の人員はそれを守る。

だが、3人の例外が慰撫部隊には存在した。
テンカワアキトと、アイ・ラズリ。そして、ラピス・ラズリの3人だ。
サキやサクヤ、アキト・ヘミングは連合宇宙軍の軍服着用を遵守しているが、
ラピスとアイの二人はなんとなくで、公式的な催し時や出掛け以外は私服を着用している。

残る一人は、イリーガルメンバーなので、存在そのものが登録されず、
重要任務時に選出されたメンバーのみが、研究員である3人に協力している青年。彼のことを知るのだ。

「アーマーモジュールが、テンカワ君の主な肉弾戦の武装になったのは、
研究所脱出に立ち会っていたあなたもわかるでしょう。その進化バージョンですよ。」

「今のアキトにも必要なの。」
ラピスはイリーガル行動を取る、テンカワアキトの活動を知っている。
ボディーアーマは確かに必要だが、以前のアキトとは違う。テンカワアキトとして行動している、
アキト・ヘミングの分身体は、定期的検診によって記憶の受け渡しを行っている。

「定期的に検診しているからこそ、それぞれの肉体発達の差異を消すのに役に立つのですよ。
どちらかが出来ていても、共有することは出来ない。
体の柔軟性は自力で解消してもらうしかないですが、筋力や動きの伝達に役に立つんです。」

ボディアーマーの能力拡張は、ラピスにとって不思議にも思えたのだ。
エステバリスで活動すれば十分なのに。でも、屋内施設じゃ無理か。

「マシンチャイルドの保護施設職員が、本来行わない戦闘行動を取るときに使う自衛モジュールとしても使えますよ。
もっとも、彼らはイリーガルメンバーなので、戦闘行動が出来ないことはないですが。」
ヤマサキは笑いながら言う。
ラピスは稼動データを送ってくる、甲冑にも似た第二のアーマーを見る。

洗練された銀のカラーリングに、以前のボディアーマのような、ヘルメットデザインではなく。
どことなく鴉じみたバイザーが付いている。
新素材で出来たアーマーは体をくまなく覆い。関節部分にアーマーの第一層が覗く。

「名前はあるの。あと、私はこれを使える。」
「名前は鎧。そのままですよ。そして、あなたにも使えないことはない。
いや、着用者の身体を考慮してバージョンを作り上げれば、子供から大人まで装着可能な、肉弾戦用アーマーです。」
悠然と天井の上を打ち込みワイヤーのゆれによって落下してきたアキトが、地上に降り立つ。

隔壁の穴は特に気にしていない。
「そして、エステバリス搭乗時の防護アーマーなのさ。」
「エステバリスの、なの。」
ラピスは首をかしげて、ひさしぶりのテンカワアキトと手を繋ぐ。
もちろん、アーマー越しなのでなんともいえないが、この手の多きさは常日頃行動を共にするアキト・ヘミングと同じだ。
「エステバリスの鎧さえも考案されていた。今受け取って調整中の、そいつに乗る搭乗者を守るアーマー構想から発展したんだよ。」

「へえ。」
それはラピスにも初耳だった。
ネルガルの陣営で火星に出っ張っているのはプロスペクターとイネスだけだ。
もう一人月にて行われた基地建設の査察で、施設建造の手本とされた施設である。

ネルガルドックの責任者であるエリナ・キンジョウ・ウォンもラピスは知っているが、一応顔のみであるところが多い。
彼ら3人で一番に話をしているのはイネスだろう。
過去のテンカワアキトの罪、アキト・ヘミングの参謀が一人。そして、二つの肉体を持つアキトの研究者である。
そして、ラピスに昔の彼を教えてくれながら、色々な相談相手をしてくれる人だ。

彼女はラピスに現状を教えてくれるが、そのような機動兵器の話は聞いたことがなかった。

「エステバリス強化装甲。パターンはいくつか存在するが、総じて名称とされるのがサレナ。百合の花の名前だ。」
鎧を纏ったアキトは、装備品を自身の体に取り付けてゆく。
大口径の散弾のカートリッジを腰のポーチにマウントし、背中の装甲にジョイントした出力パックに付いた銃身を固定。
腰のポーチには拳銃二丁とカートリッジが納められ、もしものときのレーザー銃なんてものも持っている。
「サレナ、ねえ。聞いたことない。」

ラピスはごてごてではないが、全身を武装化したアキトの様子を眺めながら、聞いたこともない兵器を頭に思い浮かべる。
大体のイメージはFRXに装備された合体機構だ。
「FRXのものと同じものなの。」

「最初にあったのがサレナの構想で、アキトくんが思いついていたのが郷田博士のFRXなんですよ。
企業として単独活動を可能としたバッタのエネルギーユニットを組み込んだエステバリスと、そ
の出力を発揮するための外殻がサレナ。

広範囲に置ける運用とFRXとエステバリス個別の運用によって幅の広いモジュール構想。
二つとも似ているようですが、ちょっと違うんですね。」
ヤマサキは困ったようにラピスにサレナとFRXに関してのウインドウを展示する。
どちらも広範囲での運用が目的に見えるが、実際には違う。
サレナがエステバリス全体の強化だとすれば、FRXは運用用途の新しい方向性だ。

「もともと、フレームごとに使い分けしてたエステをさらに強力にしようなんて、方向性がないのね。」
ラピスはため息ひとつ。
鎧と装備品の具合を確かめた後に、アキトは首を一回転させてヤマサキに向かった。
「じゃあ、言ってくる。プログラムは。」
「細工は上々、しっかりしたものです。決戦は一年後のナデシコB臨検査察の時です。」
ラピスは二人の言葉にピンと来るものがあった。
ナデシコBは、つい4ヶ月前に就航を果たした連合宇宙軍の最新試験艦だ。

ネルガルの秘蔵であるワンマンオペレーションという暴挙プランをただ一人、表舞台で発揮できる人間の乗っている。
ホシノルリ。ただ一人とされているマシンチャイルドの完成された人間。
彼女が艦長を務めて、現在軍人としての実習を行っている舟。

もうひとつは臨検査察だ。
ヒサゴプランのクリムゾングループではない、他社を含めた連合政府の第三者機関。
ボソンジャンプに精通する科学者達の集団と連合宇宙軍の複合組織が行うことと成った、ヒサゴプランの「正常運用」の検査。

それには、軍人や一般職員。チューリップや施設などの適正運用がなされているかという確認を行うのが義務図けられた。
つい一週間前に帰っていったアフメットと火星慰撫部隊の検討によって発案された構想。それが、臨検査察だ。
「現在協議に掛かっている時点なのに、決定は決まりか。」

ラピスは二人の大人の胸の位置から話しを聞く。
体躯はアキトのみぞおちぐらいまでしかなかった。だが、適正な食事と運動。
アキトとの行動がラピスラズリである3人を成長させ、ラピスもまた、成長したのだ。

だからこそ解る、大人たちの、アキトの考えが。多くの賛同者を得られた思想には、
反対思想のものもなびくのだ。誰か、自身の賛同者が声を荒げぬ限り。



「大人は、考えなくちゃなんだ。」
ラピスはごちて、脳裏でユキトとサクヤの元へといきたくなった。
考えなくてはならない状況からは、無為であるけれど有意義で楽しい時間を過ごしたいもの。
力を求める、力とはなにかを考えていたが、一休みする必要を彼女は感じた。
「じゃあ、行ってくる。」
青のジャンプの光芒。ラピスはテンカワキトに手を振って見送りをしたあとで、サクヤのもとへと行くことにした。

私の立場は民間協力者ということになっている。ラピスラズリプロジェクトで生まれた
ラズリという姓をもつ、アイとサキと私の三人がそうだ。
火星慰撫部隊で妻帯者と子供を授かっている人間は以外に多い。

過酷な研究施設での生活で行われた、交配の自由は愛や好意のないそれが多かった。

慰めあうようなまぐわいや、互いの未来に自身の記憶を残して欲しいという環状が強かったからだ。
生存した後に、彼らは宗教や通常の倫理観を吹き飛ばしてしまった。

そういったことよりも、生存することの喜びを感じ、以前の倫理観を受け入れるのに拒否感を覚えたからだ。
そんなわけで、自身の家族が生存することや幸福であることが一番であると感じている。

自己中心の考え方だが、ひとつ違うのは帰属すべき火星慰撫部隊への忠誠とも言うべき仲間意識だ。
拳闘によってストレスを発散していたもの同士も、仲間となって敵となった火星の後継者を名乗る敵組織を潰そうとしている。
一丸となった意思、アキトはその中心に居た。

でも、その中心は火星慰撫部隊の総意ではないと私は感じている。
アキトは独自の考え方で行動を起こしている。

私は何にも考えないために居住区の端にある、環状路線近くの養護施設に脚を向けた。
研究区画である北西部から南部へと環状線に乗り込んで、駅から降りて路面電車に変えて施設に向かった。
(いや、環状路線とか施設、年月の経過をしっかり把握していないので、後で確認します)

「こんにちは〜」
ちびちびした子供がいっぱい。私より小さいのしか居ないんだ。
護衛のためのSPが保育師になって、お母さん達が普通に此処に集合する。
育児に関して人をたくさんさけないから一箇所に集まってもらって警護しやすくしているんだって。

「ああ、いらっしゃい。あっ、そこしっかり抱えてあげて。」
首が怪しい抱っこの仕方を注意してサクラは私を出迎えてくれた。
サクラはSPの中で一番の鈍いメンバーらしい。
一応連合宇宙軍の陸戦隊に所属する情報収集兵、でも保育師が一番あっているって言う。
「ユキト、居る。」
「居ますよ。サクヤさんも珍しく。」
「え、そう、なの。」

珍しい。いつもだったら事務仕事とかしてるのに。
「珍しくとはひどいね。私だっていつも慰撫部隊に身を捧げるわけにはいけないもの。」
サクヤの辛口ににやにやと笑ってみせる。
アキトよりもサクヤの方がユキトを抱っこするのが怪しいというのに。私やサキも抱っこが上手いってサクラが言ってた。
「今日は女性士官のお休み日なの?」
「ええ、今日が、ね。」
聞いて納得する。
慰撫部隊の女性に与えられる不規則ながらも週休二日とは異なる、子供もちの人を対象にした休日のことだ。

月に一回の女性士官子供休暇。
なるほどと思った。通りで何時もとは違って施設が騒がしいわけだ。
「で、やっとはいはいできるユキトを抱っこしてるわけだ。」

「子供は成長するというのを、体感させられるよ。アイに任せすぎたかもしれないけどね。」
サクヤの男なんだか女なんだかわからない口調は、実験施設から出てから現れ始めた。

火星慰撫部隊に所属するに当たって、彼女の立場は情報官の一人だ。
アキトと直接かかわらずに、部隊の情報を統制する局に身を置いている。
アキトよりも忙しいという時間が多いために、サクヤは私やアイにユキトを任せることが多かった。

一番子供っぽく、人間味のあるサキにお鉢が回らないのは、一番不器用なところが体から出てくるからだ。
電子戦ではそんなことはないのに、現実世界を一番見下していた感があったから、弊害かもしれない。

「ほーいほーい。」
はいはいしているユキトの指を差し出して追いかけさせてみる。
私だと気づくとなおさらに、顔を擦り付けて、上体を起こして手で握ろうとするけど、バランスを崩してべちゃっと倒れる。
「うーん、やっぱり立てないか。」
残念。
サクヤが嫉妬というか恨みがましい視線で後ろから見ているのに気づいているけど、一応保留。
「サクヤがもっと環境になれるようにって、部隊に忠実にしすぎたんだから。」
「ええ、これだから私は不器用なんだ。」
困った声色に笑みが浮かぶ。ユキトは実はアキトと顔の形がそっくりに成りそうなんだけど、
実ははいはいをなかなか出来ない不器用っぷりを見せてくれたのだ。

だから、ちょっと行動は母親似かもしれないと思う。
でも、アキトは器用だったってイネスはいうから、相打ちの相殺かも・・・

「アキトはどうしているの。」
「アキトはユーラシア地区指令のアフメット氏と会談中。イネスドクターも一緒よ。」
「そう。」
アキト・ヘミングと活動しているアキトと、テンカワ・アキトとして行動している二人は、
それぞれに違うことをしている。一ヶ月に一回だけ二人は会合し、私かアイかサキが一緒に居て記憶の調整を行っている。
何しろアキトの吸血衝動の終りに見えた進化というのに、私たちの存在は必要不可欠なのだそうだ。

アキトはそのことを深く話してくれない。
けれど、吸血された事のある唯一のラピスラズリである私には、アキトの心が伝わることがある。
私たちが鍵となって、アキトは生き残れたのだと。
「もうすぐ、闘いなんだね。」
「凡そ半年。いや、一年かもしれないっていうの。まったく、早く終わっちゃえば、都市行政にかかわってのんびりしたいわ。」
サクヤの言葉は尤もだ。

電子の世界にいたって、私たちには肉の体がある。
動かせる自分ひとつを、満足に私たちは活用していないのが現状だ。

火星という大地を開墾した人々と同じく、私たちの故郷となった火星を、もっとすみやすくしたいと私は思うことがある。
思ってみて、アキトからの考えが流れ込んできて、私も受け入れたというのを自覚する。
私は、いつのまにか火星人になっていたのだ。