下拵え


世の中はままならないことばかりだ。
交通事故で亡くなった娘が居れば、車と衝突したというのに、ボンネットの上に乗り上げて助かった老人が居る。

「訓練をするのはいいわ。でも、予定日も立てずに今日行うなんて面白くない。」
サクヤに言われてヤマサキは困ったような視線をアキトに向けて助けを求める。

もちろん、助ける謂れも無く助勢などしない。
「以前から試験機への搭乗及び操縦テストは予定されてました。でも、」

言葉を逃がすヤマサキは自分のコミュニケを操作してウインドウを展開させて見せた。
それにサクヤがこの事態に怒りをあらわにしている理由すら記載されている。

「あなたの出産予定日が今日なのはわかります。
それでも、進めなくてはならないことがある。あなたの旦那さまの計画が、ね。」
アキトも此処まで言われて助勢しないわけにはいかなかった。
後のヤマサキと連携を行う際に支障が出るかもしれない危惧が生まれるからだ。

「前から試験機のテストは申請していた。ラピスとユキを連れてIFS仕様の
航空機運用カリキュラムは受諾しているのは、サクヤも知ってのことだ。
ちょうど予定がかち合ったんだ。間に合うことならば、君の出産に立ち会う。」
アキトは精一杯の説明をして、
彼女が理解して尚自分に来て欲しいという意思を表しているのを悟って、彼女の体を正面から抱きしめた。

もっとも、アキトの妻となったサクヤもそのことは理解している。
ただ、やはりというべきか彼に来て欲しいという気持ちが燻ぶり、このような行動を起こしたのだった。

「解っている。解ってて、来て欲しかった。でも、」
アキトに一度手を回して抱擁した後に開放する。
「仕方ないわ。」
「すまないな。」
二人のその姿を見ながら、ヤマサキは苦笑してラピスは小さくつぶやくのだった。
「な〜にやってんだか。」
醒めた言葉だ。だけれども彼女の視線に、羨望の色が混じっていることには誰も気づかない。

IFSというシステムを人間が手に入れたとき、あまりにも直接な命令を機械に下すことが
出来るシステムに人間は戸惑いと適応することを要求された。
ネルガルが遺跡で発見した技術、木連が遺跡を利用していた技術は少ないながら枝分かれしている。
エステバリス、相転位エンジン、ナノマシンの流用システム、水素などの原子や分子の再構成を行えるプラント。

そしてボソンジャンプとオモイカネを初めとするハイパーコンピュータだ。
とりわけIFSのシステムというのは人間に開発可能であったものだった。
人間は自身を動かすために電気を伝達信号として体を動かしている。

それらの信号などの解析を行ってどういった思考が成されて、体を動かしているのかを解析しなくては成らない。

「装備は良いか。」
「うん。」
「はい。」

ラピスとユキが答える。3人の姿は軍の空港施設にある、パイロット控え室にあった。
姿格好は体に張り付くようなスウェットを着ており、体のラインがありありと伺える。
ひとつの特異を挙げるなら、ハンドルの付いた機械がバックルとなっている特殊繊維ベルトを身に着けているのみだった。
「行こう。」
控え室のベンチから立ち上がり、先頭を切ってバックルのハンドルを反対側へ180度回転させる。
すると、機械内部に内蔵されていたナノマシンが防刃、防弾繊維を形成してアーマーの形を作り出す。

首まですっぽり包むアーマーは最後にヘルメット用コネクタをつくり、頭部を曝した状態を作り出す。
ユキとラピスも続いてアーマーを装備していた。

髪の長い二人は頭髪を纏めているので、お団子が後頭部に出来ていた。
置かれていたヘルメットを手にとって、3人は滑走路へと向かうことにした。

3人同時には乗ることは出来ない、2つシートがある複座コックピットのキャノピが開け放たれている。
翼は本来の戦闘機のような一枚板ではなく、まるで翼のように関節があり、スラスターが装備されている。
そして、離着陸用の脚に目を見やると稼動可能なマニュピレーターにタイヤが付いていた。
「不恰好だな。」
「翼は格好いいよ。」
アキトの感想にラピスは唯一の美点を挙げた。

もちろんながら試験機なので、格好には配慮が足りていない。
だが、コレがアキトの求めるもののひとつへと繋がるのだった。



タラップを備えた移動車両に搭乗する。運転手は整備士らしく、サングラスに宇宙軍の帽子をかぶっている。
「今日のテストパイロットは誰ですか。」
襟元の階級バッチは二等兵だった。彼の視線はサングラス越しにでも伝わってくる。
この異色の3人がパイロットなのだ。少女二人に青年が一人。

容姿ともども、誰だって聞きたくなるような質問内容だった。
「今日は俺とこの子がパイロットだ。」
ヘルメットを脇に抱えたままでアキトが答えた、アキトとユキの二人がパイロットだと認識すると、
青のカラーコンタクトレンズを瞳にしているラピスに彼の視線が向く。
「この子は?」
「オペレーターだ。ナデシコBのオペレーターについては、軍内部でも伝わっているだろう。」
「ああ、労働基準やら倫理観念。一般的常識の見地からみての批判も報道されたな。」

ナデシコBの就航が決まったのち、主要クルーの苗字と階級、年齢が報道されたのは異例だった。
ホシノ少佐とマキビ少尉の二人の年齢が隠さず公表され、内外に波紋があったことは記憶に新しい。
新しいどころか、現在も論争が社会では行われている。

「それの一環だよ。少年兵に関しての規制はあるが、民間人の協力者ならば問題は無いだろう。」
「なるほど、オペレーターって訳か。航空オペレーターの需要は少ないけどな。」
23世紀における航空オペレーターの存在は、機械が肩代わりしているのが普通である。

高度発達を遂げたエレクトロニクスの知性は、人間よりも優秀であり、
何らかの問題が発生しない限り人間のオペレーターを必要としない。

だが、軍内部でそれらだけに頼らないようにしているのは、一部には知られている事実だ。
「じゃあ、今日は訓練って訳だ。」
「ああ、機体の機動力に関しては聞き及んでいる。エステバリスの戦術モジュールとしての企画もな。」
「へえ。物好きなことだ。」

タラップカーから降りて、タラップを上りながらヘルメットを装着する。最初はアキトとユキの二人だった。
残されたラピスを下に見ながら、見上げてくるラピスにユキは手を振り、アキトは頷いて見せた。
「二等兵、俺だから良いが、もう少し口は直したほうが良いな。」
「了解であります。少尉殿。」
軽口を叩いてくる二等兵の声を背にしながら、アキトとユキはせりあがっていたキャノピに搭乗する。

特殊樹脂で作られた暗色に視界が占められ、呼吸マスクを装備してヘルメットの気密を一律にする。
「コックピット定位置へ。」
キャノピ自体が前へと移動して、機体先端のくぼみにはまり込む。
外見からしてみれば、鳥の下くちばしに上くちばしが乗っかったようなものだ。
猛禽類をモチーフとした戦闘機、FRXー99というのがこの機体の名称だ。

もとより機動力のあるものに人型を加えるのは構想は、第一次火星会戦以前より存在した。
デルフィニュウムはその成功例だ。
もっとも、その構想はエステバリスの登場によって廃れていった。
だが、無くなったわけではなかった。エステバリスという汎用機体を得たことで、
更なるモジュール追加がある研究者によって提唱された。

郷田博士の提唱する、エステバリスの弱点。常時エネルギーを受信してバッテリーに備えておいても、
局地的においてはそれは脆弱を露呈せざる終えない。

それを高速機動が可能である、エステバリスそのものを広範囲に運用する、構想は 独自エンジンとバッテリー機能を搭載した機体。その構想からFRXが作られた。
もっとも、実際の機体が作られたのが珍しいくらいの珍品的な企画だった。

興味を持ったものは少数。
それでもアキトの試乗申請がなかなか受諾されたのは、開発が行われていたのがイルマだったからだ。
単に輸送の問題だけで、機体移送における手続きの難航だった。
「さて、こいつをどうやって料理するかだな。」
「操作はどうしましょう。」

マスクの中で唾液によって口の渇きを癒したアキトにユキが尋ねた。
「俺がやる。戦闘や高速機動に関しては実体験がある者が感覚を掴むのが良いだろう。」
「了解。」
滑走を開始。



流線型の羽は浮力を得て機体全体が持ち上がる。
前輪が格納されて、脚型マニュピレイターのタイヤが格納される。
「離陸完了。」
ウインドウはヘルメット内部に展開し、ウインドウボウルと呼ばれる
空間投影型情報処理サポートアンテナが展開して航路が二人に提示された。
「高速機動テスト、ロードC。」
「了解。」

一気に機首を上空へと向けて、後部メインエンジンの噴射口を絞って噴かして浮上する。
ゆっくりとした加速で一線を描いて大気圏へと向かう。

アキトとユキは歯を食いしばってその加速に耐え切る。ラピスを含め3人は歯の矯正を受けていた。
噛み合わせが違うだけで、体が耐えられる重力も変わってくるからだ。
回りが暗くなった空間で、可動式の主翼が滑空状態へと移行する。

常時は鳥の羽ばたく手前のような形だが、環境や加速の状態によって形状が変化する仕様になっているのだ。
「星が見える。」
「大気圏、成層圏の一歩手前。
宇宙の入り口と言った所か。此処ならば日光が当たるかあたらないかの違いしかないな。」

薄暗い赤外線と紫外線を遮断するキャノピの窓を通して尚まぶしい。
太陽を遮光バイザーを装備したヘルメット越しに眺めて、大気圏をFRXは飛ぶ。

大気圏から降り立つ指示を出す。基本的にFRXはマニュアル操作と内蔵型AIの支援によって成される。
IFSを装備していると、自分の体の延長として腕の動きをイメージして
マニュピレイタと翼の稼動が可能であるというのが、利点だ。

「ユキ、大丈夫か?」
お互いの身体データを比較するウインドウが開かれており、アキトは心拍数の上昇を起こしているユキに尋ねる。
通常の身体データを大幅に越えた心拍数が表示されていた。
「大丈夫です。すこし。」
言いよどんだ後に、「心地よかった。」といった。
「ふむ。」
IFSを装着したものの感覚的補助システムがエステバリスにあることは、一般的に知られていない。

機体に体感センサを装備させ、IFSによって脳内での擬似体験を起こさせる。
もっとも過剰すぎた初期には、コレによって廃人になったものが居ることを、アキトは知っている。


自己領域設定が成されているもの、
つまり自己を定義する強固なまでの意志が必要となるIFSは、その能力を制限せざる終えないからだ。
「わかった。体感センサはお前の好きにやれ。」
「はい。」
小さく、恥ずかしがるようにしてみせるユキの表情は伺えない。
「降下用意。翼を稼動させるから、体感してくれ。」
IFSに意思を込める。


翼が獲物に襲い掛かる猛禽類のような形から、グライダーのような滑空に変わり、機体を降下させる。
人としての形はイメージのみで設定されるものではない。

設計された状態ですでに可能性を提示されて、意思によってその形は形成される。
つまりは設計図はいくつも用意されていて、方向性は自身で決定することが出来る。
IFSでは、こういった考えはまさしく正論であるとされている。

初期のIFSによって人にあらざる器官が人体に発生したという症例があるからだ。
ゆえに、ネルガルではエステバリスのキャタピラや飛行装置において人間の感覚に置き換えるようにしている。
アキト自身はFRXに騎乗しておいて、自身が鳥になった感覚をシステムから流れてくるのを感知している。

システムが人間に合わせろと要求しているのだ。飛行させながら翼の形を変化させ、
気流の掴み方や抵抗を確認し、システムを瞬時に更新させる。



「人は鳥になれないのさ。可能性を提示されても、選ばなかったんだから。」

翼を機体を包み込むようにして、急速下降する。
大気圏に行って戻ってきただけで燃料ゲージは3分の2を消費している。
もともと燃料が制限されているからなあ。と考えながら、
アキトはユキの「うわわ。」などという声を後ろに聞き、機体を空で遊ばせた。

上空を見上げてみると、滑空してくるFRXの姿が見える。もちろん、黒い点としてだが。
整備士とラピスは滑走路の端にタラップカーを停車させてウインドウにて稼動を見ていた。
「とんでもないな。あんな少量の燃料だっていうのにむちゃさせる。」
「翼の稼動は?」

ラピスに問われて、整備士も答えないわけには行かない。
「IFSを多用しているからって、こんなに動かすやつは居ないです。今までテストした連中より遥かに多用している。」
もっとくだけた口調でもよかったが、ラピスはあえてウインドウに目を見張る。
「本当の鳥みたい。」



だが、次の瞬間に機動がたどたどしいものになる。まるで戦闘機としてしか利用できないような飛行。
「あっ、パイロット変更しました。」
だが、次の瞬間機械的だった機動が本当の鳥のように、そして自由奔放さを得た動きを見せる。
「え?」
ラピスの驚きの声が発せられると同時に、FRXは急降下して滑走路に降り立ってくる。
巨大な衝撃と風を撒き散らしながら、翼を一気に広げて鍵爪で何かを掴むしぐさを見せて再び上空へ。

「あんな動きって、おいおい、すごいじゃないか。」
整備士の声に呆れを覚えながら、とてつもない高速飛行を続けるFRXにラピスも驚きしかうまれない。
「使えるって、アキトは言うね。」


今度はゆっくりと降り立ち、翼のスラスターを稼動させて滑空などしないでFRXが着陸する。
キャノピが固定位置から移動する。オートポインタが固定を解除して、すでに有人では飛行できない状態だ。
中からふらふらと立ち上がる二人をラピスは遠目に見つめる。次は自分がああなっているかもしれないと思いながら。
「どうしよう。」




すさまじい機動だった。瞬時に体の形を読み取ってくれるシートに体を預け、ベルトで固定されていてもだ。
「楽しかった。」
ほんのりと頬を赤くしながら楽しそうに笑うユキ。
すでに呼吸マスクを外してヘルメットも脱いだ彼女は、心底楽しそうにして見えた。
機動にしてもそうだ。急加速から急降下。

翼を広げてスラスターを吹き付ける減速と再上昇。どれもこれもが、FRXの仕様における真骨頂といえる動きだった。
「良かったといえるか。」
体が慣れない為にふらふらとするが、アキトは自分がこのような機動を行う戦闘が、必ず出てくると思っている。
夜天光という、ヤマサキがスペックを盗み出した機動兵器もまた、高速機動が可能となっている。

ネルガルでのテストパイロットを申請したのは、後で動くときの戦力増強のためだ。試験戦艦についても最後の大舞台で、
必勝を目指すための布石だ。やる事は負けることが許されない、必勝の勝負なのだから。
「でも、ラピスには勘弁してやってくれ。」
楽しそうに後部シートの中でシステムを見て回るユキに、アキトは面白いものを見つけてよかったかもしれないと思った。




「今まで妊娠したことは?」
「いえ、ありません。」
助産婦の言葉はなんとも冷たいに尽きた。
「男性とのはじめての性体験はいくつで?」
「いえ、この子の父親が始めての人です。でも、こんなことが役に立つんですか?」
甚だ疑問だったこの問いに、彼女はなんともなさそうに答えてくれた。

「いえ、私の私的な疑問だったので。気に障りましたか?」
眉尻が跳ね上がるような、つんけんとした女性だ。こんな人を病院で、
しかも軍公認の病院で雇っているなんて心の一人医者が居るのに違いないと思う。
「さくや。」
「がんばってね。」
此処最近家族になったオボロの心配そうな声と、サキの声に励まされる。ミゾレとオボロは銀髪なのでなんにも
変装はしていないが、サキとアイは特異すぎる桃色の髪の毛を隠すために、黒のカツラとカラーコンタクトを身に着けている。

二人とも普段とは違うのだけれど、同じ容姿だというのに顔に正確が表れやすい。
脇でストレッチャーにて搬入される私に歩いて付いてくるアイの表情は、私に似てぶっきらぼうでクールな表情だ。
それでも、視線を合わせてみると頷いてみせる。
「がんばって。」
声は相変わらずラピスとサキの二人と同じものだが、力強い。
「ええ、言ってくる。」
手術室に入ってゆくサクヤを見送って、サキとアイ、オボロとミゾレは待合用のソファに座る。

「出産というのは、個人差が大きいんですよ。時間が掛かりすぎるかもしれませんね。」
一人白衣の男がやってくる。ヤマサキヨシオ、アキトとサクヤの二人に受胎告知をした腹灰色の技術者軍人だ。
彼はサクヤと妖精の娘達を連れてきた張本人だ。
「あなたたちの顔も見せず、だんな様の顔も見せずに孤軍奮闘するのは大変です。女性とは全く、大変ですね。」
ヤマサキは手術中という表示の出たランプを見上げる。
内部での喧騒はもれないようになっている。当然静寂のみが清潔な待合室に漂う。

「男は簡単ね。痛みや苦痛は無いのだから。」
アイは痛烈に思う。感情が合わない、愛のないそういった行為の果てに妊娠というのはなまじ味気ない。
入れて、出して、入れて、出して。
お互いにおきる摩擦を快楽として、お互いに起こす行動は快楽の要因として。

子供は望まれて、望まれなくても生まれるのだ。
しかし、サクヤとアキトの二人を見る限りに子供が生まれるというのは大いに良いことだと彼女は思っている。
アキトは何をしたいのか良くわからない人だ。

彼は火星の後継者と対立する力になろうとしている。
今日も実験機体のテストフライトが可能という理由でユキとラピスを連れて行ってしまったのだ。

もちろんながら、二人が納得していることはアイも承知している。
それでも、一緒に居てあげても良いじゃないかと思うのだ。
「現在テストはラピスさんとテンカワくんで行っているそうです。
もっとも、スピード狂がなんとからしいですが。」

ウインドウを表示させて、ヤマサキはFRXを全員に見せた後にアキトとラピスの表情をリアルタイムで表示させる。

機体の機動は激しいものだった。急降下や上昇。突撃のような稼動。
「ずいぶんと自由な機動なだけど、エステバリスよりもエネルギーは制限されているのね。」
「ええ、古風な液体燃料を装備しています。テンカワくんは他のエンジンを積むのを想定しているようです。」
アイはラピスとサクヤの次に彼の側に居ることが多い。
ユキは年下の妹の相手が多く、アキトの側に居るのが少ないのだ。

ゆえに、彼が見ているものをアイもまた見ていることがあった。彼は異質といえる。
全てを受け入れるような顔を見せると思えば、暴君としての嗜虐の面を見せる。

エステバリスや格闘戦では、自身の体を動かして相手を倒し、
倒されることを当然と受け入れる享受。感情と理性と虚無をあわせ持つ殺意の発生はあまり無い。
むしろ、読めないのだ。

人生経験が決定的に少ないラピスラズリの「アイ」としてではない。
一人の人間として彼と付き合うとき、彼女は居心地のよさと不気味な感覚を覚える。
「アキト。」
小さく口ずさむ。恋慕など抱いていない。でも、彼女はもっとアキトについて知ってみたいと思って居る。
「少々外します。出産はあっさり終わるなんてのが少ないですからね。」
ヤマサキはアイや他の子供達に目を配った後にウインドウを開いて、待合室から出て行った。


気持ちいいとユキが洩らすのを聞いた。
恍惚としたような表情で、アキトが一度だけ私に見せた吸血の時に彼女が浮かべていた表情を。

アキトは私の血を吸うことが無くなった。いや、必要ではない状況になった。
飲まなければ死ななくてはいけない体ではなくなったからだ。

血潮も肉体も、精神も魂も彼でなくなった。サクヤは漠然にも気づいているし、私自身も解っている。
容姿が若くなり、肉体が若くなった。それでも確かに言えるただひとつは、彼はテンカワアキトで私が想いを寄せる、
心繋がった人だということ。
私の血液が劇薬だと彼はいった。彼は今でも血を飲むことがある。

気まぐれに、獣じみた必要に駆られたりして。でも、私の血は飲まない。
ただ一人、ユキのを飲んでいる。以前のユキはそのときだけ表情を崩していた。私を憂鬱にさせるあの人の行動だ。
でも、これは余談に過ぎた。
わたしは、FRXと言う飛行機にあるまじき鳥に乗って「気持ちいい」と思った。

機体の加速はすさまじい。体に感じる加重は果てしなく、
臓物を内蔵した肋骨が上から押さえつけられる感覚。横たわるようなシートに身を横たえて、
頭のヘルメットを緩衝材から離れないように気をつける。

「ラピス、高速機動開始」
「了解。」

マスク越しの会話は不鮮明にも感じるが、それは常人としての感覚だ。
戦闘機という棺は、果てしの無い静寂が満ちる。

FRXはエステバリス支援を目的とした、エステバリスとは異なる長距離移動と加速を可能とした、
エステバリスのエネルギーバッテリーを内蔵した機体だ。
「液体燃料で飛ばそうというところで間違っているがな。」
エステバリスもナデシコも、古代火星人の技術によって成り立っている箇所が必ずある。

彼らの総意は、すべからく理論付けられた技術の発展だった。
長き宇宙を科学の力たる「知」を持って進出し、進化した存在。
知こそが全てで、知そのものが彼らの頭脳には繋がれていた。

だが、そこで「彼ら」に出会ったために遺跡は作られた。
「すごい。」
気持ちいいというIFSによって伝わる外部情報の感覚とは違う、
荒々しい機動と加速は獣性を呼び覚ますようだった。

ラピスの困惑する声を聞きながら、アキトはそれでも業務を辞めないラピスの適応能力に感心せざる終えない。
スラスターを吹かせて翼で機体を包むようにして上昇。尻尾にあたる部位のスラスターと
畳み込んだように機体へ纏わる翼のスラスターでの加速は早い。
「ユキが面白がるはずだ。」
本来ならば、このような疾走感を人間が味わうことは不可能であろう。

陸上競技をもっとスリリングにして、体に無いはずの器官がうずく。
「まったく、使える機体だ。」
エンジンが古風な液体燃料なのはいただけ無いが、製作レポートによると設計者でありコンセプトの提案者の趣味だという。
エステバリスも、このFRXにもバッタのエンジンは十分に搭載可能だ。

FRXはその概観とコンセプトをそのままに、中身は変わることになるだろう。
だが、それがアキトの欲する戦力なのだから、仕方は無い。

「降下する。次はラピスとユキで搭乗。体感のみでいい。」
降下させて、次のユキとラピス二人の飛行を指示だしする。降り立って感じたのは、
一回目とはちがう気だるい感覚だった。あの疾走感を覚えたのならば、
現実と自分の体の愚鈍さに忸怩の念が浮かぶのも仕方の無いことだった。

「ラピス、」
ヘルメットを外して汗を拭いていたラピスからタオルを奪って拭いてやる。
「機体の体感パラメーターを変更。通常の人間感覚へと変更したい。解るな。」
ラピスはごしごしと拭かれながら、「うん」と答え。
アキトはラピスの声を聞いた後に、タオルで拭き終えるとタラップに上っているユキに声をかける。
「あんまりやりすぎるなよ。」
キャノピのふちに腰掛けて、
内部のシステムに繋がっているユキは「はい。」と答えて、小難しそうな顔をしながら操作を続けた。


データの改ざんは大丈夫。画像を相手に送って、複数のものからイメージを抽出しやすくする。
ボソンジャンプにおける目標位置の設定は、曖昧なイメージに符合する場所を遺跡が選出することで成り立っている。
遺跡そのものは擬似的に「彼ら」の体得している技術を再現したものなので、
時空間関係なく作られた当初からの時間の間においての移動が可能なのだ。

ゆえに、遺跡は銀河系を中心として限定された領域に限るが、ボース粒子を通して観測を続けている。
「さて、しっかりこれますかね。」
男性トイレにて、ヤマサキは鏡で自分の姿を見ながら頭髪を少々直す。まもなくくるという通信の後20秒。
清掃中の看板を出したトイレに青白い光芒が降り立つ。
「まったく、トイレにくるのにイメージを使うなんて面倒だな。」 アキトがそこに居た。ボソンジャンプの個人的利用、そのもっとも非常識な使い方をした人類初めての人間であろう。
ヤマサキはぼやくアキトに笑いを洩らす。まったくもって、面白いものだと。

「でも、男性にとってトイレはイメージしやすいでしょうに。」
「ああ、しやすかったさ。」
ベルトのバックル、そのハンドルを押し上げてスーツを解除してハンドルを固定させる。
着替えはヤマサキに用意させておいた。渡された袋に入っているジーンズとYシャツ、ブレザーを着て革靴を履く。
「じゃあ、行くか。」
「ええ、奥さんがお待ちですよ。」

待合室で待っていた少女達と再会を果たすと、アキトは早速ヤマサキに手術室に入るために抗菌服を渡される。
青の半透明の雨合羽みたな服で、アイやサキ、ミゾレとオボロもアキトに続く。
「私は待ってますよ。見守ってきてやってください。」
「わかった。」
ヤマサキを残してアキトたちは手術室に入る。荒い息の音や、うなり声。
脚を拘束されて生まれ出でるための産道が見えるようになっている。
安心できる環境にあり、羞恥など関係ない精神状態のサクヤの隣にアキトは寄り添い、少女達も続いた。

手元に握ったタオルをぎゅっと握っていた手を握る。驚くサクヤにアキトは頷いて見せて、
何故ここにいるのかという疑問を抱ける状況に無い彼女はアキトの手を救いのごとく握った。その力は強い。
「がんばれ。」
アキトの声に、力ないまま微笑んでサクヤは出産に集中する。
アイやサキはサクヤの額や頬の汗を拭いてあげて、心配そうな視線がミゾレとオボロの二人から注がれる。

「大丈夫なの。」
「だいじょーぶ」
二人の声をアキトは隣に聞いて肯定して頷いてみせる。
「ああ、大丈夫だよ。サクヤは。」

彼ら全員は名前で呼び合う。苗字はヘミングやテンカワ、ラズリと違いのある家族は、
お母さんやお父さんという立場を作らずに活動集団となっていた。
「赤ん坊の頭が出来てました。」
「がんばって、お母様。」
医師の声と看護婦の励ましにサクヤはこたえる。

それから五分も経たずに産声が上がり、赤ん坊がサクヤとアキトの腕に抱かれた。
血まみれの体で彼女の胎から生まれでた命。

小さく人間ではないような動物の形態はミゾレとオボロの最年少二人組みにとっては不思議なもので、
生と死を電脳世界にある草原で夢想続けたラピスラズリの二人は感慨深い様子でアキトに抱かれた赤ん坊を見ていた。
「私たちが、違うんだね。」
「ああ、私たちもこの子も同じ人の手によって生まれたというのにずいぶん違うんだな。」
泣き叫び、何故生まれたのかと問うように彼女たちには見えた。
「生まれた過程はどうでもいいじゃない。」
はっとするような言葉が、二人に掛けられる。
出産を終えて、汗や鼻水などをぬぐったサクヤが二人に手を動かして近くに招く。

「此処で生まれたのと、うまれなかったの。」
おなかに手を当ててサクヤは二人に見せた後、アイとサキはやさしく抱きしめられる。
「そういうのは関係ない。生きていくのが一番重要で、気にすることじゃないわ。」
ぶっきらぼうは相変わらずだ。サクヤ・ヘミングという女は柔らかい口調も仕草も出来るというのにしない。

特異な女性である。

抱きしめられて、力の無い腕を回された二人のラピスはほっとする。
自分達は生まれてきて良かったのだ、自分達がこの人に出会えてよかったのだと。

生まれてきたことを祝福されるという、初めての経験にアイとサキは緩やかに嗚咽を洩らして涙する。
「うん。よかったんだね。」
サキの言葉にアイは無言で頷く。
涙に目が潤み、鼻の奥がツンとする。歓喜の涙は止まることをなかなか覚えてくれない。
アキトもまた赤ん坊をミゾレとオボロに見せながら二人の泣き声を聞く。

そうして、自分もまた昔を思い出すのだ。科学者だった両親は、ボソンジャンプという未知の技術を知るべく
邁進していった。調べ上げ、データを列挙して、推論を立てて仲間と検討しあう。
それはいかに彼らにとって充足な時間であっただろうか。
「でも、やりすぎることは無かったんだ。」

彼らはアキトの目の前で死んだ。 何も言わなくなった、どうしてこうなったのかを彼らは正確には理解できていなかっただろう。
「もっと、両親と一緒に居たかったんだ。俺は。」
思い出すだけには足りない、アキトは自分がもっと愛に飢えていることを知る。

「あかちゃんを預かりますね。」
看護婦の提案に頷き、赤ん坊を預ける。
赤ん坊と看護婦を見送るミゾレとオボロの二人が驚きを浮かべる前に、アキトは二人を抱きしめた。
何がなんだかさっぱりわからない二人に、アキトは思い切りの愛を抱く。
「一緒に、生きような。」
ただ、それがいいたかっただけ。二人はアキトに抱きしめてもらった喜びと、恥ずかしさとあったかさに包まれるのだ。
それを感じられるだけで、生きていることは素晴らしいと思えるのだ。


暖かいという感覚は遠くても私に伝わってきた。
アキトの感情があふれ出すのを感じて、私もまた感情をざわめくのを覚える。

FRXの機上にはユキと私があり、空を行く感覚はあいも変わらずに私に得もいえない感覚を覚えさせる。
私の心はその感覚を味わいながらざわめきに終始捕らえられる。

誕生を祝福する熱い涙、幼いときの記憶と悲しみ。
これからを渇望し、これからへと歯向かうような挑戦の意志。全てが私の心をざわつかせる。
「アキト。」
この声がユキに聞こえてもかまわない。
「アキト。」
IFSコネクタから一時的に手を離して自分を抱きしめる。
「アキト。」
ああ、この私のざわめきは。私の抱く感情は、一体何なのだろうか。


寄宿舎に帰るまえに、アキトはラピスとユキを共だってヤマサキが子供達と一緒にいる病院に向かった。
FRXの試乗は有意義の一言に尽きた。エステバリスのバッテリニユニットとしてだけではない。

合体機構が構想にあり、液体燃料ではないバッタのエンジンユニットに関心が寄せられていることも知ったがの大きい。
それならば、博士を招き、ネルガルと共謀して戦う戦線に参加してもらえる可能性が出てきた。

そして、ネルガルと宇宙軍の両方にコンタクトを取る事が決定していた。
眠りに付いた自分と生を謳歌する自分の二つの体で以って闘いを臨む時がやってきたのだ。

「赤ちゃんが生まれたんですね。」
「さっきアイたちから連絡が来た。」
アキトは二人に頷いて見せて、車を病院駐車場に留める。
「これから会いに行く。帰りはサキたちも乗せて帰ろう。」
「わかった。」

おとなしく付いてくるラピスは宇宙軍中等学校の制服で、ユキは連合宇宙軍の制服だ。
海軍と空軍と陸軍全てが統合した形が連合宇宙軍になっていて、
日本においては連合宇宙軍教練校と予備生を抱える高と中等部が存在する。

ラピスは黒髪のカツラとカラーコンタクトを身に着けて、秋春に掛けて着られる黒のセーラー服を着ている。
施設内は生と死がある対極の境界線だった。薬品の匂いと清潔すぎる施設は無機を思わせる。
「お待ちしてましたよ。」
「すみません。おくれました、中尉。」
ヤマサキに便宜上敬語で話す。彼の後ろは病室で、明かりがもれている。

「此処が、」
「あかちゃんがいるの。」
ラピスとユキは高揚しながら病室に入る。室内は全く持って簡素で、
置かれた4つのベッドの二つをアイとサキ、ミゾレとオボロが占拠して、サクヤが一人ベッドで横たわっていた。

「あれ。居ない。」
ユキのもっともな疑問に、アキトは知らなかったのかという表情で言った。
「生まれたばっかりは居ないさ。新生児室に居る。」
「先にこちらへ案内したのは間違いでしたね。」
ヤマサキの合いの手に、ユキと無言のラピスは脱力するのだった。

新生児室では、硝子で仕切られた室内に赤ん坊のいるベッドがいくつも並んでいる。
少子化という現象はすでに23世紀において行われておらず、人口爆発といって事も未然に抑制出来るように決められている。

個人の主張が許されない、巨大な組織としてしか討議を行わない
日本政府はすでに過去の遺物となり、連合政府という地球全体の政府が形成されたからだ。

いまだに民族や宗教などの争いが起こる可能性はあるが、現在においてそれらの問題は発生していない。
「どれが、アキトとサクヤの子?」
幾人も居れば、どれが対象の子供であるのかはわかるはずも無い。

ラピスとユキは初めてではないが、まじまじと対面することになった赤ん坊
たちを見る。血色は良すぎるくらいに赤く、まだ目を良く開いていない。人形のような矮躯だ。
「あれ、ですよ。」
縦二列の窓から離れた列、その中央にその子供は眠っていた。
「あれが、サクヤさんの子供か。」
「やっぱり、小さいね。」
ユキとラピスがそれぞれの感想を言ってその小さな命を見つめる。

「身体的特徴は現れていません。瞳は青で毛髪は黒だそうです。」
ヤマサキにそういわれても、今はピンとくるはずの無い話題だった。
毛髪や瞳の色はわからないが、生まれてということだけで十分に嬉しいのだ。

「名前はつけたの。」
「いいや、つけてない。」
ラピスの肩に手を突いてアキトはしゃがんで子供を見つめる。

自分の遺伝子とサクヤの遺伝子の交わった結果、命の塊。
それを見やって、アキトは前に夢想したことのある名前を思い出す。
「雄大の雄に輝きの輝で、ユウキ。それが、この子の名前だ。そうしよう。」

思い出した名前は自分の父と同じ音の名前だった。アキトはその名前を子供にもってもらい、
長く生きてもらいたいと思うのだ。


SIDE 男達


執務室には四人の男が立つ。足が踏みしめるのは品の良い、高級な絨毯よりひとつランクが下の物で、
置かれた執務用のデスクや応接用のセット、僅かに置かれた調度品や巨大な水槽は室内を彩る。
「では、報告をします。」
「うむ。」
三人が同じく、軍人としての衣をまとっていて、そのうちの一人が言った。
自身の部下であり、同僚であるムネタケヨシサダの言葉にミスマルコウイチロウは鷹揚に頷いた。

「敵は旧木連中将クサカベハルキ率いる火星の後継者と名乗る集団です。」
データが白衣の男の操作によって展開される。クサカベハルキの情報、
火星の後継者の推定戦力と研究所の場所に関するデータ。その他ヒサゴプランの計画。

「彼らはクリムゾングループを始めとする反ネルガル企業と結託しています。
そのつながりは大戦中よりのものであり、深いとはいえませんが浅く広くコミュニケーションをとっています。」
「さて、何処でその情報を得たのですかな?」
静観していたアキヤマゲンパチロウは、不思議そうにデータを見上げた。

数を数えて36枚のウインドウに表示されたデータはどれもこれも詳細が書かれたものだ。
「潜入捜査を我々は大戦中より行なっていました。複数の企業、連合政府などの勢力勢に約三人づつ。
犠牲になった者も少なくは在りませんが、多くもありません。そして、これは其処の。」

ムネタケは室内に立つ軍服を着た男の、白衣を着た姿のウインドウを出す。
「ヤマサキヨシオ大尉。科学、医学の知識において博士学を持ちながら、特殊部隊への入隊経験を一年持つ逸材です。
彼が潜入捜査を行ないました。彼の人格診断カルテから考えられた裏切りも覚悟していましたが、やってくれました。」

「どうも」等といい、頭を下げるヤマサキに対して
アキヤマは憤慨するような表情を見せるが、それも上っ面のみだけだ。

アキヤマもまた、そういった状況に置かれてヤマサキのような人材が必要となってくることは
十分に理解している。だが、それでも顔に出さずには居られないのだ。
「して、彼らの目的は?」
ミスマルコウイチロウが再び口を開く。ヤマサキはサダアキの代わりとなって答えた。

「ボソンジャンプによる政治経済の独占支配。
その為に彼らはA級ジャンパーである火星で暮らしたものを誘拐、実験しています。」
ヤマサキの報告にその場に居たアキヤマとコウイチロウは驚いたように見えない。
クサカベハルキの名前が出たときから、その顛末は予測できる範疇にあったのだろう。

反応は薄い。

「ふむ、では。私の娘夫婦もそれに該当するのかね。」
コウイチロウの一個人の問いにヤマサキはすぐさまに答える。
「はい。テンカワアキトならびにミスマルユリカは彼らの誘拐に出会い、実験体として実験を受けています。
もっとも、お嬢さんは立場上からみて実験は精神操作を念頭に置いて軟禁。
そして、テンカワアキト君。彼は私の実験により体内と脳内をナノマシンに支配された状態で五感を喪失。
現在我々で火星人の一団の一人として、彼の新しい妻と共に保護しています。」

「貴様。」
激昂したアキヤマがヤマサキの襟をつかんで迫った。表情は鬼気迫る物。
「軍人として、そのような仕打ちを回避できるよう。間諜として出来る限りの軽減は出来なかったのか。」

アキヤマにとってもテンカワアキトの名は知った名だ。
盟友白鳥九十九の友であり、火星大戦終結の立役者。世界初のボソンジャンプを行なった男。

彼が地球の連合宇宙軍に入隊してから、テンカワアキトとは会う機会を作ることも出来た。
だが、それをしなかったのは盟友の死を思ったからだ。

「軍人として、スパイとしてはそうすべきだったのかもしれない。
ですが、私はあそこにおいて実験に殉ずるのを善しとした。
あそこで生き残るため、敵地で情報を掴むためには敵にならなくてはならない。あなたもお分かりのはずだ。」

激昂したアキヤマとヤマサキの間に、ムネタケが割り入って二人を離した。
冷静になりながら、放されたアキヤマは襟元を正し、息を整えて言う。

「だが、それでも、出来なかったのかと思うのだよ。」
「私の行った事の結果は、テンカワアキトの人格変異です。正義に燃えた彼はいない。
ミスマルユリカの事を彼は、昔に思っています。たった五ヶ月、されど五ヶ月。彼の精神は随分と大人になった。
そして、私は私の行いを悪しく思っているが、後悔していない。」

「大尉は、立派に役目を果たしてくれたのです。納得していただきたい。」
ムネタケの締めに、アキヤマとしては納得するしかない。
正義漢としてはいまだ感情がささくれ立つが、軍人としては理解が出来るから。

「結論として、我々は火星の後継者、だったかな?彼らの行動を阻止する。」
ミスマルコウイチロウが宣言するように言った。それぞれが応接セットに腰を据えて、茶を飲みつつ協議した結果だ。
「お嬢さんのことは?どうする?」

テーブルを中央にして反対に位置するソファーに座ったヨシサダに聞かれ、苦悩の表情を僅かに浮かべたあと。
自己完結を終えたのか、醒めた目で言った。
「娘は、クーデターに利用されるよりも。死を選ぶだろう。アキト君もまた、新たな生活を得ようとしている。
「一人の親としては心苦しい。あの子が利用されるのを見ているのは忍びなく。憤りもする。
だが、軍人として。大局を見据える立場の者として決断する。ヤマサキ君の言うもしもの場合、ミスマルユリカを殺せ。」

決断した表情は苦悩はもって居ない。唾が出ない口元を茶で潤して、自身の決断を受け入れている。
「解りました。」
アキヤマが言って、他の者が頷く。この決断は絶対であると。
「アキトくんとの面会時間は明日の十二時だったね。」
「はい。私もお供させていただきます。」
ヤマサキに鷹揚に頷き、コウイチロウは窓辺による。眼下には散り始めた桜が舞っていた。


「自分を使うというのは滑稽か。」
「内部の体組織はあなたが殆ど持っていって、代わりのものは戦闘機械類が。」

白衣のヤマサキは、軍の火星慰撫部隊駐屯基地のあるクレの郊外にてアキトとともに居た。
ヤマサキにとって、アキト・ヘミングという男は協力者であり提案者であり、興味深い男だった。
彼の言う本当の姿と目的というのは、怪しい。

ただ、彼の行うことは楽しいのだ。
彼が行おうとする目的のための過程が、果てしない快楽を生み出すことを彼は知っている。
「機械類を操るのはCCでいい。CCで神経と肉体の肩代わりをさせる。」
アキトは何のことは無いと言うように、テンカワアキトの傷ついた肉体を見下ろした。
疲れ果てた肉体は、新陳代謝を忘却して、眠るように腐らずにそこに存在した。
「意志の宿らぬ肉体は、動かないのに。」
「いや。」
動かす方法をどのようにするかと思案顔のヤマサキに、アキトは言う。
「意志はここにある。」

胸に手を当て、空洞でがらんどうな人間の鋳型を見下ろす。
腕には重火器が宛がわれ、肋骨の存在しない空洞にはチューリップクリスタルの原石が埋め込まれている。
骨格などはマグネシュウムをあつらわせた。

体の随所には兵器が埋め込まれ、構成組織の殆どを連合宇宙軍が保存しているCCが使われた。
「では、はじめますか。」
ヤマサキは自分の持ってきていた肩掛けのバックを開封する。

バックといっても、純粋な布の鞄ではなく強化繊維で作られた布で製法された
ジェラルミンケースを収納する鞄だ。
「ああ。」
ケースを開封する。内部には封の施された血液が入った試験管が十本。
「はじめよう。」
出所はラピスとアイとサキの3人、ラピスラズリ。それと、アキト・ヘミングとなったテンカワアキトから。
「全くナンセンスですが、エネルギー稼動のための契約システムですか。意志の伝達。
いや、一個の精神を分割していながら統合できるなんて。」

拳大のチューリップクリスタルには、通信用のコミュニケと軍内部の回線へと繋がる通信機が取り付けられた。
脳部分には火星の後継者から脱出してきた時にヤマサキが確保した遺跡本体のデータを応用し、
アキトの持つ古代火星人の知識で作られた「オモイカネ」が収められている。

中身からはがされた伽藍堂に詰め込まれた、人ならざるものを人へと底上げする。
封の開かれた試験管の血液を全てクリスタルに流し込む。

ひとたび流し込めば、ラピスラズリのもつ「彼ら」としての力がクリスタルを朱に染める。
アキトのシステムとしての象徴である血が注ぎ込まれる。そして、最後にアキトはクリスタルに口付けして
全てが繋がったテンカワキトが生まれる。
「これで、いい。」
瞼は開かれない。だが、自分以外の自分が出来たことをアキトは感じた。
「コレで…。」


惨劇の賛歌

惨劇の研究所において、テンカワアキトはヤタベルトのファーストフォームを装備していた。
「やあ。」
出会う研究者は白衣の姿。恐怖に恐れおののく姿を見て、アキトは片手を突き出す。
内部構造から出てきたのは、人間にあるまじき青のチューリップクリスタルの断面と、マシンガンの銃身。
「そして、」
銃を展開した反対の手で、銃身に弾丸のチャージを行わせて肉体の一部となった人ならざるクリスタルの器官を動かす。
「さよなら。」
発砲。瞬時に毎秒3発のマシンガンから12発を発射。
男の胴体を打ち抜き、死に目にあった研究者の頭を手で掴んで接続を行う。

ボソンジャンプの演算処理を行う遺跡の重要技術の一つだ。
「全く、人間じゃなくなっている体を人間として運用する自体が問題あるな。」

先ほどの攻撃を思い出して、
自分の宿っている肉体が人間以外の力を発揮していたことをアキトは面白くも、苦い経験だと思った。
「運用として考えたときは、良いと思ったが。人間の感覚と非人間の感覚が同居しているからな。」
テンカワアキトの遺骸で作られた、テンカワアキトに宿ったアキト・ヘミングはそういってごちるのだ。
「まあ、一人の人間が二つの体を持って運用するのを考えたのが運のつきか。」

仕方ないと思い直し、アキトは本来の目的を達成すべく思考検索を行う。
研究者の死は約束されたもので、脳内の思考に接続すると残留した恐怖の感情と消しゴムのカスのような
理性がノイズをかけて、検索に時間が掛かる。マシンチャイルドの研究情報を脳内のオモイカネに保存して、
施設内に感じた6つの反応があった場所の地図を引き出した。
「それじゃ、ども」

アディオスといいながら、アキトは研究者を見捨ててお目当ての妖精たちに出会いに行く。
ラピスラズリの遺伝子は、アキトの目標を達成するために必要不可欠な存在だった。

彼女達の存在を確保して、アキトは自分の感じていた50の反応のうちの残り44人を保護しようと考えていたのだ。
人権云々ではなく、研究対象として活用されている彼女達の存在がボソンジャンプの
鍵となることが判明する可能性がある。

そして、敵側にマシンチャイルドを確保されていること自体が面倒ごとの発端となるからだ。
マシンチャイルドは、ナノマシンに親和性を持つ機械的演算を思考として、感情の一端として行える奇異な存在だ。

だが、その奇異は「彼ら」に近づいた人間の特徴を現す。ゆえに、野放図にして置けないのがアキトの考えだった。
「でも、なあ。」
研究室のドアを崩御にて破壊する。
室内には18人のマシンチャイルドが佇む培養槽があり、アキトの感覚が全て生存していると教えてくれる。
「確保した後、どうするかな?」

見渡して悩む暇をもてあますことは無い。
マシンガンの覗いた腕を通常形態に戻して
ヤタベルトのファーストフォームで肉体を覆い、マシンチャイルドたちを回収する。

ひとつカプセルを開けては脱力した少女から拘束具と栄養を与えるチューブを外し、
むせているのを見ては背中をさする。下の糞尿を回収するパンツを脱がせて、しばらくそっとしておく。

そんな作業を延々と行うのは骨が折れたが、仕方が無いと割り切って、アキトは作業に没頭した。
「で、君は何をしているのかね?」


一人を抱きかかえて、全員を集めた地点へ運ぼうとしたとき、アキトはその声に気づいた。
「救出ってやつですよ。」
銃のグリップに手をかけて答える。肩に少女を抱えて、銃把を握ったままで振り返る。
「ほう、それはご苦労なことだ。」
冷や汗の噴出を覚える。

このような状況で、相手の武装を確認しなくてはならない。
相手が銃器を持っているのならば自分はそれを破壊する手立てを持っている。
だが、長物など刀や棒を持っている場合は早急に退場願うか、肉弾戦になる可能性がある。
眉を顰めて気づいた失策をののしる。

この子を降ろして置けばよかったか。

肉弾戦に成るにしても、防弾のファーストフォームを纏っていても、足枷があるのに変わりは無い。
このときばかりは、金髪の少女を担いだ自分が恨めしい。
「で、あんたはどうして?」
振り返る。そして構える。銃把を握った腕は、緊張の感情を全く投影していない。

相手をひたすらに制圧することに注意が向けられた。
「警報が流れたんでね。一応観察だよ。」
人質はとっていない。老境に達しようとする博士が一人。
「へえ。」
銃を降ろしてアキトは老人を観察する。武器は持っていない、人質もとっていない。
「あんたはこの子たちを実験していたんじゃないのかい。」
「いや、体のいい面倒見だよ。ついでに言うと、押し付けられた役職を辞められて嬉しい。」

そうして相手は培養液の無くなり、少女を納める役目を終えた培養液に腰を据えた。
「何しろこちらも誘拐された身でね。ついでに私も連れて行ってもらえないかね。」
「こっちが怪しいのに、随分といい加減に決めてくれるな。」

少女を担いで、銃をポイントに固定する。
そして、自分を観察する博士を背にしながら、少女達を一箇所に集める作業を続ける。
「一応遺伝子分野においては、一度権威になったことがある身でね。
もともとネルガル企業の一派に半ば誘拐されていたんだ。私は健全な研究がすきなんだがね。」
「遺伝子を弄っている時点で、健全とはいえないがな。」
「そうかもしれんな。」

総勢十八人と反応が出ていた遺体が十三体。最初こそ気づかなかったが、
試験用として遺体が保存されていたのは可能性としてあった。
この全員が生存できるならば、24人を確保して残りは13人。
全員を確保してからの保護施設が必要となるのは目に見えていた。

「だが、私は健全に研究をしたいのだよ。彼女達は私などの手によって生まれたが、
私は彼女達を生み出すことに良心の呵責を覚えた。当然だ。これでも子供3人の父親だからだ。」
物音が聞こえてきた。駆け足の音と、潜んだ人影の気配を感じる。
「だったら、どうするかい。」
「出来るなら。」
背中を向けて彼はドアのコネクタを操作して、進入を阻む。
「付いていきたいのだが。」

だが、隔壁がセキュリティーパスのマスターキーによって解除され、
彼は両手を挙げて降参の意を示した。
木連の民らしい薄茶色の軍服姿の男が5人、マシンガンを構えながら突入してきた。
「降伏せよ、侵入者。」
男達はアキトと博士、そしてマシンチャイルドたちに向かって、それぞれマシンガンを向けて腰だめで構える。

「はい、解った。」
アキトもまた、博士同様に銃を懐から取り出して放り投げた後、
「でも、武装は解かなくてもいいよな。」

右腕を突き出して男達に向ける。

零コンマ五秒を下回る快速で腕の機構が作動してマシンガンを三点射した。
ショックを腕全体のものとして、左手で押さえて機構のあらわになったマシンガンの衝撃を抑え、格納させる。
「驚いたな。」

男達はそれぞれ何が起こったのか理解できただろうか。
アキトは男達の胸を狙い、体内で銃弾が弾けてシェイクするのを狙ったのだった。
弾丸は外に出ていないが、体内は臓器や骨片でぐちゃぐちゃになっていることは予想にたやすい。

倒れ伏した5人の男達は、さながら人形のように、唯横たわった。
「最近の若者はそんな体をしてるのかい。」
珍しそうにアキトに近づいて、腕を見やる。ファーストフォームのスーツに包まれた腕は、
全くそのようなギミックが内蔵されていることを感知させない。

むしろ、手であることが本来の姿であると主張するようであった。

「義手さ。もともと体自体も死に掛けなのを、人形状態にしている。本当の人格は他の肉体だ。」
信じられないような、目の前の青年の状況を聞いて、博士は気難しそうな顔をして見せた。
「それは、興味深い。」

あごひげを撫でた後に、博士にアキトは自分の考えについてきそうな彼に言う。
「もし良かったら、本当についてくるかい。爺さん。」
「ああ、老いぼれだが、何かの力になろう。」
子供達に表情は相変わらず変化が無い。だが、彼女達が絶対に人間として覚醒するだろう。



もうあとは火星移住からになったので、ブログ再開!!コメントをもらえず、拍手が一日2,3回。
なんとか意見をいただけると幸いです。
マシンチャイルド12人確保にしときます。
精々字直しと、改行になりました。
改訂2008.6.17