戦友との会合


プロスペクター、ペンネームのようなそれを名乗る男は、世界広しと云えど一人しか居ない。
巨大複合企業ネルガルの闇に存在する、狡猾なる職業仲介人。

表舞台で会計士として、秘書室長として顔を出すこともあるが、彼は企業間や地元企業との仲介を行う。
そして、彼は武力的な交渉にも秀でていた。

先のネルガルにおける火星での有効方針は彼の立案であるし、
社内粛清として行われた一部武力制圧も彼の力が大きく関与している。

「でんわ、ですか」
「はい、秘匿回線で繋がっています。考えられるのは、政府高官または、連合宇宙軍でしょうか。」

クローム色のYシャツに赤色のベストを着た彼は、四角レンズのメガネを掛けなおすと、
彼の秘書が差し出した受話器を受け取る。
近年における通信手段はウインドウと音声通信を併用した映像通信だ。
それだというのに、彼に差し出された受話器からは「SOUND ONLY」表示。
オマケに発信先番号は表示されない。


「ともかく、受けてみましょうか。」
受話器を受け取ると、変声機によって変えられた声が聞こえてきた。
「モシモシ、ぷろすペクたーさんでしょうか。」
「そうですが、どちら様でしょう。」
「ワタシ、ヤマサキと申すものです。」

変声機による変換音声が消え、明瞭な声が彼の耳に伝えられた。
「ちょっとしたお遊びで、申し訳ないです。
少々あなたとネルガルに助力と協力をお願いしたくて、電話いたしました。」

相変わらず、画像ウインドウは展開されない。
相手が何者かわからないというのに、何故相手の誘いに乗る必要があるのか、常人ならそう考える。

「そうですか、それでは私が向かえばよろしいのですかな?それとも、あなた方が着てくださる?」
プロスペクターは違う。

何を聞かなくてはいけないのか、というマニュアルで彼は行動しない。
彼は相手が何を求めているのかを尋ね、相手の思惑を大まかに読み取り、目的を枝分かれに想定する。

「待ち合わせをしましょう。サセボにあるネルガル系列スポーツセンターのプールへ、
あなたの知人と一緒に向かいます。彼もプロスペクターさん、あなたに会いたがっている。日程は明日で」

自分の知人で会いたがっている人間で、秘匿回線から通信を行うヤマサキという人間は彼には思い当たらない。

だが、会わないわけには行かなかった。所在がわからない知人は、二人。


「かまいません。貸しきり状態にしておきましょうか?」
「そうですね、お願いします。午前十時に伺います。」
「承知しました。」
秘書室に所属するオオミヤアカネのデスクにあった、室内電話だった。

「電話、ありがとうございました。」
「いえ、室長。収穫があったのなら、幸いです。」
プロスは一体何のことやら、などと思いながら自分の表情が変化しているのに気づいていた。

約束の相手は、どちらの知人だろうかと思いながら。
「用事ができました。今日と明日はやすみますので、会長のお世話をよろしくお願いします。」
「承知しました。」

小気味良く返答が帰ってくる。プロスは早速開いていたウインドウを消し去ると、
ネルガルスポーツジムの営業管理ページを展開する。 休業日になっているそれを、彼は貸しきり状態にさせると、早速出かけるための準備に向かうこととする。
「では、行ってきます。」



優人部隊は選ばれた人間と選ばれた遺伝子が、適正で厳粛な処置を受けた人間のみで構成される部隊であった。
だが、過去の栄光は過ぎ去ったもの。
現在は連合宇宙軍と統合軍の二つの軍組織に人材は配分されている。


もちろん、個人の思想や信念によって配属を彼らは決定した。
そんな彼らの中で、どちらの軍にも入らなかった人間が極一握り存在した。そのひとりが月臣ゲンイチロウ、
熱血クーデターの発起人にして現在の木連における精神的支柱が一人である。

彼自身は戦線において先陣を切って艦を率いるような大それた行為は行っていない。

自分の罪と、友への悼み、自己嫌悪の贖罪として彼は優人部隊の者を説得して、
クサカベハルキ中将を木連より排除しようと奔走したのだ。

結果は居住区画の半分を混乱状態に追いやり、市民が盾とされるような状況もあった。
被害が市民三十数名で優人部隊が五十人だった。


そして、クサカベ陣営は60名。各自に被害を出しながら、
動乱のなかでゲンイチロウは自分の身をシャトルに乗せて、月へと亡命した。

贖罪は最後まで行わなくては成らない。だが、彼の心内はその決意とは裏腹に、
自分が平和となった木連にいることが我慢できなかったのだ。

結果的には戦に巻き込んだ、動乱と混乱を生み出した自分がのうのうと表舞台に立っているなど、我慢できなかった。
そうして、彼の乗ったシャトルは月へと降り立った。プロスペクターと名乗る男に仲介をして。


反射速度はオリンピック選手並みで、筋肉は繊維自身が強靭かつ柔軟。
動体視力はあらゆるものの追随を許されず、遺伝子からして加工が施されたのが優人部隊の軍人だ。

ゲンイチロウはその中でも上位に挙げられたもの。
IFSを身に着け、操作手段を一ヶ月立たずに物にして、彼はシークレットサービスの一員として作戦に参加していた。
「反応がわずかに遅い。」

「文句言うな、さっきよりコンマ3秒短縮したんだぞ。それだけで関節駆動機器にはずいぶん負担が掛かっている。」
「んん。」
ウインドウ越しに、思わずうなってしまった。
自分は感覚のみで物を言っているというのに、相手の的確な指摘。
ジンシリーズでは成しえなかったことだった。

「あのころは、ひたすらに一丸となっていたからな。」

アレが異常であったことを、ネルガルに身をおいてひしひしと感じることは多い。
研究員たちの愚痴を聞き、こちらの機体体感に対する感想をひたむきに求める。

「それだけ、私を信じてくれているの、か。」
オレという自称はやめた。私、それが自分の呼称でいい。

新型エステバリスの雛形、「アルストロメリア」のエッグシート内で思わず研究者の熱心さに感心してしまった。
先の大戦における地球側の主力人型機動兵器の、次世代の形を求める模索機。

アサルトピットという中枢操縦機構、アサルトピットではなく、
機体に一体化した機構であるエッグ内部は、ジンよりは狭いが快適だ。

IFSのコネクターはグリップタイプのもので、
それを握り締めて機体を木連式柔や抜刀術などにおける基礎円運動を複合した舞を躍らせる。


木連式柔と抜刀術の二つは、百年前の先祖達が時代において宇宙での戦闘が華々しいものではない。
古代中世のヨーロッパの海賊船。ガリオン船等の、直接進入して内部壊滅で戦闘を終結するというものだった。

ゆえに、人間対人間の戦闘をベースとした戦闘技術が生まれたのだ。
「機体関節部への負荷レベル上昇。」

体重移動と人体の剛性と柔軟性、そして慣性などの要素によって構成された武術は、
人間を如何に破壊するかということに充填がおかれる。


「おいおい、下半身とエッグの負荷加重が予想を超えてるぞ。」
人体のしなやかさを追求し、一撃を持って相手の動きを制する。
「おい、ゲンイチロウ、やめるんだ!!」

怒声が遠くで聞こえた、次の瞬間機体内部からでも十分に伝わる音が聞こえてIFSが反応の不随を起こす。
そして、空間投影窓に表示される文字「ERROR 胴体及び関節ユニットの過度摩擦運動」が表示された。
「やりすぎた、のか?」

機体の近くにエステバリスが一機接近してきて、
エッグに手を差し伸べると搭乗員が出てきて、エッグの外部殻開封装置を起動してくれた。
「大丈夫かい?」
「ああ。」

こまったなという表情の整備員の一人に、私は眉を顰めながら答えた。
「すまない、壊してしまったようだ。」
「ああ、でもこれからのためさ。」
遠くで主任のヒラマツの怒声が聞こえた。


「だからなあ、如何に実験機だからって言っても、力任せにしないでくれ。」
「力任せにしてませんよ。主任。」
ヒラマツの苦言に、サイトウという技術者が答えていた。

エッグから脱出して、苦言を浴びせられているのだが、機体運営の難しさを改めて感じる。

「初期の動作にはしっかりイメージが通っていた。だが、後半における下半身のひねりができない。」
「当たり前だ。
胴体の外装装甲を支えてるのは、エッグの下部にある駆動関節ホイールを改良したヤツへの負荷が大きすぎる。
腹筋になる前後接合関節ユニットが耐えられなかったんだよ。」
ヒラマツは機体を指差し言った。

「もともとエステバリスは、人間にある、二足歩行と両手の自由を手にした機体だ。
それだけに、人間ではない動きをとるしかない場面が出てくる。」
うむ、と納得する。私自身にも経験があるからだ。

「ジンは機体から発生させる半重力が自重を支えていたからな、理解はできる。
人間らしい動きを実現する難しさも、常々だ。」

木連にいたときから、ゲキガンガーに触発されて機械に憧れたが、難解さに理解をとめていた。
だが、艦長とエースパイロットとして就任した際に、人型ロボットの弱点も知らされている。


「そのとおりだ。エステバリスは腹筋にあたる、機構がなかった。」
アルストロメリアと名づけられる予定の機体は、コックピット一体型の体を不恰好にして倒れている。
「だからこそ、それに値する機構とボソンジャンプのイメージング近似波長発信装置が付いている。」
「改良とはいえ、跳躍実験の無茶振りは聞かされたぞ。」
「やった者勝ちだ、どうとでも言わせとけ。」

ヒラマツは勝手に言わせておけというが、実験の無茶振りは聞かされている。
巨大な演算装置を作り上げ、CC内臓のエステバリスに背負わせる状態での、
百通り以上にもなった脳内電気信号の外部出力形態を模索したのだ。

「まあ、いいさ。今回で関節部分の大切さと、人間の偉大さがわかって。
ともかく、こいつとジャンプ機構の完成でアルストロメリアは完成だろうな。」
ふむ、そんなに時間がたったのかと思った。
月日は有象無象にかかわらず経過してゆくのだ、誰にも贔屓せず、等しく。

機体が倒れるのを、プロスペクターは見ていた。

人間の円運動を根幹とする、慣性と遠心力の動きと、筋肉の剛性と柔軟の複合された動きに感嘆すら覚える。
「大陸で、あのようなものを見たことがありますが、初見ですな。」

中華人民共和国とよばれた大陸の一区域で、彼は純粋な武術継承を行う一族の、軍強化キャンプに参加したことがある。
そこで見た、太極拳に源泉を置く武術を使う者の動き。
それにアルストロメリアが見せた動きがかぶって見えたのだ。

もちろん、すべてがすべて同じではない。だが、全身の筋肉を柔軟かつ、遠心運動で躍動させるのは同じだ。
「ツキオミさんを呼んでください。」
近くに居た研究整備員の一人に言った。
「お出かけしますので、明日は休暇です」


saide AKITO


「入隊の確認をしてくださいね。」
プレハブの手狭な研究室内で、コンピューター画面の変わりに展開したウインドウをみやる。

火星慰撫軍人部隊などという、火星に残された民の苦しみや憎しみを癒すという名目で設立された、
連合宇宙軍が戦中より形成していた部隊の名称だ。

火星人の戦死や非業の死を原因として軍隊に入隊した者はすくない。

連合宇宙軍が戦時中にそういった志願理由にて入隊を許可したものは、
握った砂を放り出してなお、手のひらに付着したような数しか居ないのだ。
「ああ、」

研究員の姿をした自身の上司となる共謀者に、彼は頷いた。

若々しい肉体は、入隊志望を申請すると同時に肉体訓練に明け暮れた成果、常人よりも筋肉は増強されている。
もちろん、しなやかさを備えた剛性のみにあらざる肉体。

ただひとつ欠けた右腕には義手がはめられている。
極細の筋肉と同機能を持つ繊維組織とナノマシン、チタンで出来た骨と拳銃の入り混じった混合義手だ。
義手は人間と変わらない見た目をしているというのに、アキトは黒のブローブを身につけていた。

「アキト・ヘミング少尉は短期習熟コースを履修し、依願入隊した仕官として私の部隊に所属してもらいます。」
「解りました。ヤマサキ中尉」
義手にて敬礼。
いまだに短期習熟コースは履修していない、軍の肉体訓練スケジュールにも参加していふにゃふにゃな敬礼だった。

「で、今日はお出かけでいいな。」
「ええ。」

軍隊の様式には染まっていない。アキトは普通に戻ると個人データを改めて見渡した。
アキト・ヘミング、妻帯者、火星における早期婚約緩和規制によって、
十歳前後にアルカディアコロニーに在住中であった当時9歳のサクヤ・ヘミングと婚約。

旧姓のミカサよりヘミングに籍入り。
第一次火星会戦における騒乱脱出撃の際、婚約者と供に地球へと移住。後、連合宇宙軍入隊。
「それにしても、」

略歴を見て、おかしなことが判明するのはすぐだった。
婚約緩和規制の存在は、アキトにとって遠い話だった。

中等学校においてはクラスメイトがそういった立場にあるという話を聞いたことはあるが、
実際に自分がなるとは思いもしなかった。だが、気になる点がひとつ。

「連合宇宙軍は、少年兵の入隊と在籍は許していたのか?」
軍事的、そして戦略的に少年兵の需要は、生身の人間同士の戦いにおいては重要な戦力足り得ない。
彼らの未発達かつ未成熟な肉体は、脆弱であり人道的視点から戦略を展開する敵から見れば、唾棄に値する存在だ。
それでも、彼らの存在は脅威でもあった。

盲目的に信じ込んだ戦略と、大人への忠誠心を以って彼らは戦いに赴いてくるのだ。それも、命を捨てた特攻精神で。

22世紀現在における少年兵は、前述したような少年軍人とは話が変わってくる。
少年もしくは少女は、幼少であるからこそ発展と発達が行える。

電子戦において遺伝子の状態から手を加えてマシンチャイルドを生み出したネルガルを例に挙げるとわかる。
幼少期からのナノマシン親和性向上の名目をみても、少年兵の存在が軍にとっての戦力になるのは明白だ。
けれども、それは人道的見地からみておかしい。

連合政府は現在、少年兵の存在を許していない。
もちろん、これは強制入隊や徴兵制という制度の抑制力の役割からしてだ。

「連合政府と連合宇宙軍、統合軍は正式に15歳からの入隊許可を受容しています。
あなたは知らなかったかもしれませんがね。
実際に、高等学校のうちに連合宇宙軍付属の学校はあります。これは、半入隊に近いんですよ。」

「それは知らなかったな。軍人に十五歳からか・・」
十五歳といえばまだ青春真っ只中だ。テロ孤児であるアキトからしてみて、その年頃は高等学校を中退して、
手に職をつけようと住み込みレストランを転々として働き、工事現場にも赴いてお金を稼いだ覚えがある。

施設をあと3年で出なくては成らない。ならば、お金はあって困らないものだった。
もちろん、地球にジャンプしてからの生活費と消えた過去を思えば、切なくなるが。

過酷な青春時代を送ったからこそ、彼には十五歳で入隊志願をする人間の気がしれない。
「そんなにも、十五歳で入隊する人間はおおいのか。」
「ええ、多いですよ。とくに、十六歳で少佐兼戦艦艦長になるような予定が決まっている方も居ますよ。」

ひとつのウインドウが展開された。そして、アキトは眉寄せた後に嘆息した。
「そうかい。」
「IFSコネクタ搭載型のバンを用意しました。奥さんとラピスさんたち、それにユキさんがたには運動が必要だ。
旧知の方との再会と、これからに関して話しを通してくるのでしょう。今日は休みなさい。」

「了解。」
アキトは憮然とした表情だったが、納得はした。
「あの子の入隊と、仕官入りは誰の差し金だ。」
ひとつだけ問う。

「連合宇宙軍と、ネルガルです。彼女の身柄を影ながら守るのは、不可能なんですよ。」
ウインドウがひとつ展開される。ホシノルリの略歴、そしてネルガルからの意見提示書類だった。
「了解した。」




紺碧の空に体をたゆわせる。
肉体はこの一時重力の腕(かいな)より解き放たれ、筋肉の躍動が静かに波紋足りえる力の伝聞を教える。
筋肉の一筋が収縮し、一筋が膨張する。

鼻より抜ける空気は肉体を伝って空に浮上し、アキトはひたすらに肉体との会話を行っていた。
そしてまた、彼の隣にも肉体との会話を行う一人の存在があった。

アキトと同じくスイムキャップに髪を納めた一人の影。アキトがキャップの中へ容易に髪を納めたのとは違い、
彼女は長い黒髪を纏め上げてキャップへと収めている。

アキトがテンカワアキトとしてではなく、遺跡のイレギュラー演算思考ノイズ単体が行った、
ナノマシンの擬似接続端末回路を伝って行った救出劇。

救出時に助けられた、もっとも年長のマシンチャイルド。名をユキと名づけられた十八歳の娘だった。

彼女は演算能力に特化することを放棄し、肉体へのナノマシン干渉を目的とした教育が施されていた。
同時に救出された8歳と6歳の娘とは違い、彼女は運動を善しとされた存在であり、
アキトが軍入隊と同時にパートナーと選んだ娘だった。

ラピスラズリ3人娘は十一歳、志願の許可年齢よりも4歳下であるために、彼女達は正式な軍属とはならず、
裏から手を回すときのみに力を発揮してもらう。これが、アキトの考えだった。
アキトとユキは二人で連合宇宙軍の肉体訓練行程をこなしている。

擬似的な意思疎通が可能となっていながら、それを行っていないラピスとは異なり、
アキトはユキと行動を供にして、互いの以心伝心が行えるようにすることとしていた。
ユキは黒いワンピースの水着を着て、体は女の子らしい。

アキトは彼女の肢体をわき目に見ながら、クロールを続けながら回想する。
あの子も、成長していたのだろと。

ウインドウに映し出されたのは、記者会見の場であろうか。
客寄せパンダとなった紫銀の髪の少女は、左右に結わえた髪を揺らしながらブイサインを決めていた。
連合宇宙軍少佐、ホシノルリ15歳。彼女の姿はウインドウの記録にあり、
アキトはそれがいつ行われた公式発表かを聞いては居ない。

だが、実験施設に捕らわれて十ヶ月。サクヤと出会ったのが六ヶ月目で、ラピスと出会ったのが八ヶ月目。
救出されて新しい肉体が満足に動かせるようになるまで二ヶ月。トレイニングを行って三ヶ月。
時間が経過するたびにサクヤの胎は膨れ上がり、来月で臨月。
出会った時よりもラピスとアイとサキは個性の確立が著しく、
出会って5ヶ月の娘達は満足に体を動かすことができるようになっていた。

酸素を口より摂取して、手を伸ばす。先にはプールの壁面があり、彼は手を突くと同時に体を引き寄せたと同時に。
上空からの足蹴を受ける。
「な、なんだ?」
何事だと思って見上げれば白いワンピースの水着を着て、スイムキャップを外して髪の毛を外気に曝す
ラピスが腰だめに浮き輪を抱えて指をプールサイドに向けて挿した。
「お客さんだよ。」

久しぶりといえる会合だった。
真ん中で分けられた黒髪と、口元にわずかに整えられた髭。眼鏡をかけた姿は、
アキトが最後に見たときよりも年季のこもったものであった。髪にはよくよく見てみれば、白いものが混じっている。
「来て、くれたか。」
プールの飛び込み台に座って自分の頭を蹴飛ばしたラピスを見上げる。

「ありがと、ラピス。」
プールより浮上。プールサイドによじ登る。
足の裏にはプールサイドに敷かれた人工芝がちくちくと刺激をあたえた。

アキトはプロスペクターと彼の連れてきたスーツ姿のツキオミと相対した。
「はじめまして、といいましょうか。」

ユキもまた、プールサイドに立ち上がって自分の背後に付いたことを確認。
いや、気配だけだが彼女がしっかりと居ることを知る。
「いえ、そうでもないように思えます。」


プールに到着した時点で、ネルガルシークレットサービスは一人も警備に配置されていない。
此処にくる前から監視カメラは施設内を映し出し、映像を見てプロスペクターとツキオミは驚いた。

正面玄関カメラに映し出された一台のバンから出てきたのは、幼い少女が六人に妊婦が一人、
そして何処かで見たことのある面影を残す青年が一人だった。



まず最初に駐車場に降り立った少女達に視線が釘付けと成った。
季節は春の手前、冬空に降り立った少女達は例外なく金色の瞳で見渡していたからだ。

もう一人の妊婦は、彼ら二人からしてみれば、一般人であるという認識で定まった。
だが、なぜこのような組み合わせが、交渉にやってきた人間なのかが、理解に苦しむ。

そうして、最後に運転席から降り立った青年に、プロスは若き時に喪った友人の面影を見るける。
「テンカワ、博士。」
若きときのプロスが部下としていたテンカワ博士、その面影を持った青年だった。

「馬鹿な、彼は今もって捜索中の対象だぞ。」
ツキオミは何故テンカワ博士の面影を持つ、おそらくはテンカワアキトであろう青年に疑惑の念を抱いた。
ボソンジャンプのA級ランクに該当する人間は火星で生まれ育った人間だ。

彼らは、ネルガルの追跡する旧木連のクサカベ一派に拉致され、ネルガルは彼らの身柄を確保すべく奔走していたのだ。
「救出すべき対象が、」
ウインドウの画像が変わる。
プールに着替えた彼らは堂々と入り、少女達がこわごわと浮き輪を装備した状態で、
妊婦が一人彼らを引きつれ、青年と少女が二人ウォーキングを解した後に、トレイニングを始めたのだ。
「なぜ、此処に。」

画面ないでは、同じ容姿をした桃色の髪の毛の少女と、
二人の少女が浮き輪でゆっくりとぱちゃぱちゃ水音を立てて遊んでいる。

青年は、一人の少女と共にゆっくりだが、クロールを続ける。
「武器の携帯は、ありえません。参りましょう。」
「しかし、プロス。」

本当に何も武装しないで向かっても良いものだろうか、彼らは無害かどうかなど解らないのに。
「あの方達には、なんら気負いなどはない。ただ遊んで、鍛えに来ているだけ。そして、」
ゆっくりと泳ぐ青年に、プロスは視線をそらさずには居られないのだ。

「アキト君かもしれない、私の知らない知人に会うためには。直接向かわなければでしょう。」
車が停車して、プロスはフィットネス施設へと向かい、青年と相対したのであった。



「あなたは、テンカワアキトさんで、よろしいですね。」
「いいえ、と言えるしはいとも言えます。」
それは、灰色の定まらぬ彼を表す。
「では、あなたは誰になるんでしょうか。」

「アキト・ヘミング。連合宇宙軍火星慰撫舞台所属の少尉です。
今日は連合宇宙軍ではなく、個人としてあなたと、ネルガルへのお願いがあって参りました。」
彼に瞳をあわせたまま動揺無く、確認をするように視線を送った。

「いいでしょう、お伺いしたい。」
後ろに控えるツキオミの無言のプレッシャーは気になる。だが、彼とて理解しているとプロスは思うのだ。
彼は嘘を言っていない。

「アキト・ヘミングくん。」


デッキチェアセットが置かれたレストゾーンへとプロスは誘われた。
デッキチェアに座って顔を見合わせたのは、アキトとラピスとユキ、プロスペクターとツキオミの5人だった。
事前に行ったわけではないが、サクヤが飲み物を運んできた。
コーヒーやココアなどの暖かい飲み物だった。

「今回、連合宇宙軍はネルガルと共同で旧木連のクサカベ一派を一掃する作戦に打って出ようと思っています。
これは、ネルガルへの協力要請で伝えられていると思います。」

ガウンを着たアキトは、ラピスとユキのガウンの紐を縛った後、プロスペクターへと言った。

「ええ、熱血クーデターにおきましても、ナデシコ艦内で確保していたボソン通信機を介して行われた。
その際に、ボソン粒子を通じた通信に関して、ネルガルはある程度の技術を習得しています。」


「熱血クーデターにおける、ネルガルの立ち位置は、連合宇宙軍のそれと同意だ。
武器や兵糧の支給は、月面のマスドライバーにて物資発射を行って成った。
そして、地球圏と融和するのも、連合宇宙軍が大きな力添えを発揮している。」

ツキオミの付けたしにアキトは「そうだな。」と答え、データを表示させる。
ウインドウに表示されたのは、クサカベ一派と欧州を席巻するクリムゾングループの密談内容や、物資の補給。
実験施設などの所在地とセクションごとのメンバーだった。

「これは、われわれでも掴み得なかったこと。なぜ、宇宙軍のあなたが?」
プロスの疑問の声にアキトは答える。

「連合宇宙軍は、独自にスパイを企業ごとに派遣しているそうです。
ごく一部の派閥内の実力者が、ですが。これはクリムゾングループに派遣されていた間諜が掴んだデータです。」

「でも、あいつも実験してた。」
ラピスの非難じみた、何処か批判する声にアキトは頷かないわけには行かない。
「あいつは、あいつで思惑があって俺たちを助けてくれた。」
スイムキャップを外して髪を手櫛で整えようとするラピスを手伝った。

「現在敵火星の後継者と名乗る、クサカベ一派が拉致した火星人の3分の2を奪還することができました。」
救出された火星人のパーソナルデータと、実験からの生まれた障害、施された術式。死亡者リストもある。

「ふむ、連合宇宙軍が単独でこのような行動に移れたとは、彼らの力も見くびるわけには行かないわけだ。」

「もっとも、こうやって火星の人を救出した事を声高に教授して、こちらに何を要求するのがが怖いですけどね。」
困った、伺うような視線にアキトは苦笑し、ラピスとは反対側の隣に座るユキの短い黒髪を片手で梳いた。

「我々が建造依頼した、ナデシコBが就航寸前まで艤装を終えているのを了解している。
そして、さらにナデシコCへの試験艦を建造中なのも。」

「それはこちらとしてははっきり申し上げにくい。」
白を切るプロスに、アキトはラピスの方を叩いて「たのむ。」というと、すでに外部の艤装が終わった
ナデシコBの姿と、試験艦であろう鋭いレイピアのような船体が映し出される。

これは、ネルガルの技術部が構築した完成予想モデルだった。
「そちらには、マシンチャイルドの技術があるが、完全なる子供は居ない。
そして、こちらには6人居る。あまり隠し事はしないことです。」

突きつけられた情報は、本来ネルガルのみにある機密データだ。
ネルガルのこういった情報は物理的に遮断されて、社内ローカルネットワークのみで運用されているはずだった。
そして、それら情報のセキュリティーは1年前にホシノルリによって構築されたプロテクトに阻まれている。

「如何に優れた防壁を誇っても、独立したローカルネットワークであろうと突くことの出来る隙がある。
そのことを、理解してもらいたい。」
「ええ、そういたしましょう。」
プロスペクターはそう言ってアキトに対応してくれた。

言いながらアキトはヤマサキから与えられた策によって出来たデータの奪取を、
本来ならば出来ないことであることを理解している。

確かに物理的に遮断されたネットワークには外部からネットワークに接続するのは不可能だ。
現在ネルガルで開発中のナデシコC用デバイサーである、
ボース粒子を介した新型無線コネクタが使用されない限りは不可能である。

遮断されたネットワークは、システムである機械のみが遮断されているのだ。
もちろんながら、それを使用する研究者の行動は制限されることも無く、彼らは彼らの生活の一部として関わっている。
ここに、付け入る隙があるのだとヤマサキは行動によって示した。

まず、ラピスの力が使用されることが前提的になる。
ヤマサキはネルガルの研究者リストから、機密情報が遣り取りされている地下施設で働く人材を捜査する。
そうして見積もったリストの家族構成や生活状況を確認し、接触しやすい人物を選んで直接話しかける。

もちろん、この時点で接触すれば怪しい人物と接触したということになる。
ネルガルにこの接触が告げられるのも間違いない。

そこで、妻帯者であり小遣いで金銭をやりくりしている研究者に接触したのだ。
ネルガル自慢の防壁によってハッカーはその機密データを知ることは出来ない。
だからこそ、見せて欲しいのだと。

時間にして5分足らず、指定された時間に通信端末のお互いしか知らない暗号通信で内部を
社内コンピューターの暗号解読装置を使わずに閲覧させてもらう。

「なあに、短時間で暗号解読フィルタを通さないで閲覧させてくれといって、
情報の一端でも解読できたら少々だすと言えばいいのですよ。」
などとヤマサキは研究者の一人にコンタクトをとって、ラピスがネルガルに進入する機会を作った。

「あとから、結局解らなかったと言って差し上げるだけです。」
そういって、人差し指と親指で作った丸をアキトに見せ、ラピスやユキは理解し難たそうにしていた。


ネルガル内部のネットワークに頻繁に侵入する機会は与えられない。
それこそ疑われるからだ。

さらには、アキトは連合宇宙軍としてこの行動を起こしておらず、個人的に行動を起こしてる。
企業内部の開発情報などは連合宇宙軍には開示していない。
ヤマサキだけに知られているのみ。

「もちろん、こちらはネルガルの開発資料は見なかったことにして独自生産はしません。」
「そうしていただけると幸いですな。」
安堵のため息をつくプロスに、アキトはラピスに彼女の腕に巻かれたコミュニケを操作させる。
「こちらが提供するのは、火星の後継者の主要機体スペックと設計図。
そしてクリムゾングループのクーゲルに関するデータだ。」

本来ならばありえない情報がウインドウで表示される。
「何ですって!?」
ウインドウにはそれぞれの出力や、装甲に関するデータ。
関節部などの駆動パラメータやエンジンユニットの設計図や注意点が映し出された。

「如何な間諜であろうとも、此処まで精密な情報を得ることは至難の業。宇宙軍、侮れん。」
「もちろん、これらは連合宇宙軍でも理解されていないものであり、内部公開すらされていない。」
ツキオミの危惧する言葉に、アキトは釘を指す。
「地球連合政府に統合する前の世界大戦における武器生産条約で決まっているのは、そちらもご存知のことだろう。」
「ええ、もちろんです。」

連合宇宙軍は、過去を顧みて内部研究開発を行うのが許可されており、一部では実地製造も行われている。

だが、それらはあくまで極少数のことだ。
兵器の類は企業が研究開発の担い手となり、企業プレゼンテーションによって軍は企業より兵器を買う。
これによって、軍は独自の開発ルートを持っていても、実験機止まりで量産は行えない。

そして、企業は彼らの申請する実験区域のみで宇宙軍や連合政府に内密で実地訓練を行っている。
「だからこそ、極秘裏にナデシコフリート構想にあるもの。
無人機格納護衛艦のデザインシップの共同運用と、エステバリス及び機動兵器の共同開発を依頼したい。」

「共同開発でしか。ですが、それでは私どもに利益が集中する様子。そちらからも何か条件付けがありましょう、」

プロスペクターの指摘に、秋とも虚偽無く頷く。
「私たち連合宇宙軍のに火星人慰撫部隊が存在しています。ネルガルもご存知かと。」
「ええ、存じております。」

「その火星慰撫部隊において、現在人材の補充が成されまして。
新たな戦略とは行きませんが、ボソンジャンプの戦略的活用と研究を行うのが正式に決定しました。

そちらが演算装置を搭載した機体で単体ボソンジャンプを成功させているのは知られています。
そこで、実際の作戦行動も含めて、ナデシコBよりも最新の研究データを提供いたしましょう。」

この会話で、いかほどの情報がプロスに提示されただろう。
火星人の増員と言うことは、クサカベに誘拐された実験被験者の火星人連合宇宙軍に席を置くこと。
復讐に走るであろう人員を慰撫部隊で活用する。
ボソンジャンプの実験を行うには軍単体で行うゴーサインがでたことだ。

もちろん、秘匿義務を採らねばボソンジャンプの研究データを押収されるのは目に見える。
共に協力しようというのは、ネルガルのみで何か独自研究をしてしまうかもしれない。
しかし、それを抱え込みたいと言うことなのだ。

「ですが、そちらからも条件がございましょう、」
「ええ。こちらの条件はその実験間をナデシコB以上に実践配備することです。
正規、不正規であろうと戦場に赴くような条件で。」

アキトの条件に挙げた実験艦の使い方は本来の実験艦とは大幅に手間隙が要るだろう、
実際に成功するのかを試して、実験する攻撃威力や、ジャンプ現象を観測して情報を収集するのが実験艦のはずだ。
しかし、アキトがいう艦の運用方法は、正規に配備し荒れた軍艦としての使用だ。

プロスは、実際に彼がどのような思惑でこれらの条件を提示しているのか知ることはできない。
アキトはこの条件を大真面目にプロスペクターに告げているのだ。

それに、プロスは反対意見を述べたくなるのも当然だ。確かに情報は得られる。
だが、それを望んで彼が行っているのだろうか。
「それらは、本当に火星の方々の望むことなのでしょうか。」
「もちろん、これが火星人の総意ではありません。ですけれども、ひとつの敵、
実験に必ずや彼らは力を貸してくれるはずです。人道的配慮の施された実験ならば。」

プロスはその言葉を聴いて、「ふむ。」といって頷いた。

ツキオミとしても思案顔を崩さないで居るが、
プロスが下すであろう判断を察しているのか呆れたようなため息をついた。
「良いでしょう。実験艦の運営方法に関しては、こちらも口を出させていただく。」
「ええ、よろしくお願いします。」
肩にスポーツタオルを掛けたアキトとYシャツにベスト姿のプロスは互いの手を差し伸べて握手するのであった。



ラピスとユキは、二人の交渉の姿を横目で見ながら二人ともお互いを監視していた。

ユキはラピスの知るマシンチャイルドの中で一番年長と言える。
ホシノルリ以前に開発されていたプロトタイプマシンチャイルド。
ホシノルリに、ラピスラズリに至らなかった娘。

彼女の年齢は十八歳。現在のアキトと、妊娠中のサクヤと同い年なのだ。
サクヤのように生き強い、たくましさは感じられない。
それでも、何処か意志の強さを感じさせるときが、運動訓練中にあるのだ。

アキトは彼女を選んでラピスともども行動を一緒にしていた。
サクヤとアキトは同じ体力訓練を受け、二人が共通の技術を学んでいる。

当然、若返ったアキトに残留している遺跡の力によってリンクがつながれているラピスもまた、
それらの知識と肉体の動作感覚を学習する。実際に鍛えれば、ラピス自身が使用できる技術だ。

確かに技術は勝手に肉体と思考に伝えられる。過程が他人任せになった、張りぼての知識。
ラピスはそれが悔しいのだ。

ユキはごく普通の体つきをしているといえる。
だが、ラピスからしてみて一般的な見方はユキに対する正当な評価ではない。

貧弱といえる体であろうとも、筋肉の付き方は通常の女性を遥かに越えている。
皮下脂肪が付かず、付きすぎずという体は、ラピスから見ても羨望すら覚える綺麗さなのだ。

自分がなってみたい方向性のひとつを示す女性が、ユキだった。
過程であろうとも同じマシンチャイルドであることが、余計にラピスに劣等感を抱かせる。
身長はアキトのお腹の上くらい。

体重は38キロ、スリーサイズは殆ど同じでわずかにお尻がふっくらなラピスは、
やがて成長する自分の未来と、運動能力の発達具合が心配だった。


プロスとツキオミは次の会談を行う場所を告げた後、ネルガルへと戻っていった。
会談中アキトは久方ぶりに会う、過去の知人達と話したりネルガルや社会の状態を知らされた。
ヤマサキから裏の情報は知らされていたが、実際の社会についてはいまだ詳細は聞いていなかった。

連合宇宙軍、木連の軍人が多く所属する統合軍。
ネルガルが衰退したことと、エステバリスとクリムゾングループのステルンクーゲルの軍実装状況。

アカツキやエリナ、の状況を聞かされて死んだことになっているというイネスが
地価研究所に生活していることを聞くと、アキトはらしいなという笑みを浮かべた。滅多に浮かべることのない表情だ。



ユキはラピスをわき目で見ながらアキトの表情に目を見張った。
わき目で自分を観察してくるラピスに関して、彼女は視線をどこに向けられているのかを感じている、
自分の足や胸、お腹や容姿など。競技用のピチッとして体のラインが出やすい水着の、女性らしい部位だ。

アキトがラピスに向ける感情と幼いながらラピスがアキトに向ける感情を、ユキは一重に愛情と感じている。
彼女もまたアキトから向けられる感情を曖昧ながら判定している。
アキトがユキに向けるのは冷徹なる命令と、情愛のこもった信頼だった。

テンカワアキトと言う存在は、特にユキにとって曖昧な存在だ。

彼女がアキトと出会った時、錯乱状態にもある彼は三人の少女たちを救い出し、吸血を行った。
感覚としては快楽だった。
体中の神経が研ぎ澄まされ、やさしく愛撫されるような陶酔感と何もかも晒し出したという羞恥心。

吸血を行った彼は、ユキと彼女の妹であるボタンとミゾレを救出して彼女達を居空間に保存していた。

そして、彼女達を現実世界に戻すことが出来る状況になって彼は、ユキたちを呼び戻して彼女達は現在に至る。
アキトが何者なのかは、彼女達は疑っている。
脳裏によぎる彼の力は、人間のものとはかけ離れている。ボソンジャンプの使い手、
空間と時空に干渉する力を持つ人間らしい生き物。


そんな理性的な感情で捉えれば彼についてゆくのははばかれる。
だが、人間として付き合えば彼は好意を抱くに値する人間だった。
「泳ぎを再開しよう。行くぞ。」

故に、プロスが去った後で再び泳ぐのに誘われて拒む必要は感じなかった。
「ラピスもな。」
脇に置かれていた浮き輪を取って、アキトはラピスも誘った。
訓練的なものではないとユキは判断する。

嬉しそうにしながら、戸惑いを覚えるラピスにユキは手を差し伸べる。
「行きましょう。」
アキトの妻となっているサクヤの口調に自身の言葉を似せる。
彼女のような一般の人間の言葉は、痛烈なまでにユキには暖かい。

ならば、ラピスもそういった言葉を向けられればいやじゃない筈。
「う、うん。」
ガウンを縫いで、髪を纏めたラピスはユキに手を伸ばす。

初めてだった。手を繋ぐことなんて、何時も会話をハキハキとするしかない二人にとっての直接の接触。
お互いの手を取って、お互いがあったかくって二人は思わず互いを人形ではないと、人間であると認識するのだった。

「で、二人は少しは仲良しになったの?」
髪をアップにしたサクヤの隣に座って、アキトは頷いた。

室内は暑いといえるくらいだが、温水とはいえプールからあがって冷えた体にはちょうどいい。
じんわりと汗が額に浮かび、あとのシャワーが楽しみになる。
「さあね。でも、話すだけよりは触れ合うことをするようになった。
話すだけより、触れ合うこと、触れ合うことの次に共感しあうことさ。」
サクヤから見て、ラピスとユキはどこと無く距離を置いていた。ミゾレやボタンは他のアイとサキ、
ラピスにも分け隔てない。研究所での生活など無かったように振舞っていた。

時折お母さん役となるユキとサクヤの布団にもぐりこむことは多いが。
殊更に珍しいのは、最年少のミゾレがアキトの布団にもぐりこむことだった。

そのような事を除外して、ラピスとユキは仲というものを形成できていなかった。
それでも、浮き輪につかまるラピスと彼女の浮き輪を押して泳ぐユキの姿をプールで見られることは収穫だった。

「そう、確かに仲が良くなったように見えたのだから。成功かな。」
「ああ。君の運動にもなってよかったと思う。」
アキトの視線はサクヤのおなかへと向かう。膨らんだおなかによって背骨が少々曲がり気味になったり、
歩く姿勢を必然的に変えたサクヤは長時間の運動は行っていなかった。

実験ラボからでて4ヶ月は普通に行動していたが、本来の体力は戻っていない。
鍛えようが無いからだ。妊娠したことで、彼女はアキトと居る時間が必然的に少なくなっている。

それでも、彼が教えてくれない目的に邁進している姿は、
脱力して死に損ないだった時と比べようもなく良いと感じていた。
「もう一ヶ月もないのね。」
「そうか。」
性別はわかっていない。いや、知ろうとしなかった。
「もうすぐ生まれるのか。」
体を脱力させていたアキトは、サクヤの顔を見上げるようにして笑って見せた。


あとが
ユキが14歳だったり、18歳だったので18歳に統一。長門じゃないぜい、名前は長門有希からだったけど。
もうそろそろでHTMLのストックが尽きる。次はマシンのFRXとかだ。面倒だが、読者諸君は楽しみにしているのだろうか?

改訂2008.6.12