世界樹に身を捧ぐ

「ここはどこだろうね。」
娘がひとり言った。

「さあ?わからない。」
もうひとりの娘が言った。
「でも、ここは・・・」
さらにもうひとりの娘が戸惑うように言う。

「「「地獄」」」
三人の声が一斉に唱和した。

容姿とひとつとして違える事の無い娘達。桃色の髪の毛に、金色の瞳。
そして、白磁器でできているような華奢な体。

全ては人形、人間に似せて作られた被造物のような外見だ。
だが、人間にあるまじき容姿である彼女達に、人間だと主張するものを見つけることも出来る。

それは血管だった。白磁器めいた体には、うねうねと蔦が絡むように青と赤の血管が張り巡らされているのだ。
よくよく見ないと解らないが、それは彼女達を人間に至らしめる。
容姿を人間に似せた人形とは異なる、人間たるものとしての存在が彼女達からは漂う。

「あなたたち、そんな風に言うんじゃ面白くないわ。」
彼女達の居場所となっているベッドに対面する机、その机の椅子に座っている女性が言った。


白衣を着て、腰まで届く栗色の髪の毛はうなじで止められている。怜悧な瞳は童顔の顔におさまり、
この場所には場違いとも思える空間に自身の場所を置く女、柊雪穂だ。
「なんで?」

娘が言った。目の前に居る研究員の女性のことを、全く理解できないと言うわけではない。
だが、彼女が言うとおりだとすれば、此処は一体どう表せばいいのだろうか。


「ここは、人が実験を受けて、死ぬときも在るでしょう?」
もう一人の娘がいった。それは、地獄のような世界であるという処断。
「でも、そうかも・・」
三人目の娘が柊博士がいうことを僅かに読み取って、研究員である柊の言葉を肯定した。

「そうね、ここは人の生と死が重なる場所。」

雪穂が口を開き、この現状をなんと表せばいいのだろうかと悩む。
三人は彼女を見つめ、答えを求める。

真摯なる瞳は、彼女達には無い。

知的好奇心のみが彼女達の瞳を動かし、瞳に感情の色が投影されることは無い。
ただ、人形が学習するような様を感じさせる。

「でも、生きてるだけで儲けものよ。生きていなければ苦しむ必要も無いけど、考えることも喜ぶことも出来ない。」

難しい巌めいた苦悩の表情は見つけることができない。それが柊博士の答えだった。
答えがいかに適性であろうか。生きているだけで儲けもの。
それは正しい。

だが、彼女の答えが現状を表すことを拒否する、雪穂博士の人間らしい逃避行動であると、ラピスラズリは思い当たる。
生きているだけ、死んでいるだけ、生きて殺して、殺されて、死んで。

それは、世界そのものを表すことに他ないのだ。人間は、何かを殺して、食している。


だというのに、殺すという過程を一部の者に譲渡している。世界の縮図がこの研究所のすべてだったのだ。
三人娘が考えるようにお互い向き合って、討議を始めようとする。
だが、その討議は始まる前にドアが開いて運ばれてきた担架の騒々しい音で中断させられた。
入ってきた担架に乗せられているのは青年だった。

洗浄の時間は二日に一度だが、うっすらと無精ひげを僅かに生やすのをみて、最近洗浄したと推測する。
次に入ってきたのは一人の男性が乗った担架を運んできたヤマサキ博士と付き添いの、
肉感を感じさせる亜麻色の髪の女性だった。


ヤマサキは笑いながら来て、女性は柔和とはいえない表情のまま心配そうな視線を青年に向けていた。

彼女は運ばれてきた男、テンカワアキトの安否が心配だった。
それでも、室内に入ってきて蛍光色の何かが視界の隅に入ったら、視線を向けられずには居られなかった。

そうして、向けられた視線の先に異常を彼女、サクヤ・ヘミングは知ることに成る。

少女は三人とも同じ容姿に同じ体格、同じ背丈だった。

少女達は一体何事だろうかと青年の乗せられた担架に寄る。

未だに据わらない首がふらふらとして、歩きなれない筋肉が不平の変わりに痛みを催させるが、好奇心が打ち勝つ。
次の瞬間、彼女達は体の変化を感じた。
高揚というべきか、脈動というべきか。体が熱く、何か嬉しがるように脈動する。

次に、三と呼ばれていたラピスラズリは最初に青年の頬に触れた。

黒にも似た、茶色の髪のぼさぼさな髪の毛、閉じられた瞼の下には、
隈ができており、ざらざらとする無精ひげが茂っていた。

頬は柔らかいと硬いを持っていて、不思議そうに撫でた。だが、次に彼女は視線を感じてちょっと驚く。
青年が起きていた。
だが、身体を動かさず視線だけで三のラピスラズリを見返していた。
一と二のラピスラズリも青年の体を不思議そうに眺めたあとで、彼の手をとって自分の頬に当てさせた。


体の自由がないのか、力ない手は彼女の力で動かされる。
腕は重かった。人を構成する部品の一部。

彼女達の感覚で重い重量だが、彼女達はしゃにむに彼の手を求めた。
頬に名前を知らない彼の手を当てて、彼の腕に伝わる鼓動を聞く。

三と呼ばれるラピスの高潮する感覚は最高潮に、そしてその温もりは安らぎを与える。
「ああ。」
「なに?これ。」

一と二のラピスラズリが不思議そうに声をあげる。二人は男に触れていない。
だが、男に纏わり付くそれに彼女達は気づいた。

いや、気づかされたのだろう。

周りの者達は何が起きたのかさっぱり理解できない。ただ、目の前の出来事を観測するように見ていた。
青年は体が動かないことに苛立ち、視線だけで少女に恐れを感じさせる。

だが、その視線は三のラピスラズリを興味深そうにまなぐさっていた。
「お、まえ。だれ、だ。」
途切れ途切れの言葉に、三のラピスラズリは答えようかと思って、やめる。
「おしえてもいい。けど、貴方の名前からおしえて。」

男は思案せずに答える。「テンカワ、あきと。」と。

そして、三のラピスラズリはその名前を頷いて聞くと、自分の名前を言った。
「わたしは、ラピスラズリ。」

出会いは約束されたもの。因果の糸が彼らを結いつけよう。だが、その因果は必然なのか、人為の努力によるものか。

SIDE saki


ラピスラズリという存在は世界に存在して世界を観測することが役割だった。
電子世界における支配者、女王。

女王として、妖精として作られたマシンチャイルドが最高の結晶体。

ラピスラズリはホシノルリの影で生まれた、
瑠璃と同位の元素記号で構成されたトルコ石の一種。その名を関した研究の結果だ。

生き残ったのは僅かに三人。
私たちは自身をラピスラズリだと疑わない。ひとりひとりがラピスラズリなのだ。

だが、急性な動きによって起きた筋肉痛から目覚めたテンカワアキトは、私たちをラピスラズリではないといった。
そして、三の番号で読んでいた彼女をラピスラズリだと言った。

つまりは、彼は私たちをしっかりと見分けているのだ。

彼は覚醒した後に、柊博士とヤマサキ博士の説明を聞いて。ため息をついた。
ヤマサキ博士が彼に告げたのは、私たちの教育を任せるという内容だった。

疲れているのか、消えることの無い隈はそのままに、彼は答えた。
「俺は解った。わが、あいつはどうだ?」
テンカワアキトが指すのは、彼についてきて看病を手伝った女性だ。

亜麻色の髪の毛と、やせ細っているが綺麗と思えるような体の線をしている。
オマケに、お腹は膨らんでいないが、赤ちゃんが居るのだと言う。

「私も良い。」
サクヤ・ヘミング、テンカワキトの子供を身ごもった彼女はそう答えた。
「そうかい。」

呆れるような、納得するような感覚でテンカワアキトは、私たちラピスラズリと暮らすことを受領した。
だけど、私たち全てがラピスラズリだと知ると、彼は私たちに向かって思案げな表情を見せた後に、名前をつけた。

「お前が、サキ。」
私の名前らしい。
「お前がアイ。」
二と読んでいた彼女だ。
「それで、お前はラピス。」

三と呼ばれていた彼女。何を言っているのかは、要領を得なかった。
いや、意味はしっかりと理解していた。私たちの名前をつけたのだ。

ふむふむと納得したような表情でテンカワアキトは私たちの頭を撫でた。

ぐしゃぐしゃと髪の毛が乱れないような優しい仕草。
三とよばれていたラピスが一番にアキトに懐いたようで、彼についてゆく。

残されるようになった私たちは、彼の妻というサクヤに連れられた。
ヤマサキ博士は私たちを新しい棲家に案内した。


畳の敷かれた8畳の部屋。トイレと風呂場があることにテンカワアキトは驚いていて、ヤマサキ博士の言葉に驚いた。
「で、テンカワくん。いつか此処から逃げたくない?」

ヤマサキ博士は面白い遊びを提案するように言って、テンカワアキトは頷いた。
頷きはしたが、テンカワアキトの顔には疑問と、疑念の表情が表れている。

私たちも、顔の表情筋肉が発達したならば、彼のような表情を浮かべていただろう。
だが、浮かべられない。博士の対応を待つ。

「じゃあ、一ヵ月後に逃げよう。」
何の躊躇も無く、ヤマサキ博士は言った。
「でも、おまえは研究を続けたいんだろう?なのに何故?」
「なに、」
なんていってヤマサキ博士は言った。

「欲しい致死の実験データは手に入りました。無駄に殺すような実験などしていても科学者の技量は上がらないからですよ。」
ヤマサキ博士はテンカワアキトとしばらく話してから、「それじゃあ」と言って帰っていった。

ヤマサキを見送らず、部屋のドアが閉まる。
個室の中で、サクヤが私たちの名前をわかっているのに、見分けられず戸惑っている。どうしよう。


あまり長くない時間で私たちはテンカワアキトをフルネームで呼ばすにアキトと呼びはじめた。
彼は私をサキと言って、いまだ見分け切れないサクヤも、そしてアイとラピスも呼び方を変えない。
私はサキの名前を受領した。

SIDE ai


彼の腹と胸に私の手のひらが置かれる。
彼の腹と胸にサキの手のひらが置かれる。
彼の両頬にラピスの手のひらが置かれる。


眠るようにまぶたを閉じた彼、テンカワアキトに私たちの意志を繋ぐインターフェイスの手のひらが置かれる。
アキトの体からはナノマシンが光を放ち、私たちが情報処理と干渉を始めると同時に、私たち自身も光っているのだろう。


私たちがこの状態、情報処理を全開で行い、ナノマシンを活性化している状態は光を放ち、
私たちを人間とは異なるものだと処断するように顕現する。
アイ、その名前を受け取った私とサキと呼ばれた一のラピスラズリ。

三と呼んでいたラピスラズリはそのままのラピスラズリの名前を受け取って、此処に居る。
テンカワアキトとサクヤ・ヘミングに出会ってから既に一週間が経過していた。
最初は二人に対して僅かな警戒心を抱いていたが、私はラピスの次に彼らに順応した。

アキトはふわふわと居所無く過し、私たちの目の前でサクヤと接吻して、私たちにも接吻してきた。
風呂を共にもした。羞恥と言うものは知らなかった。けれど、私の全身は風呂に入っているだけでなく熱くなった。


サキとラピスを見る限り、彼女たちもその例外ではなかったらしい。
サクヤは非常に不器用な人に思える。
私からみても美人という部類に入り、いつかは成りたいと思える魅力的な体は同性からみても綺麗と思った。

電子世界、そこは無秩序なものが一切存在せず、ラピスラズリという存在が生育される揺り篭だとしたら。
此処は、現実はラピスラズリを試す荊の苑なのかもしれない。

なんて詩的に思ってみた。

サクヤは私たちを見分けられずに、最初はどうすれば良いだろうかと思案げにしていた。
けれど、ヤマサキ博士が持ってきた物でそれを彼女は解消した。

リボン、それが私たち三人のラピスラズリに与えられたものだった。

サキは髪を一つに結い、私はチョーカーやタイの様に首に結い、ラピスはアキトに肩に結ってもらった。
サクヤはリボンで私たちを見分け、次に私たちの性格を読み取った。
私はサクヤと一緒に居ることが多い。サキがその次で、最後がラピスだろう。

ラピスは私たち三人のラピスラズリの中で一番テンカワアキトに心酔している。

彼女は一般常識でキスされたことを怒って、それからアキトに何か言われて赤くなった。
風呂に入ったときもおっかな吃驚というのだろうか?びくびくしていた。

だが、それでも彼女はアキトが気になってしょうが無いのかもしれない。
サクヤは実験の数が少ない。

腹に赤ん坊が宿っているために、薬が使えず、ナノマシンの実験も中止しているからだと言う。
だから、彼女は編物をして、今日は三人のラピスラズリとテンカワアキトの実験だった。

電気信号という微弱な電気で人体は命令系統を形成している。
ナノマシンを体に入れた人、IFSインターフェイスを取得しているものは、ナノマシンの補助脳を構成する。

これは、脳内に固体として存在しているわけではない。

そんなことをすれば感覚不随になる。

補助脳は脳の固有の位置に定着して電気信号を解析して命令する指揮系統にあたる。
だからナノマシンの統制などと言うことが出来る彼は、動座博士によると興味深いものなのだそうだ。
だが、私たちの意志が彼の補助脳に、彼の意思に干渉しても何もおかしいところは無い。

「ああ、」
ナノマシンの軌跡を輝かせながら、アキトがうめくように、愉悦の表情を浮かべていた。
「嬉しいよ。」
言って、涙を流した。
けれど、その涙は青い涙だった。青の涙は頬を伝い、首筋を伝い、彼の座る担架に落ちる。
しかし、それは担架に染みないで固まる。

青の鉱石だ。私はアキトの補助脳との接続を切って、その鉱石をつまんだ。
動座博士の声が聞こえた。

「チューリップ、クリスタル。なのか?」
ラピスとサキもアキトとの接続を解除して五滴の涙の鉱石をつまんでしげしげと見てみた。

青いそれはとても綺麗で、アキトの涙はいつのまにか普通の。塩分を含んでいた涙に、透明な涙になっていた。
ラピスはそれがとても不思議そうにして、サキに言われて実行する。

ラピスがアキトの目元と頬を舐める。ぺろぺろとデータでみた猫のように。
「しょっぱい。」
言って、ラピスは眠りに入った。
アキトを覗き込んだ。涙を流した後で、小さくつぶやいて彼の肉体は仮死状態に移行する。
私たちが把握できている訳ではないが、彼の肉体に手を置いてみて、補助脳に接続すると、何処かへと繋がれている。
接続を行う。



いずことも知れぬアクセス先は、膨大な情報と囁きかけてくる声にあふれかえっていた。
溢れかえるイメージは、ラピスラズリ三人の脳裏を駆け巡る。

人が溢れかえるイメージ。いや、形が人間なだけで異なる存在の塊。
膨張する宇宙。一箇所に終結した粒子が一気に拡散する世界。
螺旋の紐が延々と拡散した宇宙の中に出来上がってゆくさま。
飛び散る鮮血。


オペレーションなどではない。こんなものを相手にしては私達はどうにかなってしまう。
アキトの肉体は痙攣を始め、右腕のつめ先から変化が始まっていた。
青のチューリップクリスタルが彼の爪先から溢れた血液を機転として組成しはじめる。

「これは、なんだ。」

動揺の声は遠く、アキトの獣めいた叫び声がとこだまするだけ。
接続先のイメージは溢れ、ラピスラズリは心の中を覗き込まれるような怖気を覚える。
ただ一人、ラピスを除いて。

イメージが収縮を開始する。繋がれた先が一気に遠くなる。

気が遠くなるような、貧血の感触と共に崩れ落ちる。縋り付いたテンカワアキトの肉体。
その右腕はチューリップクリスタルとなって、無機質な姿を曝していた。

動座博士の実験は終了した。

データを私たちが伝達して教えたあとラピスとサキ、それに私は解放され、アキトも戻された。
動座博士は、人間そのものの形を保ったままで実験を行うことにこだわらない。
確かにアキトは戻された。変容した右腕がなくなったままで。


アレがなんだったのか理解は付かない。それでも、あれは巨大なものだった。




右腕を失ったアキトは、ヤマサキ博士に義手を与えられた。

患者服姿のアキトの腰に大き目のバックルの付いたベルトと、リストバンドニレッグバンド。
ヤマサキが動くこと叶わぬ彼に代わって、ベルトに付いたハンドルを回して起動させた。

闘争の時間に使われる空間で、それが初めて主に力を分け与える。

「君のナノマシンは、君の意思に関係なく、体内でボソンジャンプ状態にさせられる。」
足は速く、室内を駆け巡る。
息は荒く、筋肉は脈動して意思を受領する。

失った右腕の喪失は、痛くもなんとも無い。

麻酔をされていたからか、麻酔が切れた後で、肉体は鈍痛を伝えた。
失った部品への手向けか、どうだか知らないが、涙があふれ出た。

「ナノマシンの行動ログによると、ボソンジャンプを行うのは被験者の意志がトリガーと成っている。
そして、トリガーを引く感覚の残留はナノマシンを過剰に摂取した被験者の内に現れています。

共通するのは、幼児の時にIFSを身に付けた者と火星で生まれ育ったもの。 動座博士と私は別々に推察していますが、それらは真実の一端に過ぎません。」

闘争の時間に使われる施設で、アキトは走っていた。失われた右腕義手と、鎧を身に着けて。
バランスをとりにくそうに、不恰好な走りを見せるアキトにヤマサキが何かを投げつけてくる。

クナイというもの、小型の投擲に特化した小刀だ。
手裏剣のようなそれは、回転するもので、必死で回避する。
「正直動座博士の考察は推理めいていますがね。」

息が上がりすぎただろうか?犬が散歩の時に発するようにアキトの息は荒くい。

肉体は喪失に慣れない虚脱と無力さに怯え、心と理性を持って体を叱咤する。
それでも、叱咤された肉体は怠惰に生きた時間を反映している。


頭には、感覚が俊敏に成った体からは通常の感覚不信の時ではありえぬ情報量が回っていた。
まずは空気、常人ならば感じ得ぬ重圧。クナイが迫り来る空気の渦すら感知できる。

クナイを避ける。避けるといっても格好など気にしてない、転がる様にして。
起きるのがままならない状況だ。

「君のベルト、防護アーマーには防弾機能が付属してます。
でも、それに頼りすぎず頼いますね。攻撃コードはライダ。」

ヤマサキ博士の声を近くで聞きながら、苛立ちを行動へと向ける。
ベルトに着けられたバックルのハンドルを、左から右へと移動させた。

バチンという音がする。

今まで普通の状態を装っていたそれが本性を表す。黒のアーマーが形成された。喪われた腕の感覚が賦活する。
自分の姿をみて、どこぞの特撮ヒーローかと思った。

格好いいというわけではない意匠だが、なかなか良いじゃないか。
一気に攻める。

この体は、一瞬の時間のみ力を承る。
意思に答え、現実を打ち破る。
近づく男の姿はヤマサキではなかった。先にヤマサキはクナイを放ったが、彼ではない。

編み笠をかぶり、髪を五部に刈った烈風という北辰率いる7人衆の一人。
ヤマサキと自分しか居なかった筈の空間に居た敵に向かう。


烈風は俺を刺そうと日本刀を手で抱え込み、刀身がぶれないように固定して迫ってくる。
だが、その愚鈍さは何たる遅さ。

体を低くさせて、一歩で三メートルを跳躍して、袂に入り込んで鳩尾へと拳を放った。
「雷打」
コードを入れる。声紋認識というらしい。

力が全身から抜けるような僅かな虚脱。次に、放った右の拳にそれが収縮して、放たれる。
一種の電気ショックというやつだ。ヤマサキの作り出した防弾スーツは、
この生体電気を僅かに汲み取って収縮させると言うシステムが売りだそうだ。

ある程度スパークしたナノマシンが拳から剥離するが、
烈風とやらが倒れる瞬間には、既にその空白は他のナノマシンによって埋められていた。

「はい、十分になりますよ。」
知覚できる空間、その端に何かが移動してくる空気の移動を感知する。
次に、人並みに回復している視力でそちらを向いた。

「ああ、ラピスか。」

ラピスが車椅子を運んでいた。彼女のほかにアイがついて車椅子をしげしげと見ている。
アイは何かしら美術的なものだったり工学的なものの形と造詣をよく見ている。

だから、気になっているのかも入れない。
そう思って、世界の境界が一気に収縮した。
「うっ。」

うめきをもらし、今までだまされていた肉体が疲労を訴える。
感じていた空気の動きは感知できなくなり、力なくへたった。

「ベルトは君の変質している体内組成をバッテリーとして稼動しています。 感覚の消失は以前から脳内圧迫で、解消策を考えていましたが、今は変わりました。
原因は肉体の組成変質。得体の知れない何処かに君は繋がっている。 ベルトは変質した肉体を人間の意志下に置ける装置なのですね。
覚悟していてください。ベルトの力なくして君が超人の力を得たとき、君は人間じゃなくなる。」

ぼやけた視界が移動する。ヤマサキが後ろから両脇に手を差し込んで持ちあげてくれた。次に、車椅子に座らせる。
「これから移動手段を確保します。では、5日後に。」
「そうか、五日後か。」
呟き返して、息絶えだえの呼吸音を遠くに感じながら思った。
「五日後・・・・」

それが、ここに居る最後の日となるはずだ。決定した未来など存在しない。ただの予定があるだけだ。



機動兵器を前にして、白衣の男が一人端末を制御していた。
小型の端末キーボードとウインドウ。
それだけで、ディストーションフィールドの出力制御指数を上げているのだ。
「で、こうして。」
手元のキーボードに触れること数度、両端につけられたIFSコネクタに触れ、数度で入力は終了した。
「で、何の用ですか?」
白衣の男は声に振り返り、声の主を見た。

亜麻色の髪に青の瞳。魅力的な肉体は、誘惑の対処となりやすいだろう女性的な美しさを持つ。
だが、そのまなざしが全てを人々に否定する。刺すような鋭い視線だった。

「ああ、呼んでいましたね。」

白衣の男、ヤマサキヨシオ博士は女性、サクヤ・H・テンカワへと振り返った。
端末の操作は途中にして止め、疲れたように首を左右にゴキゴキと鳴らしてほぐした後、左右の肩を順番に回した。

「テンカワアキト、あなたは妊娠二ヶ月にはいって、脱出を明日にして彼をどう思いますか?」
ヤマサキの問いは難しいものだった。

サクヤ・ヘミングから、サクヤ・H・テンカワと名乗り変えてから既に一ヶ月が経とうとする。

その間、彼女はテンカワアキトを見て、編物をして、彼の言動と行動を見てきた。
「さあ、彼は欲望に忠実です。でも、理性的な人間だと思います。」
彼女は彼を見ていた。



彼はキスをよく求めた。自分の頬に、自分の唇に、自分のふくらみを見せ始めた子の宿る腹に。
そして、彼はラピスたちにもキスを求めた。共に風呂に入るときですらあった。

そして、彼は非常識のことをやっていた。三人の少女に常識と愛を説いていた。
特にラピスへと向かって面と言っていた会話が彼女には忘れられない。

「お前の此処は。」と言って、彼はラピスの足の付け根の窪み。
女性の象徴である場所を手のひらを上にして指して言った。

「男にとって性欲の対象だ。どんな男でも、そういった嗜好の女も此処に自分を入れたがる。」
ラピスはまったくもってアキトの無遠慮さに羞恥している様子は余り無かった。

ただ、ほんの少し顔が赤くなっていた。
「どんなに子供でも、ある種の男は欲情する。」
このときは初めての洗浄時間だったのだ。

だから、私はアキトと一緒になってラピスとアイとサキ全員の世話をしながらシャワールームで水を浴び、
ラピスの体を洗いながら言ったのだ。
「じゃあ、貴方も私のここに入りたいの?」
ラピスの言葉にアキトは真実驚いたのだろう。


虚を付かれた表情をした後で、アキトは頷いて見せた。
表情は渋々と、耳は自然と赤くなり、 目の前の対象となるラピスになんということを言ったのだろうという、自責すら抱いているように見えた。

「ああ、お前に何時かは入りたいよ。」

瞬間、激昂する感情があった。弱々しい回答に、彼の愛の対象がラピスへと向かっているのではないかと懐疑した。
それでも、アキトが愛しくも思えた。真っ正直すぎる考えを口にした彼が。


「アキトは、さびしがりやなのかもしれない。」
「ふむ、一人ではいられないと?」


「テンカワ君は常に一人のきらいがありますからね。解らないでもない。
幼いときに両親を無くして私設暮らし。遺族の遺産は搾取されています。

そして、十七歳になって高等学校を中退。理由は記録されず、一時失踪扱いになっていますね。
そして、次に彼の経歴が表にでるのは地球に生還したとき。」

テンカワアキトという男の今までを私は聞いたことが無かった。
だから、反応は難しい。

「それだから、彼はとっても寂しがりやなのね。」

「ええ、そうでしょう。だから、今彼は人から外れているのに、人を求めようとする。」
目の前の男が言うことに驚いた。
彼に呼ばれただけなのだ。

ただ、自分が愛する男が少女へと甘く口付けているのを見たくないから、此処に来たというのに。
「アキトが、人間じゃなくなっているって、あなたは言うの。」
「ええ、」
ヤマサキ博士は答え、私にウインドウを展開して見せてくれた。

ウインドウが展開する。
そこには一人の男が心の内を漏らし、それを汲み取る少女の姿があった。
少女と口付け、少女を抱きしめ、少女の首筋に口付ける姿。

それは「見たくない。」ものだった。

「彼はマシンチャイルドの血液を時たま摂取しているようです。
肉体の内部で行われているボソンジャンプ現象を、私は確認しています。」

ヤマサキはしたり顔で言った、それが現実であると断言する。
「何故、それは起こっているの?」
私は彼を不思議に思う。ヤマサキが博士だから、それを知っているのか。なぜそうなっているのか。

私が彼と二人で寝ているとき、彼は死んでいるに等しかった。触れば鼓動はしている。
だけれど、体の内部から青い光が血管にそって脈動するのは、隠しきれずに私は恐怖した。

「ナノマシンの電気信号伝達ログから、出会った出来事や思ったことを文章に構成する機構があるのですよ。」
ウインドウに少女の首筋から血液が一筋たれるのが映る。

「彼はマシンチャイルドの遺伝子を模索している。
あったことの無い出来事を記憶し、吸血した記憶をおぼろげに覚えている。

自覚していませんが、統合ナノマシン思しき、実験投与した未知のナノマシンが彼を支配しています。」

「それがどうしたの。貴方には関係なさそうだけど。」
「さあ?知りません。」

私は彼が人間であってほしいが、彼が人間じゃなくたって私はいいのだ。
「だけど、彼は何を思っているのか。貴方の感想を聞きたかっただけです。」
「それでは。」といって、ヤマサキは私を元の部屋へ戻るように諭していった。

だけれど、ひとつだけ彼に言うことはあった。
「アキトは、自分の変化に気づいている。でも、気にしていない。
彼は、彼であって人間じゃなくても、人間でも、テンカワアキトよ。」

ドアの向こうの表情は見ない。見なくてもいいんだ。



「明日か。」
一人残されたヤマサキは、感傷に浸るようにして機動兵器、六連を見上げた。烈風が登場してきた機体である。
「明日・・・」
不意に懐古してウインドウを展開してデータを検出させる。

「久々に、お会い会いましょう。」

ウインドウに移ったのは老年になろうという男のデータだった。
茸のような髪型。それをみて、ヤマサキは懐かしさに笑った。



「俺は、一人ぼっちなんだよ。」
現実から乖離したような視線が、はっきりと私に向けられていた。

「虚無が自分を襲うときがある。自分が自分以外の存在になっている感覚がたまにある。」
「怖いの?」

私の脂がちょっと乗り始めた髪の毛を撫でて、アキトは私に言ってくれた。

「ああ、怖いさ。自分じゃない自分は、自分の仕えるべき、守るべき、愛すべき対象を見つけるために。
動いているのが解る。いや、自分もアレそののなのだから、解らない筈が無いんだ。
でも、アレは自分なのか解らないんだ。それで、この自分もテンカワアキトだと断定はできない。」

「どうしてそんなことがわかるの?」
不思議だった。アキトは何が起こっているのか、解らないのに教えてくれた。
頭の片隅から何かが繋がれているのだと、そういうことも教えてくれた。
「アキトの頭に繋がっているのは、何?」

聞いてばっかりの私。知りたがりの私。
私の問いにアキトは紳士に答えてくれる。

「俺じゃ無い俺に繋がっている。古代火星人と呼ばれた知的生命体の用意した何かに。
実験の一例として創られた思考を受け取り、どの粒子にも干渉できるボース粒子を支配するもの。
彼らが出会った、真のボソンジャンパーの肉体に繋がっている。」


「じゃあ、彼らを作り出した人は?」
「さあ?」
アキトは知らないことばかりを教えてくれたけど、その先は知らないのだという。
実際アキトを見ていて、答えを知っているのではないと解る。繋がったどこかからの声を再生しているみたい。

「だから、かな?いや、そうじゃないな。」
戸惑うような言い回し。なんだろうと思って、私は口を開かずには居られない。
「なに?」
アキトは言うのを憚れるように、口もごった後。
「キスをしても良いだろうか?血を吸っても良いだろうか?」といった。

アキトは心配そうだった。
私に拒絶されること、否定されることがとても怖いのだろう。
それを考えて卑屈になるのだろう。


彼の吸血行動は、彼自身にもわからない衝動だ。
意味不明で痛みの伴うそのお願いに、私は彼を受領する。彼を受け取る。
「良いよ。」
後は、彼に任せる。 たどたどしいキスはサキやアイ、サクヤや私にしてくれたような遊びにも、戯れにも似たキスではなかった。

私は、その弱弱しいキスを求め、アキトに酔った。




腕を拳を、奮い立てて流れ込んでくる濁流をそのままに流し込む。
力は激流の大河がごとく流れ出で、男の腹を螺旋に渦巻かせた。

ボソンジャンプを応用したようなものではない、ボース粒子の特性の一端を利用した力。崩御。
それを放ってアキトからみては、喜べない勝利だった。

原住民族および生命体への干渉不可の条約規定。
本来ならば遺失文明である技術に組み込まれた、原住生命体を守るための規定だ。

破棄された技術として、城と呼ばれる状態で太陽系へと流されて、定着させた遺跡の技術。
それには、人に危害を加えないようにしている機構がしてあった。古代火星人の残した置き土産が力を邪魔した。


アキトからしてみれ、6人衆の一人の内臓を潰すという、すぎる力だった。
禁止条項の解約は意識している限りは解約されない。
渦巻いた螺旋は解かれる。殺意と憎悪と行動の意思にかかわらず。


ヤマサキが銃を持って、アキト自身も渡された自動拳銃という類の人を殺傷するには充分のそれを持つ。 ヤマサキが両手で構えて格納庫の警備員を抑えている。

「こっちです。」
ヤマサキとお互いの背をあわせて預けながら、二人は何度も左右前後を振り向きながら機動兵器の元へと進んだ。

ずんぐりむっくりとした機体だ。
牛乳をさらに水で薄めたような茶色を貴重としていて、足はない。
変わりにブースターノズルが複数ついている。デザイン的には無駄を排した気体と言ったところだろうか。
「これか?」
アキトは機動兵器をみて随分とエステバリスとは違のかと思った。
自分が乗っていた機体は足があり、装飾的でもあった。


この機動兵器はどうだろうか?顔のデザインはいいとして、鈍足なんだか俊足なのかわからない。
「六連<むずら>といいます。北辰さんの部下達の機体です。」
ヤマサキは開かれたハッチに掛けられていたタラップを上り、アキトもそれに続いた。
機体の中は狭いが、人が入れるシューターがコックピットのシートの裏に隠されていた。

「ん、で?どうする?」
ハッチに足をかけてアキトは銃を構えながら背中のヤマサキに聞いた。
「ええ、いきますよ!」
アキトは思わず後ろに振り返って、衝撃に足を踏み外しそうになった。
機動兵器六連は飛行を開始していた。
悪態を脳裏でつきながら、アキトはハッチの嵌る壁に着いた取っ手につかまった。
「衝撃に注意です。」

次の瞬間轟音が響き、隔壁の資材が崩れるのが見えた。
ディストーションフィールドの壁に守られながらも、アキトは戦場に立った。

機動兵器六連は飛翔してミサイルで突き破った隔壁へともぐりこみ、狭い資材搬入用のダクトを飛だ。

ダクトを通れることが出来るのは、足が無かったからだ。
最初こそ六連の性能に関して懐疑的だったが、乗ってみて感想は変わった。

繊細な操作が必要だが、操縦者の意思はハンドルコントローラーとフットペダル、
拘束された操縦者の肉体稼動を機体にフィードバックさせ、 優秀なオペレーティングシステムの補助によって操作する。

だが、IFSの方がよっぽど優秀だと知っているために、アキトは随分無駄なことをするなと思った。

地球の市民や軍人はこのシステムを採用したほうが良いと思っていて、木連の人間は奨励しないのだ。

IFSという機械を身に取り込むことを許容する尺度は民族的なものなのかもしれない。
生きることに必要ではなく、体を変異して何かに変わることを人は恐れているのだろう。

「着きますよ。」
六連が体育施設用に大きく採られた闘争の部屋の屋上にあたる通路に六連を停止させた。
通路の床には埋没パネルがあり、隔壁に隠された端末をヤマサキは容易に見つけ出して開いた。

下を覗いてみれば、異常に気づいたものはない。
戦いが終わっており、研究所全体の異常は此処には伝わっていない。
火星の民は一まとめにされて北辰の部下である二人と、黒服を配備させて回りを警戒している。

「これは好都合ですかね?」
ヤマサキはにやりと笑って、アキトと顔を見合わせた。
「そのようだな。警備には事の次第が伝わっていないようだ。」 開け放たれていたハッチがロックされ、機体コックピットに二人の男の呼吸音が聞こえる。 「じゃあ、行きますかね。」
「ああ、行こう。」

六連がパネルを開き、機体を降下させる。
驚愕の表情で天井を見上げる者や不安におびえる者、
警戒の表情でいる編み笠の二人に、混乱を静めるために発砲する黒服。


アキトはしっかりとラピスとサクヤ、アイにサキを見つける。
彼女達がどのような表情で居るのだろうかと思ったが、サクヤと首の据わった少女達は胆が据わっていた。

ただ、何かが訪れるのだという闊達したような視線で屋上を見上げていた。

「心配とかはしないか。仕損じるなんて考えてないな。」
無表情にも思える4人。サキは些か心配そうにラピスと手を繋いでいるのをみると、
彼女は4人の中で随分と人間らしい人間だと思った。
「他の三人が少し違うか・・・」

サキは一番明るく、一般人に近い。だから、三人が少し異常なのかもしれない。
「イメージング、開始してください。」
ヤマサキから指示が入る。

六連はこちらへ発砲してくる警備へと威嚇射撃を行う。
スラスターの噴射口から発射されるの熱量が人へと向かないようにして、
半ば落下するように集められた火星の人々の近くへと着床した。

落下して着地すると共に、周りに編み笠が近づいてくる。
そして、室内にある唯一の出入り口である隔壁が開いて、北辰ならびに動座博士の姿が見えた。
二人が二人とも疾走して、体育施設の中央に集まって六連が落下した地点へと近づいてきていた。

だが、その状況を無視してヤマサキはディストーションフィールドを半円状に展開して、
床にもぺったりと展開させてドームを作ると、シートの背後にある空間にいたアキトへと宣言する。
「いまです!」
動座の車椅子が高速走行で接近したため、ディストーションフィールドの手前でたたらを踏み、北辰が刀を突き立てる。

フィールド内部では北辰の部下が六連によじ登って緊急用開閉操作を行なっているのだから、ヤマサキは気がきでない。
だが、切迫した状況や着地した衝撃など、気になることは無い。

テンカワアキトは戦闘時、空中でエステバリスを操縦していながらもボソンジャンプを成功させてきたのだ。
感覚はわかっている。イメージングも充分。
「ジャンプ」
青の粒子がはじけた。 瞬時に六連とディストーションフィールドが展開した領域に居た生命体や物質は、ボース粒子へと変換される。
研究所との別れである。

だが、その刹那にテンカワアキトは自分の体に熱が突き刺さった感覚を覚えた。いや、熱などではない。
それは眼前に存在する、六連のコックピットパネルが収まるハッチから伸ばされた脇差だった。



脇差は存在し、ジャンパーとしての適正を持っているはずの編み笠の男に問答無用に螺旋の意思を叩きつける。
アキトはそれらの考えを実行し、自分の形があいまいになる感覚を覚えた。
実験中にもあった感覚にだ。
アキトは曲げられる感覚と脇差の痛みから生じた混濁する感情を、現れない声で叫んだ。




ボソンジャンプの決行は成功に終わった。
実験の献体であった火星の民は北辰の配下二人と黒服を連れて、広大な倉庫内にジャンプアウトした。
ヤマサキはジャンプの刹那、額に僅かに汗を流し流していた。
肝は据わっているとはいえ、作戦は命がけとだったのだ。


粒子変換された肉体の再構成時は痛覚神経に処理が割り振られず、痛みが消失したままジャンプアウト。
倉庫内はコンテナやエステバリスのパーツが転がり、頭上を見上げればキャットウォークやクレーンレールなどがある。


何処に移動したのかは、ジャンプ位置を指定したヤマサキとアキトしか知らない。
工場の一種で、護衛艦や偵察艦などの小型船舶を製造する為の施設だとわかった。

「手を上げてください。」
誰も声を発していない状況で、一人の声が聞こえた。
周りを伺い、編み笠の男達は刀を抜刀して、声の主に向かって睨み付ける。

声の主は白髪に白髭を口元に蓄えた男だ。
節などが筋張って見え、年配に指しかかろうというのががわかる。
髪形のマッシュルームカットもやけに似合っている。

それだけを羅列しても男に関しては全て知ること適わぬ。彼は連合宇宙軍の高官の制服を着ていた。
彼が手を上げて、ねえねえと手招きするようして、黒服と編み笠の男達は凍りついた。

見れば火星の民を囲み、黒のアーマーに体を包んだ機銃を構える特殊部隊が銃身を向けているではないか。
六連のディストーションフィールドは既にジャンプアウトしてから解除されている。


当然遮蔽物となる物もなく、盾もない。
ただ、火星の民が居るだけ。
「こいつらがどうなっても良いのか」
黒服の一人が火星人を一人つかみ出すと、盾の様に差し出した。
だが、軍服の男にとってはそんなものはかまわない。


「ええ、非致死のゴム弾ですので、死にはしません。」
恨みがましい視線が黒服から注がれるが、軍服の男はひるまずに狐目の奥で笑って見せた。
「だって、死ぬよりは傷みを負っても生きているほうが良いでしょう?」
火星人からしてみて、彼のいうことは利に適っている。

確かに非致死のゴム弾でも当たれば痛いし、あざなどが出来るだろう。だが、それがどうしたと思った。
生きていればいい。多少の傷みと傷は仕方ないと。

編み笠は縦に並んで特攻する。
だが、相手を包囲している特殊部隊の者からすれば位置によっては外すことが難しいほどだ。
機動兵器のアーマーごとゴム弾が容赦なく叩き込まれる。

アーマーは鈍い音を立てて凹み、男達は痛みの声を漏らしながら耐え、這い蹲ってでも一矢報いようとする。
だが、それは無駄でしかない。
体に当たらなかった場所など無い。
間接が曲がり、骨が折れ、あざだらけになって倒れた二人の男をみて、マッシュルームカットの男は言った。
「どうします?」
答えは簡単。黒服は雇われのサラリーでしかない。



男達が手錠を掛けられ、声も発せられないように拘束具を着けられて連れられてゆく。
ぼろ雑巾になった編み笠の男達は担架で運ばれ、
ヤマサキは自分の背後で串刺しにされたアキトを抱き上げながらコックピットから脱出した。

「はあ、成功ですかね?」
倉庫内には一般の整備服の連合宇宙軍の軍人がタラップを掛けてくれた。
規格サイズとは違うが、ヤマサキはぐったりと意識を失ったままのアキトを抱えて降り立った。

憔悴した火星人たちは回りに在ったコンテナの向こう側へと連れてゆかれる。
何があるのかはわからないが、人として実験体ではない扱いをしているのを見て、サクヤは僅かに安堵した。

そして、人間世界に回帰できたことをひどく喜ばしく感じた。

「はっはっは」等と言いながら、残されたヤマサキと抱えられたアキト、
ラピスたちラピスラズリとサクヤは彼らに近づいてきた軍服の男に振り返った。
六連は相変わらずに損傷したままの機体をコンテナの間に作られた空き地に放置していある。

「どうも、これはこれは…。」
ヤマサキが慇懃そうに軍服の相手に頭を下げた。
脇差が突き刺さったアキト以外のサクヤやラピス達はこの男の見せる、以外な行動に面食らってしまった。

「久しぶりです。ムネタケ・ヨシサダ中将。」
「なに、君が帰ってきたことこそが一番の僥倖だよ。君は潜入したままで帰ってこない可能性があったからね。」

ヤマサキの肩に手を置いて、労を労おうとして辞めた。
彼に抱えられたテンカワアキトの重症を思ってだった。


脇差が突き刺さったままの黒のアーマーに身を包んだアキトと、 髪と首と肩にそれぞれ違う色のリボンをつけたまったく同じ容姿の少女。
僅かに腹を膨らませている亜麻色の女性。


全員が全員随分と特異な身なりをしているが、ヨシサダは笑って見せた。
「生き残ってくれたことに感謝しよう。恨み言や、この状況の理由を聞きたい思いもあるだろう。
だが、今は休んで欲しい。また、名誉の負傷者をすぐに助けてやってくれ。」

先ほど、連合宇宙軍が行なった悪行的行為を棚に上げた言葉だが、
サクヤから見てみれば、こっちの都合もあればあっちの都合もあるという事で受け入れる。

ラピスラズリである三人は些か腹が立つことが在るようだが、 自分達が共にすごす家族のサクヤが何も行動を起こさないので、何もしなかった。

何もせずに、アキトの負傷を心配した。脇差は腹に刺さっていて、血が流れ落ちていた。
テンカワアキトはただ一人、救出された火星人のなかで負傷していた。
厳密に言えば、誰しもが負傷していないとはいえない状況だった。
片手が無いもの、片足が無いものが居た。


髪の毛が脱色したように白くなっていたものが居た。男と女が交じり合った両性器具者も一人居た。
誰しもが救出されたという事態を飲み込めず、錯乱したものがしなかったものよりも多かったくらいだ。
曰く、「コレも実験のうちなのだろう。これからも何かが起こる。」
「実験の延長なの?この先叩き落してくれるのだろう。」など。
一度覚えた非日常は、そのものの日常に変遷する。


常識の変化は自身の生存の可能性を高めるための手段だった。
拳銃を撃ち、撃たれる状況になれば細やかなしぐさに眼を見張り、音を聞き逃さぬように沈黙して耳をそばだてる。

歩くたびに呼吸を静める術を覚え、息をひそめる。
闘争の時間から、圧倒的多数に該当する倫理と法律の狭間にある世界に一方的に、 拒否権も無く回帰したのだ。いきなり適応するわけが無い。

コンテナの向こうで床に座る、救出者たちにアキトを担架に乗せて任せた後にヤマサキは言った。 「あなた達は救出されました。それは、連合宇宙軍中尉である私。ヤマサキヨシオが保障いたしましょう。」

何を言っているのか、完全に理解できたものはどれくらい居たのだろうか。
此処でヤマサキが言ったのは全く持って得策ではないし、賢くも無い蛮行だった。

怒りの視線や、錯乱の力が彼へと向かう。ただ一人ヤマサキは立ち、ボディーガードも立てない。
彼は正面から彼らの憎しみや怒りを受け止める。

「ほんと、なのか。」
誰かが言った。
「ええ、あなた達は助かりました。もう実験も行いません。」
そうやってヤマサキは答える。微笑を湛えて。
「ほんとうに、そうなの?」
彼にすがるように女性が眼を潤ませながら近づいた。
「ええ。」

ヤマサキもまた、涙を潤ませながら答えた。それは、実験のときに見せていた愉悦のような笑みでも、
見下すような実験者の笑みでもない。人間としての微笑みと涙。
錯乱寸前の救出者たちは黙り、沈黙が生まれていた。
「うおおおお。」
たった一つの歓喜の感情の爆発が起こった。滂沱のごとく涙が出でたのだ。それは誰も彼もに伝染してゆく。
彼らは、助かったのだ。

かつてナデシコ長屋と一部のものが言った倉庫内に、給仕を行う軍人達の声が響いていた。
サセボに置かれた軍港の中には、宇宙軍再編に伴い物資を集めた倉庫が幾つか存在する。

第一次火星大戦とトカゲ戦争終了の後、ナデシコのクルーが住んだ軍施設倉庫もまた、そのような状況に至っていた。
物資コンテナが置かれた室内は本来ならば暗い。
だが、本来の暗さを払拭するように煌々と光が燈され、倉庫内には小さいながらの活気が生まれていた。


「おいしいものだよ。たべるといい。」
ヨシサダはカレーの入ったお皿を差し出した。


カレーといっても厳密には言い切れない、お粥とスープ状のカレーだった。
体調がどのようなものか解らない人間が多かったのだ。
ヤマサキは病原菌や細菌持ちが居ない環境に火星の人々を置いたので、カレーを振舞うことを申請していたらしい。

久々とはいえないが、粗野で素朴な食事とは異なる。
人間の作った人間らしい食事に火星の者たちは嬉しそうに、そして美味しそうにカレーを頬張っていた。

「いらない。」
「そうだね。」
「うん。」
三人のラピスは、カレーを拒否する。
トレーに乗せられたカレーは、確かに魅力的な匂いをさせているし、回りの人間を見る限り毒は混入されていない。
もっとも、即効性のものでないということが判明したくらいだ。

「アキトは、どうなの。」
ラピスの思いはそれに尽きた。アイとサキの考えもラピスと同様だ。
トレーを両手で持ちながら、ヨシサダは困ったような笑みを浮かべ、ヤマサキに通信を繋いで見せた。
ウインドウがひとつ展開される。ヤマサキはその向こで真剣なまなざしでラピスたちを見下ろした。

「どうしました。」
「あきとは、どうなの。」
山崎は手元の動きを止めることなく作業を行う。
「現在腹部に刺さった脇差を半ば外したのが現状です。麻酔を打って、医療用ナノマシンで内部縫合。
ですが、元来投与しておいたナノマシンの除去施術もしているので、しばらくは時間が掛かるでしょう。」
「出血はどうかね?」

ヨシサダの問いに、ヤマサキは困り顔で答えた。
「で、直るの?」
今まで蚊帳の外に居たサクヤが聞いた。手にはカレーが持たれ、口がつけられている。
「直ります。ええ、生きていただきます。」
「じゃあ、ダンナをお願い。」
パクリ

カレーを口にしながらサクヤは当然と答えて消えたウインドウを見送り、ラピスたち三人にしゃがんで視線を合わせた。
「口開けて。」

ラピスたちはおずおずと口を開ける。乳歯が生えている三人の口にひと掬いずつカレーを放り込む。
途端、三人それぞれが表情を変えた。

「さっさと食べよう。おかわりもあるから、どんどんね。」
「でも、あきとが。」

言いよどむサキに微笑んで、サクヤは軽くおでこを叩いた。
「他人を心配するんだったら、まず自分を万全にして心配しなさい。」

ラピスとアイ、サキの三人がそれぞれヨシサダの持って来たトレーからカレーを受け取る。
おずおずと食べる食は、細くなど無い。
どんどんと掻き込むことは無いが、お腹に収まってゆくカレーは、彼女達三人の生への渇望に似ていた。



早鐘は打ち鳴らされる。かんかん、かんかん、と。
テンカワアキトは生死をさまよう。いや、死に向かっていた。
そうして想定された事態は、来るべきと彼らが予見した時は、やってくるのだ。


改定2008.6.10.