電子の世界で生まれる



惨劇の劇場にガラスの割れる音が聞こえる。
この舞台は既にガラクタ、だれも居ない世界に妖精はたたずむ。

生きるは此方ならぬ彼方。創られた機械の世界で彼女は生きていた。

アマゾンともいえる森林の中に、ただ一筋の道でつながれた研究所というものが存在した。

研究所には植物遺伝子研究所なる名前があって、
火星の土が運ばれて火星にあった本部と同様の施設をもって環境を再現していた。
 
研究棟に四方を囲まれてある、
鳥かごめいた温室空間は透明な強化樹脂素材で出来ていて、室内にはナノマシンがうごめく砂に近い土が存在する。


温室の天井を見上げればナノマシンの群れが存在する。
それらは全て火星で実際に使用されていたもの。
それらは規格が同じだけとい訳ではなく、実際に火星を浮遊していたものだ。

砂めいた大地には、僅かに草が生えている。遺伝子操作された、海水にも砂地にも適応する、
マングローブと綿花などの植物遺伝子を配合したものだ。その大地の地下に研究所があった。



編み笠の男はただ、籠へとむかった。男に続くのは同じく編み笠をかぶり、外套を着ている者たち。
彼らが走るたびに外套はゆれることなく彼らに追従する。

裾には僅かに血液が滴り、赤の波紋を僅かに作っているが移動するたびにその赤の生命を循環する動力は流れ落ちてゆく。
一見して布で出来ているものだが、その素材は強靭で耐水性を持つ外套だ。


「人に創られし人形、地球のものは余程遺伝子細工が好きなようだ。」
北辰、そう呼ばれる片目が赤い義眼の男が呟いた。
「遺伝子細工が好きといっても、それは我等も行なっていること。」

編み笠の一人が北辰に答えた。
北辰はその反論にも思える意見に思わず笑みを浮かべた。
「なに、それもまた事実。だが、我等と地球。二つには大きな隔たりがある。」
「それは?」
「我等は生きるが為に。地球人は進化という道楽の為に。」

視界の先には温室私設が見える。入り口には警備員の詰め所が存在して、二人の男がこちらを見ていた。
敵だ。筋肉隆々とはいかないが、軍隊服の男達はその体格を外から見てがっちりとしたもので、手にはマシンガンが持たれている。
そして、銃口はこちらに。

「散」

男達が一気にちりじりに分かれる。

合計で6人いた男達一人一人が違う道筋を通り、あるものは蛇行して、あるものは一直線に。
弾丸が外套に食い込み、内部に着ている鎧型のアーマーにあたろうとも、
内部の鎖帷子から肉に衝撃が走っても無視をして警備へと向かった。
 
抜刀。そして、マシンガンに頼り切った警備員一人の武器を弾き飛ばす。
指や腕、手に痛みを感じて僅かにうめき眉をしかめる相手の両手を切断した。その行動は一秒にも満たない。
北辰は抜刀した刀を両手を失った男の心臓へと突き刺して、後ろを振り返る。

六人いた部下の一人が得物である棒を持って、一人が刀を納めるところだった。
「行くぞ。」
北辰の声に男が頷き、彼の後ろにつき従う4人の男もまた、頷いた。

研究所に、泡沫の世界として、泡沫へと帰る時がやってきた。




世界に異常を見つけることは難しい。
表面上の外郭に作られた世界は、伽藍のように人間の本質的な性格を表さない。
過酷な状況で生きる人間もしかりだ。


彼女は唯一人、試験管の中で永遠にも思える時間をすごす。

体が培養液に浸され続け、地上に立つことも無く、呼吸ですら培養液の酸素を直接肺まで取り込む。
糞尿もでない。ただ、冬眠状態のまま生育された彼女は泡沫の夢で世界を睥睨する。

金色の瞳は、未だ見ぬ青の空を見上げ。
桃色の髪は、未だ感じぬ風を感じる。

そして、その身は唯一人の人物に抱きかかえられる。
誰かって聞かれても彼女は答えられない。ただ、彼は自分の首筋に噛り付いて血液を舐めた。

人が忌憚する行為だ。誰もそんなことをしない。一部の嗜好などとは程遠い、生存のための行動。
だって、そうしなければ彼は動くことすらままならないからだ。

彼の体は大勢の機械の苗床となって、彼はその機械どもを支配において生きてゆく。

けれども、支配してゆくための肉体を彼は持たない。
だから彼女は泡沫の世界で、顔も声も容姿も、何も知らない相手に自分という供物をささげる。
何故彼女が彼が血を啜る理由を知っていることを問いましょう。問えば答えてくれます。

「だって、この人は私がいなければ動けないのでしょう?」と。

彼女の生い立ちと、精神を構成する年齢の時の状況を考えれば到底思いつけ無いはずの答え。
それを彼女は感情無く一般倫理を杓子定規にしているだけ。
愛というものも、好きと言うものも無くただ一般的な考えを検出しているだけ。



世界は無限の草原で出来ていて、私の空は晴れと雨の二つで出来ている。
私と一緒に暮らすのは私と同じく、遺伝子操作された少女達と
研究員の意識体を受け入れてこちらで教育を行なう、老人の姿のプログラムだ。

彼は私たちに一般常識を教え込み、言葉づかいを覚え、電子プログラムで構成された世界を歩き回る術を教え込んだ。
情報で作られた無限のの草原で私たちはそれを覚えていった。
手をかざして意識すればIFSのタトゥーが浮かび上がり、電子世界の草原の物理構成を解析したり、変革させたりした。


どのようにして、どのようにすれば電子世界にて自分が支配者側に立つのか、手段はさまざまに枝分かれして、
私たちにはそれぞれ違う処置が現実世界で行なわれている。
 
あるものは戦闘用のナノマシンを注入させ、こちらの世界での体力増強を見せた。
現実世界では、彼女はカプセルの中で装置による筋肉運動プログラムが増やされている筈だった。

そして、実際に肉体も強靭になっている筈。けれど、彼女は一週間後に消えた。

研究員の些細な間違い、それは運動に見合う栄養が補給されなかったこと。
栄養失調で弱弱しくなって、死んでいった彼女に私たちは涙を流した。初めてだった。
人は電子の世界でも涙を流すことが出来るのだ。

彼女の死の後に、私たちは自分の死というものを考察せずには居られなかった。
閉ざされた電子世界で私たちはデータバンクに存在する死に対する観念、思想、哲学を網羅した。
結論は多岐に別れ、それぞれが違う真実を持つという結論に至った。


答えになっていない答えに、私たちは納得した。

次に、いきなり一人、二人と世界から消えた。彼女達は現実世界の実験のショックで死んだのだ。
どのようなことをされたのか解らない。だが、わからないから恐怖を覚えた。

こうして、ラピスラズリの存在は幾人か消えていった。

残ったのは僅かに3人。三人の私たちは時間の経過によって、それぞれ違う自我をもっていた。
私たちはお互いに番号をつけて呼び合った。1、2、3と。私は3だ。

意識が電子世界の草原から消え去る。見覚えのある現実世界に私は回帰した。
試験管状の私を治める培養槽ごしに、研究者が殺されている光景を見た。


鮮烈な死のイメージ、それに私は純粋な恐怖を覚えた。
殺したのは編み笠という物、帽子の一種をかぶった男だ。彼の持つ武器、カタナが研究者の命を終わらせたことを知った。

外部音声は培養槽には入ってこない。
だが、腕を振りかぶって、自分のカプセルを叩き割る男の愉悦を感じている笑みをみて、
私の恐怖は顔の筋肉に伝達されて表される。

怖い。

培養液が外部へと流されて、重力の腕<かいな>が私の体を捕らえる。
電子世界で感じていた感覚を、現実で感じて私は力なくしゃがみこむ。

見渡してみれば私と同じ容姿の、桃色の髪の毛と金色の瞳の少女が収まったカプセルが林立していた。
私が生まれた世界。私が育った世界。電子世界ではない元角世界。

そこは文献にある、地獄に違いないのだろう。

「人に創られし桃の妖精。我等が研究の礎と成るが良い。」
恐怖の元、片目が赤い男の声が聞こえた。生まれて始めて聞く空間を伝達する振動の声に、
私は驚きながらも恐怖を感じて自分の体を隠すように抱きしめた。







黒の人型は情報データベースに形無き身をたゆわせ、一人の男は自分の意識を覚醒させていた。

意識を失う感覚を覚えているだろうか。テンカワアキトは思考の端でそんなことを考えた。

ぼさぼさに伸びきった髪の毛は、脂っぽくなり。薄いながらに生える無精ひげも結構な長さになっていた。

攫われてからどれくらいの月日が流れたのか彼は観測する術も無く、
実験を清潔に継続してゆくための洗浄時間という名前の時間に、体は自分たちで清めた。
その回数で彼は今までの時間の経過を算段しようと考えていた。
考えていただけで、回数を数えることが適わなくなったが。


火星の後継者が火星で生まれた民を閉じ込めた空間は、
日系人が多く移入していた木連の名残を残して、畳がしかれた役8畳の部屋に人8人だ。
彼らは男4人に女四人。

布団などは支給されず、ただ毛布が一人に一枚ずつ支給され、部屋と部屋を区切る鉄条網の間から流れる
暖房の効いた空気が彼らの生活する空間に流れていた。

アキトは毛布を畳んで、背もたれのようにして天井を見上げていた。
ただ、見上げていただけ。空虚な瞳は、この世界が自分の住む世界なのか理解できずに、現実を知覚できない。


アキト自身が捕らわれてから女に苦労するということは無かった。
自慰行為を行なうことが初期は会ったが、同室となったもの同士がまぐわうということは少なくなかった。
寂しさを埋めようとする。欲求を解消する。現実から乖離する。

そして、火星の後継者もそれを勧めるように、夜間の消灯の後は監視映像のみでの監視体制となっていた。


女とまぐわいながらアキトは、よくよく、ユリカもこのように誰かと繋がっているのだろうかと考えた。
すすり泣きの声を聞きながらの性交渉は、体の正直な欲求を満たしてはくれるが、心理的な苦痛は忘れられなかった。


だが、それも感じ方が薄くなっているのは、彼の錯覚なのだろうか。


テンカワアキトの善人思考は彼から斬ってもはずせないものだった。
火星の民の生き残りを死滅させたとき、彼はミスマルユリカにどのように接したのか。

ホシノルリがジャンクフードのみを食していると知ってどうしたのか。
彼は優しさをもって、自身の考え方を持って二つの事例の行動に出た。

欠乏というものが彼には付きまとう。
だからこそ、自身よりも遥かに「なにも持っていない」者に与えようという思考が擦れた。

人間が年月を積み重ね、汚れた雑巾だとすれば、彼は間違いなく汚れを水に洗い流し、漂白され始めていた。

磨耗の感覚は薄く、ただ日常と成る非日常に適応する。
怒りは日常であった平穏から乖離するたびに猛りを沈め、深層に沈殿する。


民族の怒りは胸の内に秘め、自身が傷つかないように行動する。
生きてゆくために、アキトは自身の青臭さを捨てる。
本来ならば許されぬ妻となる人以外と性交渉をして、実験を嫌々ながら受ける。

人道的な見地から見て外れた行為、実験は時として生命の危機をもたらす場合がある。
生きることがテンカワアキト自身の急務だった。

生きるために生きる。目的と手段が同じで、生きる感覚は磨耗する。

火星が第一次火星会戦で滅ぼされたとき、彼は日常でその記憶を磨耗させた。
ただ、バッタと呼ばれる機動兵器を見るときに彼は記憶をまざまざと蘇らせて恐怖を再臨させた。
彼の処世術は忘却である。人間の処世術も忘却である。


忘れることで、悪いこと、罪悪を覚える行為をした感覚、失恋の記憶など辛いことを自身の中で歪曲して記憶する。

ミスマルユリカを愛していた。半ば回りから擦り付けられるように自覚させられた感情だった。
ラーメンを作り、ルリとともに夜を歩いたときに生きている感覚を感じた。


実験場である籠のなかは、彼の生存感覚を薄れさせる。生きている感覚が無ければ乖離しているのだろう、
何も感じようともせず、失った感覚から流れてくる情報を受け取る。

臭いを感じれば、それが何だろうと思い、誘いの声を大きな声で言ってくれるように求める。

自分の生存感覚が薄れ、夢の中で起こる自分ではない他者の視点から見た、人体実験。
それもマシンチャイルドの子供へと吸血をするという、彼自身の本意ではないはずの夢がよっぽど現実感があるのだ。
いや、夢なのか現実なのかを、アキトは知る術を持たない。




「妊娠してますね。」
言われて、私は何ともいえない。
私は実験場にいて、自分の逃避として一人の男に自分の体を渡した。
もっとも、自分が動いて自分で感じて、自分で果てて、自分で受け入れただけ。

火星で生まれたということ、火星で育ったと言うこと、火星から生き残ったと言うこと。
生きていることに感謝した。

第一次火星会戦の折、旅行として月へときていた私は悲劇を回避できたことに安堵して、
次に両親の安否を心配して、最後に火星の人々や友人への弔いの念を抱いた。

私の両親はキリスト教の信者だった。

どうってことは無い。知識があるだけで、信心のない私は日曜のミサなどに行くのは一年に指を折って数えるしかない。

だから、この実験場へと来た時にしたことは、居もしない神への祈りだった。
だけど、次に思ったのは神の存在の否定だ。

居るかもしれない、けれども居ないかもしれない。不安定な存在に祈るよりも、私は現実を見据える性質だった。

性的な実験は無かった。イメージングというボソンジャンプ、瞬間移動が出来るという技術だそうだ。
どうでもいいけど。目的地をイメージする時の変化を調査する実験。それが私の主な実験だった。

博士と呼ばれる白衣の3人の集団は度々ナノマシンを私に注入して、
今では私の体の中にはナノマシンの連鎖によって感情の高ぶりを光であらわすように成っている。


私だけではない。他にも同じナノマシンを注入された人はごまんといる。
むしろ注入されてない人の方が多いだろう。
彼らは抵抗したものだ。

実験に拒否して、嫌がり、いたぶられて鼻水や涙を流して許しを請いたり、最後まで自分を通した人。
私は拒否などせずに受け入れた。痛いのは嫌いだ。

彼らはよくよく人体実験にまわされている。あるものは血液をギリギリまで抜かれてふらふらで帰ってきたり、
あるものは腹の贅肉を搾り取られたものも居た。たまに、脳みそを弄られて感覚不全になる人も居る。

そうなるのならば抵抗しなければいいのに。

そんな世界で私は子を身ごもったらしい。何とも他人行儀な言い方だが、現実だ。
父親は唯一人。私が唯一性交渉におよんだ男、テンカワアキトだろう。

名前は北辰とかいう私たち火星人を誘拐した人から聞いた。
いわく、ナデシコという戦艦のクルーだった。
いわく、ボソンジャンプを始めて行なった人類。
いわく、妻を奪われたひと。

良く聞く噂はこれぐらいだ。
でも、本当にそれが彼を現すのならば、随分おかしなものと思う。
彼は無気力だ。時たまあたまんなかに埋め込まれたナノマシンで苦しんで、感覚不全になるときがある。


初期に抵抗していた時期、彼は脳みそを少々弄られたらしい。
ナノマシンはいまいる人の中で一番の量をいれられた。

何時も見えにくくなった目を凝らして人の様子を他人事に見ていて、耳の神経が鈍磨したから大きな声で人を求める。

だからだろうか。まだ18歳になろうという私は、死に間際に盛る男よりも、老人のように世界から乖離している彼を求めた。
だから、私はテンカワアキトと性交渉に及んだ。逃避だろう、辛い現実がありすぎるから。

でも、彼の子を身ごもって、此処に居ることが嫌々に現実と感じられるのが強まった。
信心深くは無いけれど、誕生する罪の無い子供を此処に置くのは嫌だった。

「で、おとうさんは?」
博士、ヤマサキ博士がいう。正直三人の博士のうちで穏健と過激の中間の博士だ。
「テンカワアキト、彼だと思う。」
驚いた表情、ヤマサキ博士は「そうですか。」といって「おめでとう」と返した。



「第一子、おめでとう。」
「それはどうも。」
ヤマサキに呼ばれて来て見れば、自分に子供が生まれたことを知った。

性交渉に及ぶのは唯一人しか居なかった。
色素の薄い亜麻色の髪を肩口で切っていて、
クリスチャンらしくクロスを首から下げる東欧と西洋の中間の国の血が流れているという女だ。

彼女はよくよく人間を見分けるのがうまい。そして、あしらい方も扱い方もうまい。
けれど、どこか人を拒絶する雰囲気を持つ女だった。


だからだろう。拒絶するのならば受け入れようと俺が思ったのは。
他人を拒否して自分を守ろうなんて彼女は思っていない。

ただひたすらに自分がこうであると定義して、確信した女だった。俺は、彼女に好かれた。
自分には両親というものは存在しない。居たけれどネルガルに殺され、殆どの人生を両親なしにいた。
だから、親になる感覚を知りたかった。


俺が誘ったわけじゃない。彼女が誘ってきた。

彼女は魅力的な女とは言い切れない。

不器用そうな青の目は可愛いらしいが、人をはっとさせるような眼光をもっている。
けれど、肉体は西洋の血が混じるせいか何処と無く肉感をもちながら、謙虚さを持っている。
言うならばスレンダーであって、出るところは出ている。グラマラスというヤツだ。


「君も随分とやる男だねえ。奥さんとは違うけど、随分そそるひとじゃないか。」
頬杖を片手で付いて、卑下た瞳でヤマサキは言ってきた。

微妙に目尻が下がり、何かを想像しているのか頬が微妙に赤くなる。
ヤマサキと一緒に同室していた女性のヒイラギ博士は真っ赤になって非難めいた表情をしている。

「良い人だ。でも、いまいち伝わってない。」
「まあ、不感症じゃたのしめないか。」

ヤマサキのぼやきにヒイラギ博士はいてもたっても居られなかったようだ。
「感じる感じないじゃなく、性行為じたいを貴方達はなんだとおもっているのです!」
怒り狂ったわけではないが、いさめる声にヤマサキと俺は同時に違う言葉を言っていた。
「繁殖行動でしょ?」
「欲求解消だろ。」

言ってみて、自分が性交渉を行っていたのかと、感心してみた。

もちろん自分自身にだ。生きているのかすらよくよく感じられていないのに。
自分は女とつながり、摩擦を起こして彼女の腹に子だねをぶちまけていたのだ。
「いきてるのが解らないはずなのにな。」

言ってみて病院服のようなズボンに視線を向けた。

「この無節操。」
呟いたつもりだが、回りからの視線を感じる。どうやら俺の声は大きいらしい。



SIDE LAPIS RAZURI 


初めてみた人間は恐怖の対象であった。
彼女らにとっての被創造者は、敵だったのだからしょうがない。
プロジェクトラピスラズリによって生み出された3人のラピスは立つ術、話す術、表現する術を知っていた。

だけど、それを行動で表すことができなかった。直立することもままならなければ、歩行することもままならない。
そして、言語を話すには、空気以外の世界で生きる時間が長すぎて時間がかかった。
でも、時間は彼女達を適応と成長の名の下に変化させる。

北辰は一人、薄水色の患者服を着た少女三人をつれて歩いていた。
歩んでゆく通路は余り広くは無く、清潔感を漂わせる空間が続いている。

だが、清潔感は裏返しに無機質な空間を作り出していた。

つれている少女は三人が三人、全て同じ容姿で同じ背丈。華奢で折れそうな体は人形じみていて、
桃色の髪の毛と金色の瞳が拍車をかけて彼女らを人間でないと否定するようであった。

皆がみな、不安そうな表情で翳りを見せて、瞳を伏せがちに男について歩く。
「此処か。」
来るたびに彼はこの研究所の違う場所を指定される。


毎回毎回違う場所ともなると、辟易してしまうが自身の立場と、出会う相手を考えれば納得できる。
だが、此処はネルガルの者が入ることも無いのに何故移動しているのかは理解しかねた。

「失礼する。」
「ああ、来てくれましたか。」
入室する北辰と少女三人に、一人の男が笑みを浮かべながら迎えた。
七三分けの髪型に白衣を着た男。彼が椅子に座ったままでいた。

彼の隣には、少女をみて思わず瞳を輝かせながら三人を見比べる白衣の女性。
さらに、彼女の隣には車椅子に座った左足の無い男がいた。

いずれも異色の組み合わせに見える。

笑みを浮かべる男に、おもちゃを見るように瞳を輝かせる女。
そして、ぶっきらぼうで、無遠慮な視線を少女へ向ける車椅子の男。
だが、三人のいずれにも共通点があった。

白衣。

それが、三人に共通するものであった。
「さて、彼女達がマシンチャイルドの成功例ですか。」
「うむ、ネルガルが所有する研究所。そこでこやつ等は製造されていた。」

「ふむふむ。」などと言ってヤマサキは手元に展開されるウインドウを覗きながら彼女達を見た。
柊博士は我慢できなかったのか、三人を自分の下に寄せて。
「怖くないからねぇ。」
「あっ!?ビスケット、好きかな?」

等と言って自分の白衣のポケットからお菓子をいくつか出して、彼女達に与えていた。
「冷凍状態で冬眠させて育てていたのか。」
資料を覗きながら車椅子に座った男、動座がいった。
北辰は狂気と歌われる学者である動座に頷いて肯定する。


動座は少女のうち一人を呼んで、その体を遠慮なく触診する。
腕や首、足や腹、胸などある程度の四肢を握って曲げて見た後に、首が据わらぬ少女を柊博士に返した。

「筋肉の微妙な発達具合からも、それが伺えるな。
ある程度歩行が可能だろうが、首も据わらぬ赤ん坊状態だ。ある程度の育成が必要だな。」

「精神育成はまあまあでしょう。インターフェイスとしての力、電子世界上のプログラミングおよび干渉技術は充分。」
ヤマサキはデータから彼女達の育成方法や、技術習得の度合いを確かめていった。

「じゃあ、私が育成を担当しましょうか?」
柊博士の期待するような物言いの提案。

彼女は少女達三人を自分の周りに侍らせて嬉しそうに、もの欲しそうにしていた。
「いえ、二人程子供の育成に適任の方が居るので。少々隔離して彼女達を育ててもらいましょう。」

動座はヤマサキの提案に、憤るような、呆れるような表情で顔を曇らせた。
「運動実験に差し支えのないように。」
「よしなに。」
ヤマサキが笑って答える。柊博士の落胆したため息が室内に僅かな微風を起こして、
少女達は不思議そうにしながら、不安な表情のままでいる。

ただ、北辰がその様子を遠くの出来事のように見ていた。
ヤマサキは信頼に値する人間であるが、信頼できない科学者である。

柊博士は笑いながら臨床実験を行う、模範的で一般的な心理学者だ。
ヤマサキは人間のパーツをばらして実験する動座とは違い、あくまで人間が人間の形であることにこだわる。
「だが、それも関係ないか・・・」




運動施設の一つ、板の間が広がる空間には、幾人かの火星の民が座り並んで中央に二人が立って相対する。
お互いに睨み合うような視線は、恨みや憎みなどの意思は無く。
何処と無くお互いを興味深そうに見ているだけだった。

この籠の中には、腕を失ったものや頭を失ったものがいる。
人の一部分のみで生存が可能かどうかを実験して、諦め。
動物の肉体の中に人間の脳を入れて生存が出来るかどうか、どのように適応させれば良いかなどの実験も行われた。

そんな被験者達が一堂に会し、互いをしることが出来る娯楽の時間が唯一あった。

闘争の時間

この周りを人で囲み、周りに観察もしくは観戦されながら行なわれる戦いの時間はそう呼ばれていた。
此処では、火星出身者同士が、お互いの施された実験結果や仕込まれた技術を競い合うのだ。
 
これは、純粋な武道からはずれた、戦いを止めるための術をお互いに披露するものだ。
柊博士は闘争の時間を嫌っている気があるが、ヤマサキ博士と動座は必要になる時間だと認識していた。
 
誘拐されてからというもの、火星の民は常に暇つぶしというものを与えられることは余り無い。
携帯端末などを与えることも無く、通信機材を使用させることも無い。
本来の世界で、彼らは充分と言うほどの娯楽に触れていた。ゆえに失った娯楽を火星の後継者は細々と彼らに与えた。

図書や映画、プログラミングの仕事やゲームなど。

だが、座敷牢のなかでもっとも人の興味をせしめて娯楽として発展したのはルール無用の異種格闘技だった。
もちろんそれらは肉体の実験の結果を診断する側面も持っているが、原始的で人間的な武術は人々を魅了するものを持っていた。

殺すことは許されない。
武術は資料や警備員の一部が教える。
そして、その勝敗にはもう一つの娯楽が付いていた。

「わたしは、テンカワアキトにビスケットを三つ。」

色素の薄い髪の毛を持ち、青の瞳の女はそう言って胴元となるヤマサキにビスケット交換するための券を三枚差し出した。
食料に関しては軍用レーションや決して美味しいことは無い料理が出されることが多い。

火星の地を離れ、地球で暮らした人にとって食の楽しみは大きかった。
ゆえに、食の楽しみとしておやつと交換できる券が彼らには支給される。
券一枚でビスケット。五枚でみかん。十枚で果物ゼリー。という具合に券の数で火星の人々はおやつを求めることが出来た。


この決まりと闘争の時間は博打にも利用されるようになった。
テンカワアキトの子を身ごもった女性、サクヤ・ヘミングは楽しみという位の位置には達していないが、
ゼリーを食べたくなった為に、痛手の無い賭けに出た。

配当に関してアキトに掛けた者には三倍の券が返ってくる。

この数値は、闘争の時間が始めてのテンカワアキトに対する未知数な能力と、
彼の時々によって変化する体調からの結果だった。


サクヤはアキトの調子を見て、彼がなかなかの好調な体調であることを読み取る。
毎日毎日顔を見合わせ、互いの汚いところをみるような生活を続けて。

一人の相手を観察すればなかなかに彼の変化を読み取ることが可能となる。

ゴング代わりの鍋がお玉で叩かれる。
闘争の時間の始まりだ。

両者の構えは、右手と左手を前に軽く突き出すボクシングの構えに似ていた。

違う構えにも見えるのは、アキトの構えだろう。
闘争士と呼ばれる彼らに与えられるのは、研究において開発された科学的技術の恩恵と、体術に関する資料やデータ。

それに体に叩き込まれた北辰の戦闘の知識だった。
無論、叩き込まれたというのは便宜上のことで、ただ単にいたぶられたときの感触だ。


お互いに見合って、円を描きながら間合いと取る。


アキトと相手の体格は大体互角。だが、相手は肉厚の贅肉を体に纏っていて。重量を感じさせる肉体だ。
アキトは相手を観察して、機動力をもった戦い方を考える。いや、考えると言うよりも実践する。

背中を僅かに曲げて、腰すらも低く据えて突進する。
タックルの容量で、全身の体重を乗せた攻撃だ。

だが、相手の肉にブニと当たる感覚の後。ついたてが倒れる感触は訪れなかった。一瞬力が抜けて倒れ掛かった。
たたらを踏んで相手は踏みとどまった。次に、相手の拳が身体を小さくするアキトの鳩尾を突いた。
何かチリリという音と感覚の後、アキトは電撃に見舞われた。


「ほお。」
ヤマサキは目の前で起こった現象に驚き、感嘆の声をあげた。
「これはナノマシンの体内電力の応用ですか?」
動座は車椅子に座って戦いを見守りながら、渋顔をつくりながら答えた。

「ああ、失敗か。」
見れば、電撃を放った男は僅かに、一秒にも満たない時間停止した後にアキトに踊りかかった。
だが、アキトは倒れている姿勢から身体を丸めてそれを回避する。
「身体を動かす電力には満たない量。それがナノマシンの動力でしたな。」

「ゆえに、一部体内の電力が途切れて動作が遅れた。」
動座は失敗だと言うように鼻から呆れの息を出した。



「すごい。のかな。」
サクヤはアキトの戦い方をみてそう思った。
通常のアキトは肉体の感覚を失った状態で居る。ある程度の凹凸が解らなかったり、
情交の時に汗などの臭いを精一杯嗅いで、時には舐めてもくる。

本来ならば恥ずかしいことではあるが、彼
にとって臭いは生きている感覚の中で、一番失った部分が多いゆえにそれを許した。

全身に広がる羞恥と戸惑い、通常の生活では感じることができなかったであろう感触に、彼女自身が喜びを感じもしたからだ。
だが、今の彼を見て感覚を失っているものに見えるだろうか。

否、今の彼は理性的に。繊細に動いている。

感覚がどうなっているのかはさっぱりわからない。

だが、アキトは突進して抑えようとする相手に対して肩に手をついて飛び上がると、
倒立の状態から腕の力のみで体を持ち上げて、全身を丸めて振り子運動のままにドロップキック要領で背中を押すようにした。

倒れる男。私は瞬間に目を瞑った。
歓声があがっていた部屋が一気に静まる。

次に目を開けると男を起こさないようにするため、抑えにかかろうとするアキトの姿があった。
だが、アキトは近寄ろうとしてそれをやめる。

どうしたのだろうか、そのように考えて相手を見る。そうしてその理由を知る。
相手は力なく倒れて立つ気配が無かったからだ。
前のめりになって相手は、受身などという発想も浮かばずに倒れたのだ。

「いまのは?」
動座は今のテンカワアキトの動作が不可解だった。

テンカワアキトの感覚は、脳内に直接打ち込まれたナノマシンによって麻痺しているはずだ。
それは、体内に関して全てにいえる。

だが、ヤマサキは面白そうに試合の光景を見守り。
5カウントが終わって勝利宣言させるレフリーに片手を取られる姿を見た。
「彼は、一定期間に意識を失う状態にあります。睡眠時や起床時など関係なく、知覚を喪った代償として。」
「それがどうした。」

動座はヤマサキの言葉に声をあげる。
「もちろん、生命には支障がない意識の欠落です。
だが、彼はどうも自分らしさを、意識というものをだんだんと失っているように思えるのは、気のせいなのでしょうか。」

疑問を呈したヤマサキに動座はなんら関心を抱かない。
人間の感情の擦り切れというのは当たり前のように行われる。
記憶の磨耗、それによって起きる断片的な断章の美化や腐敗化。人間の生きる術にもあたる。


「人間は忘れもする。」
「ですがその忘れるという行動が、脳の自己防衛装置だとすれば。
延々と忘れることも覚えることもままならない彼は、どんな世界を見ているのでしょうか。。」


動座もヤマサキも何も言葉を発さない。ただただ、勝利したアキトに群がる賭博者たちの歓声が聞こえるだけ。
ヤマサキはその会場の隅に居るサクヤ・ヘミングに安堵を気遣われる姿を見た。
「ふむ、彼らがいいでしょう。ラピスラズリの両親は。」



改定:2008.6.4