連合政府ユーラシア大陸統括支部代表というのが、火星慰撫部隊のバックについたアフメット・セラップの立場だ。
彼はアジアとヨーロッパをまたがる広大な大陸の政治家のトップとなっている。


これは、彼の有能さとその立場によっておかれたこと。


天秤という呼称を持つ反連合政府国出身という身でありながら、
彼は連合政府に引き渡された貴重なブレインだった。

喜劇の開幕へ


連合政府という巨大組織を運営するためには、個人の利権の主張は大きく尊重することが不可能な状況にある。


現在の連合政府議員と呼ばれるものは、その筋の知識人や一般民衆を代表するものが成っている。
最低3年の就任期間には一年に一回審問投票によって、議員の正当性を常に問う形態をとっている。


先の木連戦争で、百年前の遺恨が表面化することなく開戦したのは審問投票制度が行われておらず、
平和の期間が長く続きすぎ、敵戦力の把握が出来なかったことにある。


審問投票は戦争終結と同時に採用され、以前の連合政府議員の7割に当たる人間が消えた。


新たに構築された連合政府は、3年の時を経て決断の時を迫られていると言って良いだろう。


アフメット・セラップがユーラシアを任されたこともそうだ。
これまで慮外されていた反連合政府の主張する正当論を論じるためでもあり、
地球という惑星がひとつの国になるという構想が、夢物語から現へと成り始めた証拠だった。


「民族・宗教観からうまれる紛争は一応の停止となっている。
もっとも、それがいつ終わるかなど伺えぬ状況にあるんだがね。」


アフメットはウインドウの資料をみながら、手元のテキスト資料を見る。

天秤本国よりの緊急資料は、先の火星慰撫部隊の結成と容認はアフメットの立場を連合政府から
疑問視するものとして取り上げられていたが、この件は後のヒサゴプラン査察によって不問とされた。

今回の資料は、天秤よりもたらされた火星の後継者と名乗る旧木連過激派の資料と、
天秤が行っている彼らへの援助と交渉において交換された情報そのものだった。



「連合政府の人間がこれをみて、どう思うかなどあちらも分かっている。」

現在火星慰撫部隊に身を置いているのは、火星生まれの人間だけではない。

連合宇宙軍より出向したものと、FRFよりの出向組み。そして天秤の知識人で構成されている。


火星慰撫部隊に査察団護衛と任務遂行が下されてから、
アフメットは火星と地球を行き来しなければならない立場になった。

火星極冠のアマノイワトと、地球にある連合政府統治のヒサゴプランと直結したシステムを利用して、
彼はその激務を勤めていた。

慰撫舞台のユートピアコロニーにある彼のオフィスには、アキト・ヘミングを客として迎え、
自身に送られてきた資料の閲覧を彼に行わせていた。






「これを見れば、連合政府には渡りに船か、反逆として見られますね。」
珍しいほどの紙媒体だった。手元にファイリングされたのは、天秤からの紙媒体での資料。


アキトはブラックサレナの演習終了から3時間後に、ここに召集された。

統括者となっているアフメットの要請は、至上命令だ。
彼とて無碍にできない召集に戸惑ったが、資料の閲覧を促されて納得した。

敵の現状と天秤の行動。これからの戦局を考えるにあたって、さまざまなことを考えなくてはならない。

ならば、この資料は慰撫部隊の先をどのように運ぶかの、大事な決定に関わる。


「彼らの、いや、クサカベの主張を取るなら彼らの行動を阻害するのは止めた方が良い。
対話による社会の変革は、人類史上成し得た例が少ないものの、有益だ。

だが、それでも危惧しなければならぬ事が多い。」

アフメットの言葉は、火星慰撫部隊の存在に関して間逆な発言だ。
ここに部隊軍人がいれば反発を受けるだろうが、アキトの目的は後継者殲滅を全てとしていない。



ただ黙って、彼の言葉を聞いていた。

「慰撫部隊は、正論を説く彼らの行動の是非を問う意思だ。君は例外だと思うがね。」
どうするかねという表情のアフメットに、アキトは答えない。

「武力による制圧も必要だ。天秤に語った彼らの行動が全てでないように、意思もまた全てではないだろう。
そして、慰撫部隊における意思総体が彼らの殲滅でありながら、君は別のことを思慮している。」


紙資料をソファテーブルにおいて、アキトは背筋を伸ばした。

「さて、どうする。」

問われて答える。

「どうにか行動を起こします。後継者の意思が一つならば、彼らに言論で立ち向かう天秤の意思を通します。
だが、こちらがそうであるように、意思総体には外れた者がいる。」


私がいるように。とアキトは自身を指した。

「しばしは武力での介入を考えつつ、言論に移った場合はこちらの持つ資料を公開する手筈も整えましょう。
民間感情をこちらの味方に付ける必要があります。」

「そうしたほうが良いだろうな。」

アフメットは肯定して、都市中央の北西部にある官舎の窓から、都市を見下ろした。

都市構造体には防衛線を考え、倒壊の危険を踏まえて地上50メートル以下の建造物はない。
官舎が最上の43メートルの位置にある。


見下ろす都市には、慰撫部隊の人間が住み、連合政府の行く末を決定する者たちがいる。

「人と戦うのは、難しいな。」
「真に理解できない相手と戦うのと、同じ位に。ですかね。」

「真に理解できない相手もきつい。人間と戦うのもだがね。古来から人間は見えないもの、
理解できないものを恐れ、それに対して自身の解釈やお互いのコミュニケーションによって解決してきた。

人も未確認の敵も同じじゃないか。」



同意を求めるアフメットに向かって向けられるアキトの瞳は彼と同じ考えを移す。
理解できるか、理解できないかで敵を区別することで人間は優劣や戦況を見極める。

だが、それができない者同士ならば、人間やどこぞにいるやもしれぬ宇宙人と戦うことの意義は、戦うことにあるのだ。






ヒサゴプランでの臨検査察は、3週間前の査察予告から始まる。

現在慰撫部隊の本拠地を基点として、ユートピアコロニーにはチューリップが三つ都市境界線に配備され、
ヒサゴプランと同一のシステムでもって、ジャンプ行動に移ることができるようになっている。

査察部隊にあたるユーチャリスとナデシコBはチューリップを経由して、一直線にターミナルコロニーへと向かう。


「アマテラス臨検査察時間になりました。」
ナデシコBとユーチャリスのブリッジにて、オペレータが艦長に告げる。

ユーチャリス艦長のアキト・ヘミングとナデシコB艦長ホシノルリはそれぞれにウインドウ越しでうなずきあい、
双方の同意を確認した後、ジャンプの命令を下した。

ターミナルコロニーアマテラスへの臨検査察は、このようにして開始された。

ジャンプナビゲータはそれぞれ艦長が行う。

ルリはウインドウのアキトに注意しながら、ハリに確認の目配せをしてうなずくのを確認した。

ヒサゴプランにおいて行われるジャンパーのナビゲーターは艦のコンピュータにインストールされている。
ヒサゴプランで使用されるナビゲートサポートシステムを活用することになる。

ここで気づくのが、システムを駆動させるシステムである。


ナデシコBにて使用されるのがオモイカネならば、ユーチャリスで使用されるのは銀(イン)と
呼称されるオモイカネシリーズの最新作だ。

火星慰撫部隊の電算システムは銀システムと統一されている。

母となるコアをユートピアコロニーに設置し、
子機となる端末がユーチャリスに接続されてボソンジャンプ理論を使って端末活動を行っている。

ルリはこのことから、以前のハッキングで感じた違和感の正体を探る好機として、
アマテラスへのジャンプという本来行うような機ではないときを選んだ。

ジャンプイメージと、システムの人口情報の相互入力がヒサゴプランの詰めとなる作業だ。
「ジャンプ。」
アキトとルリの一言で、最大出力にしたフィールドと光学障壁を展開した二つの艦船は、アマテラスへと向かった。

2.13

「ジャンプアウト成功。現在ターミナルコロニーアマテラスです。」
ナデシコBとユーチャリスがチューリップからの顕現を終了させる。


火星からここまでを一瞬で繋げられるという技術のすさまじさを改めて感じさせる。

「ナデシコBはユーチャリスとは異なり、牽引ユニットに入港せずに警戒態勢のままでコロニーを周遊します。
ヘミング少佐、よろしいでしょうか。」
ウインドウごしで、アキトは頷いた。

「了解だ。こちらは査察団とアーマー部隊の蟻を投入する。警戒態勢はお互いBのままで。」
「了解です。」


ナデシコBはアマテラスの入港サポートポットに捕まらず、独自にコロニーを周遊する。
「ユーチャリス、システムをアマテラスへ接続。
車庫要れはこちらで行う。蟻の装着を開始、査察団の進入ハッチ接続を準備。」


ユーチャリス全体が活気付く。
「蜂の装着を開始。FRXとエステバリスWを接続のまま全機出撃。コロニー周囲に展開する部隊を牽引しろ。」
ユーチャリスの中央デッキにカタパルトラインが点灯する。

ハッチエレベーターから順次発信する機体をブリッジメンバーはそれを見送った。


「ねえ、どうくるかな。」
「さあ。」
わくわくしたようなラピスの問いに、サキが答えた。
ユーチャリスブリッジのオペレートシートは、
通信上では見ることができないがラピスララズリの3人が座って、操艦と通信、ハッキングを行っていた。

「当然ながら、私たちが動くかあちらが動くかで、状況は変わってくる。でしょ。」
アイが自分を挟んで話す二人に答え、ユーチャリスは全兵装を稼動させたままでその身体をアマテラスに寄せた。


「もちろん、こっちも動かなくちゃね。」
アイは小さくつぶやいて、ウインドウでスケジュールチェックを行う。
ブラックサレナのメインカメラを兼ねる瞳に明かりが点るのを、彼女は幻視する。



アマテラスより5千キロメートル離れた空域に、ブラックサレナは姿を潜めていた。
漆黒のカラーリングは色彩迷彩の意味もあるが、テンカワアキトとして変革した意識だった。

「ブラックサレナ起動。単発通信を待とう。」

ブラックサレナに彼はささやきかけ、制御AIをあらわす猫のグラフィックがにゃんとないた。


ブラックサレナの状況は、小惑星の中の一つに牽引ワイヤーでもって取り付いている。
太陽風によって電磁波の乱れが起こった2週間前にジャンプして、隕石に取り付かせてアキトは離脱した。

ブラックサレナは制御AIの元でアマテラスへのハッキングの後、
最小起動で隕石同士の衝突を避けながら、その場で待機することになった。

そして、たった3分前にパイロットを体内に迎えた。


サレナが行うべきは、武力介入だ。
現在のサレナは武装をハンドガンとテールバインダー、追加パーツの翼下にミサイルポッドとなっている。

ブラックサレナの搭載できる兵装を全てつぎ込んだ状態だ。

本来の戦闘方針はヒットアンドアウェイ、一撃必中の後離脱がブラックサレナの味だ。

だが、高軌道ユニットによってFRXシリーズにも匹敵する高機動力を持って、今回の戦場の引っかき役になる。
準備は流々、すでにアマテラスは3ヶ月前より仕掛けが行われている。


クサカベの所在地と、備蓄した資材や兵糧などの貯蔵場所。
搬入された遺跡に向かって行われた実験の内容データ。

すでに火星の後継者が行う行動は知れている。

「なー」とAIの猫が鳴き、ウインドウにて出撃許可を受信が伝えられる。
「行くとしよう。」
身にまとった鎧に拘束用ベルトを繋げ、ブラックサレナはエンジンを始動させる。


搭載されたのは、大戦時に木連が使用していたバッタのエンジンだ。
バッタは普段から思われているよりもより優秀な機体で、
高度なAIがインストールされたことによって発揮された実力は見直されている。

現在連合政府側の公安9課に所属する「タチコマ」とラピスの3人、
バウインの3人による教育が行われたことは記憶に新しい。

「行動開始信号を発信。アマテラスに強襲する。」
「了解。」とウインドウにて返答が帰った。



「臨検査察とは、連合宇宙軍は慎重ですな。」
「いえ、慎重になって人間は損をしない。
大胆と慎重は表裏一体です。我々が行うのは世界平静のための不断の努力でしょう。」



アマテラス司令部においてアキトとコロニー監督者アズマは会談を行っていた。
アマテラスは広大なコロニーで、全域をパワースーツ部隊の蜂と蟻が巡回してもしもの場合に備えている。

アズマからしてみれば、目の前の若造は障害といえた。
統合軍が設立されたのは、陸海空と宇宙の平和を維持するために軍を再編することと、
木連の軍人たちの受け入れ先という理由がある。



連合宇宙軍は地球圏内の平和維持ではあく、本来宇宙において武力を置いておくということで設立された側面がある。

アズマは連合軍から統合軍に配属された、半宇宙軍の筆頭に上げられる。


「大戦中は連合宇宙軍が地球圏の守護者たるとして息巻いていたが、今は影なく臨検査察の護衛ですか。
時代の移り変わりとはなんともいえまいな。」

アズマの皮肉ともとれる言葉に、アキトは動揺すらしない。

「命令は連合政府から火星慰撫部隊に直接下されています。

確かに連合宇宙軍の失態は目に余るものがありましたが、
過去を改善し、市民を守ろうとする姿勢をとっております。ご了承を。」

「フン、精々存在しない汚れを探してくれたまえ。」

「ご協力に感謝します。」
敬礼。そして始まりの合図が出る。


「コロニー外小惑星帯より、未確認の通信反応を検知。未確認物体であるかと思われます。」
「なんだと」


突如として沸いた敵かもしれない可能性の出現に、司令部があわただしくなる。
通信オペレーターが滞りなく艦船の誘導を行い、コロニーのジャンプは滞っていない。


「現在コロニー、艦船、ステルンクーゲルのデータリンクにて未確認物体を確認中。数は一です。」

「ほう、鉄壁に向かう一匹の虫か。」
アズマは意地の悪い笑みをうかべ、アキトを見やった。

アキトは特に状況にあわてる様子もなく、状況ウインドウに目を配る。
「我々がすることはありません、ね。」

アズマに一言確認し、彼が「そのとおりだ。」とうなずくのを承知した。


「我々慰撫部隊と査察団はコロニー内部の調査を行います。許可を。」

「許可しよう。」

アキトのつれていたパワースーツの集団と、白衣の3人がそれぞれに行動を開始する。

「それでは、査察を開始します。悪しからず。」
「もちろんだとも。」
味気もそっけもない会話で、二人は目を合わせ続けていた。
アズマの目線はアキトに彼の心の内を読み取れるほどに、単純明快。

お前たちが図っているのではないかね。と。