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「我々の寄航はヒサゴプラン臨検査察条項に基づく、正式なものです。」
「はい、承知しています。ホシノ少佐。」
「結構です。ならば、隠しごとはないように。これまでの2つのコロニーではそういった動きが見られています。
場合によっては臨検査察条項により統合軍にあらぬ嫌疑がかかることもご留意を。」
「はあ。」
ターミナルコロニーシラヒメの指令は、ルリが今まで見てきたターミナルコロニーの指令とは異なった感じだった。
これは外れか、とルリは内心嘆息した。
シラヒメの司令室を辞して、ホシノルリ連合宇宙軍少佐が艦長を勤めるナデシコBへと戻ることにする。
通路を歩いてすれ違う、見慣れた制服の軍人には敬礼を返され、彼女も返した。

ホシノルリ、元ナデシコAオペレーター。この世界で唯一のマシンチャイルド。
彼女はテンカワアキト、ミスマルユリカの死後に灰色の時間を過ごした。
空虚で自身の存在そのものが何なのかを思考する時間、暗く、明るいこともあった、一般人の日常。

だが、彼女は今宇宙に居る。連合宇宙軍少佐としての地位を得て、自身の存在を守るために。
いまだ正体の知れぬ敵に備えて。

「いやあ、退屈なもんですね。艦長。」
ルリの後ろについていたタカスギサブロウタ大尉が洩らす。今まで臨検査察として、軍人としての外面を出していたが、
二人だけになったからだろう。力を抜いたいつもどおりの声だった。
「臨検査察は、ナデシコBに与えられた最初の長期任務です。それに、大尉もご存知でしょう。今までの出来事に直面していれば。」
「まあ、前回、前々回を体験していればわからないでもないですけどね。」
苦笑を返すサブロウタに、ルリは答えない。だが、内心では同意していた。
「これは、私たちという存在で虎を隠す作戦なのでしょうね。小父様の。」
「ミスマル大将だけじゃないでしょう。連合宇宙軍総出の演出ですよ。」

ナデシコBの初の長期継続任務は試験戦艦の長期運用テストと、
連合宇宙軍のコロニー臨検査察という二つの任を与えられたものだった。
ヒサゴプランのターミナルコロニーを中継しながら、艦長として未熟なルリとクルーを実地で成長させようという試み。
そして、監督でもある連合宇宙軍火星慰撫部隊が随行しながら連合政府高官と技師を引き連れての長期航行プラン。

「運用習熟としての期間である一年半は、十分な期間です。補給される物資も納得の量。随行する火星慰撫部隊は気になる所ですか。」
「やつらも出来た人材が居ますよ。ナデシコBの監督って言っていますが、
武装はナデシコBよりも多い。そして、臨検査察中の査察を行うのはやっこさんだ。」
サブロウタは今まで9ヶ月を共にしてきた火星慰撫部隊の艦船である「ユーチャリス」を引き合いに出す。

火星で建造された、ナデシコBの姉妹艦「ユーチャリス」。
ネルガルの虎の子として建造されたナデシコBとは異なる、火星慰撫部隊が主体となって運用目的を明確に設定された戦艦だ。
ワンマンシップオペレーション、一人の人間がひとつの戦艦を、
最終的には艦隊すら一人の人間で扱えるようにする構想であるのに対して、
慰撫部隊のそれはそのワンマンシップだけではない、平均的な能力をもったオペレーター三人一組で艦を運用するものだった。
主体と成るのはオモイカネの発展思考ルーチンである銀(イン)が行い、通常オペレーターで運用される。

「その臨検査察が、一番の問題なんですけどね。」
「まあ、今までがああだったのだから、少佐も考える処がおありでしょうね。」
ルリが珍しくため息を洩らすのを横目に、サブロウタはニシシと笑い、初めての臨検査察を思い出す。


「では、ナデシコBの就航を祝って、乾杯するとしよう。」
ウインドウ越しに、ナデシコBのクルー達が見える。
いくつも展開したウインドウの先々に居る新兵や教官などの表情は、晴れの日に笑みが浮かんでいた。

当然、艦のトップになる大尉と少佐であるサブロウタとルリは、彼らの視線をウインドウ越しにも感じていた。
この二人は、しっかりやってくれるだろうかという不安と、やってくれという期待の混じったものだ。
ルリはそれを知識と想像で感じ、サブロウタは木連に居たときの、優人部隊でそれを知っている。

アキヤマゲンパチロウ准将が音頭を取って、ナデシコBでははじめての、ささやかな宴が開かれた。
ナデシコBは連合宇宙軍のサセボ港で建造された後、地球圏にて6ヶ月の演習を経て宇宙へと上った。
ネルガル月ドッグという、本来ならば連合宇宙軍が行き来するような寄航場所に停泊して、
一週間後に迎える初の長期任務に備えようという、景気付けだった。

「ホシノ少佐、これであなたも艦長と言うわけですね。」
マキビハリ少尉の言葉を聞いて、ルリはピンとこないまま、曖昧に頷いて見せた。
「実際に艦を動かし、任務を受けるのって本当に大変なことですが、がんばりましょうね。」
気合というか、やる気というべきか。ハリの言葉の端には自分に対する好奇心や、期待が見え隠れする。

そんなに晴れ晴れしいものばかりじゃない。

ルリの内心はそう考えていた。
ハリの言葉は任務が正当であるという前提から成っている。
しかし、軍とはそこまで正しいものではないと彼女は認識している。
悪であろうと、行わなくては成らなければ、しなくてはならない。上層部の思考を遂行する機械。

「そうやって、お前さんはプレッシャーをかけるんじゃねえよ。少佐、こいつの言葉は深く聞かなくていいですからねー。」
サブロウタの声に、ルリは内なる思考を停止する。
金髪に染め上げた髪は、前髪の人房が赤に染められている。

初めて出会ったときなど、この人が木連の優人部隊であったと想像だにしなかった。

「軍ってのは、親玉の思考を正しいってことにして動く働き蟻なんだよ。
もっとも、こっちにも自由意志があるからその場の対処は各自に任せられる
時もある。いや、命令をどう解釈するのかが問題なんだよ。で、ウチの女王アリにそんな気を今から背負わせるもんじゃないぜ。」

他のクルー同様にカップを片手に、ハリに論じてみせる。
彼は軍人経験がある。ルリのようなにかわ仕立ての軍人ではない、生粋の軍人。

だからこそ、「なんなんですか、もう。」と髪をくしゃくしゃにされたハリを嗜めて遊ぶ彼は、心強い味方だ。
「ハーリー君、ありがとう。サブロウタさんも。」
それぞれに言って、恐縮するハリと「そりゃどうも。」と返すサブロウタに笑みを浮かべた。
「ルリくん、サブロウタ。楽しんでるかね。」
声の主は、ルリやサブロウタにとって聞きなれたものだった。
アキヤマゲンパチロウ大佐、ナデシコBを長期任務に宛がった人。元木連の、サブロウタの上官だ。
「はい、楽しんでいるつもりです、アキヤマ大佐。
初めての事ばかりで、艦長という大役は肩に重いですが、皆さんと共に励みたく思います。」
「不詳タカスギサブロウタ、この場を楽しませていただいております。」
ハリは何を言うべきか決められず、赤面して緊張していた。ルリとサブロウタはアキヤマに返し、こちらを伺う視線
に視線を返した。ルリには考えのある、惑いが映され、サブロウタには決意が現れていた。

アキヤマは鷹揚に頷き、自身も持っているカップを掲げてみせる。
「大いに結構。そして、諸君らに見せたいものがあるのだ。」
来てくれと誘う上官に、拒否の言葉はない。ルリとサブロウタ、ハリの三人はアキヤマについてゆくことと成る。

「失礼するよ。」
喧騒のんかで、アキヤマの声は聞こえていない。ナデシコBの格納された区画の隣の、ドッグ監督室に4人はやってきた。
「イメージング開始。脳内記憶への接続を確認。」
「ジャンパーの共振イメージを確認。現在ボース粒子変換レベルサードへ移行。」
「メインシステム、銀のルーチンシステムへの干渉を確認。オペレーターのデータ入力終了。」
聞きなれない単語が混じりながら、ルリとサブロウタの2人は単語によって、何が行われているのかを察知する。

「准将、これは。」
「まあ、見てみれば解るさ。」
元木連の軍人であるアキヤマのおおらかさに、ルリはひやひやとしたものを感じた。
大人になるというのはこういうことなのか、と。

大人に、軍人になって彼女は法則の抜け道を見出して活路とする事態を想定している。
いや、そうしなければ自身の意思をまっとうできないならば、
それを行使すべきだとも考えている。

だが、ここまで大々的に行われている抜け道を目の前にして、連合宇宙軍の考えが読めないのだ。
自分をおとりにして、何を臨検査察で暴こうとしているのか。これからの世界を憂いでいる者たちの行動が。
「准将、お相手できなくて申し訳ない。」
「いや、承知の上さ。」
准将の相手をしたのは歳若い少佐だった。連合宇宙軍の制服とは異なるが、襟につけられている階級バッチでわかる。
髪の毛はダークブラウン。おそらくは日本人。タカスギ大尉と同じぐらいの年齢と思しい。

そして、彼が連れている少女もまた特徴的だ。黒髪を背中に流した少女だ。まっすぐのストレートではんく、いささか
天然パーマの入ったウェーブ。そして、きりりとした目元が容姿にしまりを与えている。
「まもなくですよ。ホシノ少佐とタカスギ大尉。ご覧ください。」
私たちに話しを振って、彼はウインドウの計器と監督室から眺めるドッグに視線を向けた。

「ここは、おとなしく観覧としゃれ込みましょうか。」
「ボクのことは知られてないんですね。」
がっくりとしているハーリ君をわき目に、サブロウタさん同様にドッグをみる。
「ボース粒子変換フェーズフィフス。ジャンプを確認しました。」
「銀によるオペレーションは正常。顕現化します。」
オペレーターの声に従い、ドッグ内に青の光芒が顕現する。
「ジャンプアウト。ご苦労、警戒態勢パターンCへ移行。各システムをチェックした後に、艦の機関停止を命ずる。」
監督室にいる、少佐が言う。

現れたのは白の鮮烈なる戦艦。レイピアのような細さはないが、しなやかな曲線を持つ諸刃に似た戦舟だった。


「ジャンプアウト確認。データ循環は80パーセント。銀の確実稼動を実証できました。」
「結構、アキヤマ准将とそのほかの方々にご意見を伺い、我々も各自検証に移ろう。」
ルリとアキヤマに視線が向けられる。二人とも宇宙連合軍にとって顔と言っていい存在だ。
知名度も一般の者に知られるほどの、広告担当。
「この結果によって、ついにオモイカネのボソンジャンプインターフェイスとしての活動が確認された。
諸君らの、これからの実験と築かれる健闘の証に期待する。」
アキヤマが鷹揚に頷き、ルリに首を振って言ってくれと示す。

「はじめまして、ホシノルリです。
此度の実験は、何も知らされていませんでした。ですが、知らされていなかったからこそ驚きました。
これからの実験によって、わたしのお友達がジャンプに関わるのかと思うと、不思議なくらいです。
本当に、ご苦労様です。」
仕事への労い半分、表情を表さないルリは内心どうしたものかと困っていた。
行って会釈して見せた後、各員がそれぞれの仕事に戻ってくれてありがたいと思ったくらいだ。

場所を移そうという提案で、ナデシコBに戻ることになった。ひとりの男性を連れて。
「で、いきなりだったがどうだった。今回の実験は。」
「実験の当事者が一人いるので言いにくいですが、驚きました。」
「全くですよ。」
アキヤマは本当に驚いた3人に笑って見せる。
「今回の実験はネルガルと火星慰撫部隊の共同研究の成果だよ。」
「火星、」
「慰撫」
「部隊」
ルリとサブロウタとハリがそれぞれに口にする。そうして、新興の部隊を思い出すのだ。
「火星慰撫部隊。ヒサゴプランにおける我々の対抗組織。故郷である火星を守るために集った人の集まりですよ。」
男性が答える。たった一人随行してきた実験のチーフだ。
「彼は慰撫部隊のトップになっているアキト・ヘミング少佐だ。」
「アキト」、何処かで懐かしいという感慨の浮かぶ名前だった。
ほんのりと自分の何処かが切なさを思い出す。

いけないものではない。けれど、これは思い出せば思い出すほどに悲しく、切なくなる父になるはずだった
青年の名前だった。



「少佐、ですか。」
ハリの疑問視するような声に、笑ってこたえるアキト。
「部隊の持つ力はそんなにも大きなものではありません。火星での復興と実験。
そして、今回の任務が私たちの大きな仕事になります。」
慰撫部隊の存在意義は、火星での活動にある。
本来ならば封鎖空間となった火星には、クリムゾングループの者と統合軍、連合宇宙軍のみが駐留を許されている。
しかも、それは中枢コロニーであるアマノイワトのみが建造物として認可された、戦艦の駐留だ。

だが、慰撫部隊の言う構想によってこのパワーバランスは崩されることとなった。
一本主義にクリムゾングループが研究を進めるのではなく、 ボソンジャンプ以外にも研究を進めて多角的に研究を行う。
そのためならば、他企業からの参入も認可すると言うのが慰撫部隊が従事している任務である。
「慰撫部隊の存在は、火星を独占していたクリムソングループと統合軍とは、異なる方向を進むものです。
ゆえに、此度のコロニー臨検査察条項制定において、
部隊はターミナルコロニーの正式運用確認の任務に選出されました。

そのために我々の所有するナデシコBの姉妹艦であるユーチャリスを改装し、活動することとなる。
けれども、単艦での行動はもしものときに、困る場合がある。」
アキトの説明を聞いて、納得できるものはある。だが、それを理解してなるほどと思いながらも疑問は出てくるものだった。
ルリからしてみれば、これがお膳立てされて慰撫部隊に回されたように見える。

サブロウタは統合軍への抑止力として機能することに納得し、成る程と理解した。
「つまり、我々には護衛艦として随行して欲しいということですか。」
「その通りです。」
置かれていたカップに口をつけて、肯定するアキト。
我々の舟は調査船として活動をするので、武力行使は極力避けなくてはならない立場なので。
ナデシコBの方々に護衛していただくと言うことで、行動を共にしていただきたい。」
もっとも、拒否権などない。
既に連合宇宙軍は彼の言うプランに乗っている。慰撫部隊設立から、コロニー査察任務という連合政府の
一端ともいえる仕事に就いた慰撫部隊の実力は計るることは出来ない。

「わかりました、ヘミング少佐。ナデシコBはコロニー査察団の護衛任務に付くことを拝命します。」
「そうして頂くとありがたい。
我々は行動を起こさなくては成らない。片方に勢力が突出することを連合政府も、我々軍人も望んでいない。」

「そうでしょ」という視線が向けられる。
ルリとサブロウタからしてみれば、それは尤もと思える考えだった。
統合軍とクリムゾングループの台頭、ボソンジャンプという不安要因が未だに不安足りえる情勢。
考えられないことは、起こりうる未来のビジョンだった。


「まったく、どこが護衛が必要な連中なんだか。」
サブロウタは慰撫部隊の存在を怪しんでいる。いや、最初からルリも同意見だろう。
「最初からもっと彼らのことを調べるべきでしたね。
もっとも、今現在で調べる限りは部隊の存在を示すものしか現れず。情報の気密は高い。」

ルリからしてみても、ネットワークに上がってくる慰撫部隊の内容は少ない。
火星の復興部隊。火星人によって構成された、再建されたユートピアコロニーを
駐屯地とする実験を主とする、火星の弔いと復興を行う者たち。

だが、連合宇宙軍のネットワークに上がるデータの数の少なさが、部隊の不思議さを物語っている。
都市ひとつを構成する事業を行っているのに、
連合宇宙軍は外縁を地下を整備したあとは、慰撫部隊が独自に再建を行っている。

「独断の許可をされた、復興部隊だというのに戦力は十分ですか。」
ルリはシラヒメの応接室にて施設概観ウインドウを見る。
サブロウタとルリの通された、臨検査察中の待機室だ。

ナデシコBに残ることも出来たが、挨拶の後に3度目の事件に立ち会うことにしたのは一重にサブロウタの提案だった。
「ハーリーのやつには重責をさせましたが、こうして内部で情報収集するのは正解でしたね。」
「ええ。」
ルリのIFSパターンが体の血管を通って明滅する。
手を添えるのは携帯IFSコネクタであり、繋がれるのはコロニーの中心端末のジャックだった。
「外部からのネットワークを遮断して、コロニーの情報を制圧する。
慰撫部隊の手口は外部の通信施設よりコネクトを不可能にさせて、現状を密封させていました。」
ウインドウにはコロニーを慰撫部隊のシンボルマークである青の鳥が翼で囲む画像が映し出される。

「それでも、内部からは干渉可能。というわけですか。」
「はい。」
サブロウタに答えて、ルリはIFSに集中する。
慰撫部隊の行動にはどうしても腑に落ちないことがルリにはあったからだ。
懸念は実際に内部に潜入して探索した今だからこそ、高まっている。
「やはり、慰撫部隊にはマシンチャイルドがいるのかもしれません。」
「艦長以外のマシンチャイルドですか。純正の、能力を突き詰めた子供が。」

慰撫部隊の戦力そのものは、ナデシコBよりも重武装といえる。
ユーチャリスはナデシコBの姉妹艦であり、同様に試験艦であった。
共にエンジンスペックは同じ二基の相転位エンジンと、二基の核パルスエンジン。
だが、武装や建造の理念がとことん異なる。
ナデシコBが特殊な素質をベースに考えられた電子偵察艦として建造されたのならば、
ユーチャリスは次世代のボソンジャプを懸念して建造されている。

共にオモイカネ級AIを搭載しているが、ナデシコBはルリとハリのマシンチャイルドが。
ユーチャリスは3人のオペレーターが操作を行う。
エステバリスに対して、新型の高軌道モジュールFRXとペアのエステバリスが。

一方向にしか発射できないのブラビティーブラスト砲門一機と、多少の位置調整が可能な砲門4機。
ロケットランチャーに対して、バッタ30機。

ナデシコBとユーチャリスを比較してみると、圧倒的にユーチャリスが実践を考慮した装備だった。
どれもこれもが、これからを考えさせるスペックである。
だが、その操縦とオペレーションに関してはどうにもぬぐいきれない違和感があった。

「3人のオペレーターによるオモイカネのオペレーションは不可能ではありません。
ナデシコBにデータ蒐集と観測オペレーターが乗艦していますが、
彼らは私の行う処理プロセスの解明と操艦のデータを収集しています。

それと同時に、彼ら自身はプロセスをソフトウェアとして開発し、オモイカネを操縦できる。」
「だけれども、それにはAIの成熟とオペレーターに処理を許すまでに成長させる親が必要ってことっすか。」
サブロウタはルリの曖昧な答えに曖昧に応じる。

「大筋にあっています。正解ですね。」
ルリは応じてIFS端末で到達するビジュアルを発見する。
「画面表示します。」
ルリの意識が漂白された空間に到達する。
シラヒメを占拠したのは水のビジョン。純粋である、気泡が延々と底より浮かび上がるイメージ。
だが、それが途切れてネットワークとなった泡の軌跡が源、底に到達したのだ。


「あなたは、誰ですか。」
白の空間が広がる。どこが地上でどこが空なのかはない。ただ、白い。
「誰。」
一人、銀髪を結い上げた紫の瞳の少女。簡単なワンピースを着ている、意思の色は見当たらない。
「私が訪ねているのです。マシンチャイルドの子。」
ルリはあえて自身を指す単語と共に彼女に問う。
目の前に現れたイメージは、人間ではない。オモイカネ級AIである銀(イン)と呼ばれる存在だ。
「あなたの親か、親友を連れてきなさい。」
「親、友達。いない。」
答える声は淡々と、一瞬のノイズがイメージに掛かる。
覗き見たルリは、わずかなイメージの決壊が問いの答えを見せてくれるなどと、期待したわけではない。
だが、見なくてはいけない、自分への答えがそれだと確信して。
「私しか、」
銀に朱が混じりいる。紫の瞳は輝きの金色を宿す。
矮躯とドレスはそのままに、結い上げた髪はまっすぐに流れた。
「いない。」

桃色の髪の毛を持ったマシンチャイルドが現れ、次の瞬間に消え去った。


「大丈夫ですか、艦長。」
ルリが青ざめて応接室のソファーに倒れるのをサブロウタは見守った。
近寄って倒れるのを留めることは出来たが、ルリが片手でそれを制したのだ。
「ええ、ちょっと、きついですね。」
今まで接続していたネットワークからいきなり締め出されたのだ。
イメージの水に相応しく、深海に適応していた体が現実を受け入れない不安感があった。


「慰撫部隊のマシンチャイルドは、そんなにも強敵なんですか。」
サブロウタは聞かないわけには行かない。
ルリの実力は彼も良く知っているし、ナデシコBに乗り始めて3ヶ月と言う時間が問わずにはいられない要因となった。

「強敵。いえ、敵とも思っていないでしょうね。
私を障害としてネットワークから押し出しました。」
ネットワークに意識をダイブさせるというのは、肉体をネットワークの一部とすることだ。
ボソンジャンプにおける物質の移動が
このネットワーク観を必要とすると説いた、今は亡き女性をルリは思い出す。

もっとも、本命が出てくる前に締め出されると言うことが、
あっちにマシンチャイルドに相当する存在がいる証拠ですね。

「そんな実力者、ですか。お偉いさんは艦長を人間的に、人間としても大切にしたい。
やはりというべきか敵ではないでしょうね。」
サブロウタの意見は確かに道理だ。
連合宇宙軍と連合政府が関わってくる黒幕には、こちらに隠さなくては成らないこともある。
世界に流布する秩序を保護することは、世界の本当を艤装しなくてはならないときがあるのだ。
「解っています。だからこそ、私は隠された真実を知っておきたいと思うんです。」

解っている。おじ様も、ナデシコBも私を守ろうとしている。

警報が鳴り響く。警告が表示される。
耳を劈く音に眉を顰めた二人の軍人の前に、コロニーの警告メッセージがウインドウ表示される。
コロニーの自壊決議の賛成決議。
コロニーを形成する構造体ネットワークの崩壊と、主要パーツの分離。コロニーの自爆を意味することだ。

「そこまで、隠したいことがあるのですね。」
「そのようで。」
おどけるサブロウタにルリはきつい目のままで頷く。
今起こっている出来事は、彼女が経験する3回目のコロニー自壊という、ありえない現実だった。

「警護します。付いてきてください。」
応接室をノックして訪れたのは、火星慰撫部隊のパワードスーツ部隊だった。

部隊はユーチャリスに三組所属している。
コロニー査察時の占拠もしくは制圧を行う蟻と、査察団のメンバーを守る蜂。
そして、武装集団に対する戦闘を行う兜。

ルリとサブロウタを警護しながら蜂は、コロニー内をドッグ区画まで警護する。
「結構な武力ですね。ユーチャリスの人員は。」
「ナデシコB乗員の警護は、こちらで行えるようになっている。
電子世界での警備は少佐の本分で、ナデシコBの本領。ですからね。」
ただ一人先頭を切る兜の隊員も言う。
「少佐に対して、ちょっと口わるくない。」
「俺が連合宇宙軍に正式所属しているか、どうかでそれは決まるな。」
ルリとサブロウタ、どちらにも聞き覚えがあるかないかの声で彼は答えた。

「まあ。」
何も持っていない徒手を握り、開く。体の熱は次元より沸き出でる。軽めに体を跳躍させ簡単なフットワーク。
「敵だ。」
編み笠の男が二人立ちはだかる。暗い色の外套に、殺気などはない醒めた目。
「やあ。」
兜の男が旧知である、じっさいにそうだが、ように発する。
「待ってた。」

兜が駆ける。速さは常人のものではなく、しかして相手も常人ではなかった。
サブロウタからしてみれば、常人の運動能力は優人部隊のものには到底及ばな領域にある。
それもそのはずだ。身体の成長や発達の仕方が遺伝子と成長時の育成方法によって、調整されている。
もともとが艦を進入、制圧して戦う百年前の戦い方を木連は想定に入れ。
闘いを優位にさせるための一端として優人部隊は発足された。

実験の成功体、木連の明るい未来を象徴するために。

小太刀と徒手の編み笠二人の男に対して、兜は肉弾戦を挑む。
フットワークは軽い、近接戦闘が主体になって腕と脚、手のひらを使って相手に挑む。
「大尉は、少佐の側にいてください。」
蜂の一人はひっそりとサブロウタに告げる。無言で首を横に振り、闘いに参戦した。

「大尉。」という静止の声は彼に届かない。
チャンスだった。ルリと共に検討した後に起きた事態は3回目。

ユーチャリスと敵の勢力の力の把握、サブロウタがまだ明かしていない。
月臣と連合宇宙軍の暗部が起こしている出来事を少しでも把握できる。

二人を相手に、兜は善戦していると言っていい。だが、体は正直に戦い慣れていない様子を見せていた。
「混ぜてくれ。」
サブロウタは開口一撃。やおら身構える前の編み笠に拳を叩き込んだ。
乱戦に持ち込まれることを考慮し、受身を取られるがサブロウタには動きが見えていた。

木連式柔に通ずる動きだ。受身をとった後の挙動は、免許皆伝に至ったものにとって推測すらできる。
倒れてからすぐさまに体勢を立て直す挙動を脚で捌く。再び倒れる相手を堅めに入るが、弾丸が一撃打ち込まれた。
「麻酔だ。どいてくれ。」
もう一人の小太刀を鋼鉄のガンドレットで捌きながら、兜は一瞥をくれた。

男に対して、兜は自分の鴉のようなヘルメットの目元を解除して視線をやる。
「あんたの顔は覚えがあるんだが、この顔に覚えはあるか。」
目元と前髪がわずかに露出した姿に、編み笠の男は思い起こされる男がいた。

研究施設を顔を露出したままで襲撃する、かつて実験体だった男。
「そうか、汝。」
「北辰に伝えろ。お前の閣下が首を洗うまえに潰してやると。」
「気に食わないが、承知した。」
遁走を開始する相手に追いすがる必要はない。

火星慰撫部隊としての宣戦布告だ。伝えてもらわなければならない。


サブロウタは木連の鷹派が事件の裏側にいると思っていた。
だが、彼らを手引きしていた存在は杳としてしれなかった。
手引きしている存在、ルリを襲撃した黒幕の存在がようやく姿をみせた。

ヒサゴプラン、クリムゾングループと統合軍だ。
「まったく、困ったもんだぜ。」
横に佇む兜は、解除していた目元を再び閉じる。
目元は何処かで見たことのある顔だった。最近じゃないが、昔でもない。ほんの少し前に・・・

誰だったかねえ。と考えながら思い当たる節はまったく浮かばない。
「後で警備カメラから画像もらって、検証しますか。」
小さくつぶやいて、警備の蟻に連れられたルリが向かった方向へと踵を返す。
「あんたは来ないのか。」
兜に振り返って問う。
「ああ、俺もいくが、大尉。」
「なんだ。」
「力を貸してくれ。」
「まあ、いいけど。」
バイザーの視線を見て、サブロウタは少々げんなりする。

転がした編み笠の男が一人、無念そうな顔でうなされていた。


「まあ、無事に戻れて結構でした。っと。」
サブロウタは担いでいた男をナデシコBの倉庫区画にある抑留所に突っ込んでため息をついた。
肉体強化の施された彼からして、男を運んでここまで連れてくるのは苦ではなかった。

ただ一人、蜂の装備を身につけた女性が一人ついてきていただけ。
それがサブロウタの警戒心を解かない理由だった。兜である男はこの女性をひとり随行によこしたのだ。
「私は襲撃者の監視を行います。大尉はブリッジへ。」
「早期退散した艦長に顔見せないとねえ。でも、君一人で大丈夫。」
軽口は酒場で女性を口説くときに覚えたものだ。

「いえ、腕っ節は自身があります。ヘミング少佐にも格闘に関してはお墨付きをもらっていますので。」
「さよで。」
サブロウタは彼女の言葉に苦笑するしかない。
サブロウタがアキトと手合わせ願った限り、彼は雑ではあるものの木連の人間も目を見張る動きをみせた。
ならば、彼の眼鏡に適うならば実力者だろう。
「じゃあ。」
ブリッジへとサブロウタは向かう。

一人、蜂の部隊エンブレムのついたアーマーの女性は残される。



「さて、少しお話でもしようか。」
隔壁は彼女のIDによって解放され、内部で意識を失った男の姿がある。
「男性のIFS補助脳ネットワークを移植された、ある女の、は、な、し。」
笑いながら、口調は男のもので。
行動は男の縛り上げ拘束と、轡、脳内の思考読み取りの電極パッドを取り付けるものだった。