「我々の寄航はヒサゴプラン臨検査察条項に基づく、正式なものです。」
「はい、承知しています。ホシノ少佐。」
「結構です。ならば、隠しごとはないように。これまでの2つのコロニーではそういった動きが見られています。
場合によっては臨検査察条項により統合軍にあらぬ嫌疑がかかることもご留意を。」
「はあ。」
ターミナルコロニーシラヒメの指令は、ルリが今まで見てきたターミナルコロニーの指令とは異なった感じだった。
これは外れか、とルリは内心嘆息した。
シラヒメの司令室を辞して、ホシノルリ連合宇宙軍少佐が艦長を勤めるナデシコBへと戻ることにする。
通路を歩いてすれ違う、見慣れた制服の軍人には敬礼を返され、彼女も返した。
ホシノルリ、元ナデシコAオペレーター。この世界で唯一のマシンチャイルド。
彼女はテンカワアキト、ミスマルユリカの死後に灰色の時間を過ごした。
空虚で自身の存在そのものが何なのかを思考する時間、暗く、明るいこともあった、一般人の日常。
だが、彼女は今宇宙に居る。連合宇宙軍少佐としての地位を得て、自身の存在を守るために。
いまだ正体の知れぬ敵に備えて。
「いやあ、退屈なもんですね。艦長。」
ルリの後ろについていたタカスギサブロウタ大尉が洩らす。今まで臨検査察として、軍人としての外面を出していたが、
二人だけになったからだろう。力を抜いたいつもどおりの声だった。
「臨検査察は、ナデシコBに与えられた最初の長期任務です。それに、大尉もご存知でしょう。今までの出来事に直面していれば。」
「まあ、前回、前々回を体験していればわからないでもないですけどね。」
苦笑を返すサブロウタに、ルリは答えない。だが、内心では同意していた。
「これは、私たちという存在で虎を隠す作戦なのでしょうね。小父様の。」
「ミスマル大将だけじゃないでしょう。連合宇宙軍総出の演出ですよ。」
ナデシコBの初の長期継続任務は試験戦艦の長期運用テストと、
連合宇宙軍のコロニー臨検査察という二つの任を与えられたものだった。
ヒサゴプランのターミナルコロニーを中継しながら、艦長として未熟なルリとクルーを実地で成長させようという試み。
そして、監督でもある連合宇宙軍火星慰撫部隊が随行しながら連合政府高官と技師を引き連れての長期航行プラン。
「運用習熟としての期間である一年半は、十分な期間です。補給される物資も納得の量。随行する火星慰撫部隊は気になる所ですか。」
「やつらも出来た人材が居ますよ。ナデシコBの監督って言っていますが、
武装はナデシコBよりも多い。そして、臨検査察中の査察を行うのはやっこさんだ。」
サブロウタは今まで9ヶ月を共にしてきた火星慰撫部隊の艦船である「ユーチャリス」を引き合いに出す。
火星で建造された、ナデシコBの姉妹艦「ユーチャリス」。
ネルガルの虎の子として建造されたナデシコBとは異なる、火星慰撫部隊が主体となって運用目的を明確に設定された戦艦だ。
ワンマンシップオペレーション、一人の人間がひとつの戦艦を、
最終的には艦隊すら一人の人間で扱えるようにする構想であるのに対して、
慰撫部隊のそれはそのワンマンシップだけではない、平均的な能力をもったオペレーター三人一組で艦を運用するものだった。
主体と成るのはオモイカネの発展思考ルーチンである銀(イン)が行い、通常オペレーターで運用される。
「その臨検査察が、一番の問題なんですけどね。」
「まあ、今までがああだったのだから、少佐も考える処がおありでしょうね。」
ルリが珍しくため息を洩らすのを横目に、サブロウタはニシシと笑い、初めての臨検査察を思い出す。
「では、ナデシコBの就航を祝って、乾杯するとしよう。」
ウインドウ越しに、ナデシコBのクルー達が見える。
いくつも展開したウインドウの先々に居る新兵や教官などの表情は、晴れの日に笑みが浮かんでいた。
当然、艦のトップになる大尉と少佐であるサブロウタとルリは、彼らの視線をウインドウ越しにも感じていた。
この二人は、しっかりやってくれるだろうかという不安と、やってくれという期待の混じったものだ。
ルリはそれを知識と想像で感じ、サブロウタは木連に居たときの、優人部隊でそれを知っている。
アキヤマゲンパチロウ准将が音頭を取って、ナデシコBでははじめての、ささやかな宴が開かれた。
ナデシコBは連合宇宙軍のサセボ港で建造された後、地球圏にて6ヶ月の演習を経て宇宙へと上った。
ネルガル月ドッグという、本来ならば連合宇宙軍が行き来するような寄航場所に停泊して、
一週間後に迎える初の長期任務に備えようという、景気付けだった。
「ホシノ少佐、これであなたも艦長と言うわけですね。」
マキビハリ少尉の言葉を聞いて、ルリはピンとこないまま、曖昧に頷いて見せた。
「実際に艦を動かし、任務を受けるのって本当に大変なことですが、がんばりましょうね。」
気合というか、やる気というべきか。ハリの言葉の端には自分に対する好奇心や、期待が見え隠れする。
そんなに晴れ晴れしいものばかりじゃない。
ルリの内心はそう考えていた。
ハリの言葉は任務が正当であるという前提から成っている。
しかし、軍とはそこまで正しいものではないと彼女は認識している。
悪であろうと、行わなくては成らなければ、しなくてはならない。上層部の思考を遂行する機械。
「そうやって、お前さんはプレッシャーをかけるんじゃねえよ。少佐、こいつの言葉は深く聞かなくていいですからねー。」
サブロウタの声に、ルリは内なる思考を停止する。
金髪に染め上げた髪は、前髪の人房が赤に染められている。
初めて出会ったときなど、この人が木連の優人部隊であったと想像だにしなかった。
「軍ってのは、親玉の思考を正しいってことにして動く働き蟻なんだよ。
もっとも、こっちにも自由意志があるからその場の対処は各自に任せられる
時もある。いや、命令をどう解釈するのかが問題なんだよ。で、ウチの女王アリにそんな気を今から背負わせるもんじゃないぜ。」
他のクルー同様にカップを片手に、ハリに論じてみせる。
彼は軍人経験がある。ルリのようなにかわ仕立ての軍人ではない、生粋の軍人。
だからこそ、「なんなんですか、もう。」と髪をくしゃくしゃにされたハリを嗜めて遊ぶ彼は、心強い味方だ。
「ハーリー君、ありがとう。サブロウタさんも。」
それぞれに言って、恐縮するハリと「そりゃどうも。」と返すサブロウタに笑みを浮かべた。
「ルリくん、サブロウタ。楽しんでるかね。」
声の主は、ルリやサブロウタにとって聞きなれたものだった。
アキヤマゲンパチロウ大佐、ナデシコBを長期任務に宛がった人。元木連の、サブロウタの上官だ。
「はい、楽しんでいるつもりです、アキヤマ大佐。
初めての事ばかりで、艦長という大役は肩に重いですが、皆さんと共に励みたく思います。」
「不詳タカスギサブロウタ、この場を楽しませていただいております。」
ハリは何を言うべきか決められず、赤面して緊張していた。ルリとサブロウタはアキヤマに返し、こちらを伺う視線
に視線を返した。ルリには考えのある、惑いが映され、サブロウタには決意が現れていた。
アキヤマは鷹揚に頷き、自身も持っているカップを掲げてみせる。
「大いに結構。そして、諸君らに見せたいものがあるのだ。」
来てくれと誘う上官に、拒否の言葉はない。ルリとサブロウタ、ハリの三人はアキヤマについてゆくことと成る。
「失礼するよ。」
喧騒のんかで、アキヤマの声は聞こえていない。ナデシコBの格納された区画の隣の、ドッグ監督室に4人はやってきた。
「イメージング開始。脳内記憶への接続を確認。」
「ジャンパーの共振イメージを確認。現在ボース粒子変換レベルサードへ移行。」
「メインシステム、銀のルーチンシステムへの干渉を確認。オペレーターのデータ入力終了。」
聞きなれない単語が混じりながら、ルリとサブロウタの2人は単語によって、何が行われているのかを察知する。
「准将、これは。」
「まあ、見てみれば解るさ。」
元木連の軍人であるアキヤマのおおらかさに、ルリはひやひやとしたものを感じた。
大人になるというのはこういうことなのか、と。
大人に、軍人になって彼女は法則の抜け道を見出して活路とする事態を想定している。
いや、そうしなければ自身の意思をまっとうできないならば、
それを行使すべきだとも考えている。
だが、ここまで大々的に行われている抜け道を目の前にして、連合宇宙軍の考えが読めないのだ。
自分をおとりにして、何を臨検査察で暴こうとしているのか。これからの世界を憂いでいる者たちの行動が。
「准将、お相手できなくて申し訳ない。」
「いや、承知の上さ。」
准将の相手をしたのは歳若い少佐だった。連合宇宙軍の制服とは異なるが、襟につけられている階級バッチでわかる。
髪の毛はダークブラウン。おそらくは日本人。タカスギ大尉と同じぐらいの年齢と思しい。
そして、彼が連れている少女もまた特徴的だ。黒髪を背中に流した少女だ。まっすぐのストレートではんく、いささか
天然パーマの入ったウェーブ。そして、きりりとした目元が容姿にしまりを与えている。
「まもなくですよ。ホシノ少佐とタカスギ大尉。ご覧ください。」
私たちに話しを振って、彼はウインドウの計器と監督室から眺めるドッグに視線を向けた。
「ここは、おとなしく観覧としゃれ込みましょうか。」
「ボクのことは知られてないんですね。」
がっくりとしているハーリ君をわき目に、サブロウタさん同様にドッグをみる。
「ボース粒子変換フェーズフィフス。ジャンプを確認しました。」
「銀によるオペレーションは正常。顕現化します。」
オペレーターの声に従い、ドッグ内に青の光芒が顕現する。
「ジャンプアウト。ご苦労、警戒態勢パターンCへ移行。各システムをチェックした後に、艦の機関停止を命ずる。」
監督室にいる、少佐が言う。
現れたのは白の鮮烈なる戦艦。レイピアのような細さはないが、しなやかな曲線を持つ諸刃に似た戦舟だった。
「ジャンプアウト確認。データ循環は80パーセント。銀の確実稼動を実証できました。」
「結構、アキヤマ准将とそのほかの方々にご意見を伺い、我々も各自検証に移ろう。」
ルリとアキヤマに視線が向けられる。二人とも宇宙連合軍にとって顔と言っていい存在だ。
知名度も一般の者に知られるほどの、広告担当。
「この結果によって、ついにオモイカネのボソンジャンプインターフェイスとしての活動が確認された。
諸君らの、これからの実験と築かれる健闘の証に期待する。」
アキヤマが鷹揚に頷き、ルリに首を振って言ってくれと示す。
「はじめまして、ホシノルリです。
此度の実験は、何も知らされていませんでした。ですが、知らされていなかったからこそ驚きました。
これからの実験によって、わたしのお友達がジャンプに関わるのかと思うと、不思議なくらいです。
本当に、ご苦労様です。」
仕事への労い半分、表情を表さないルリは内心どうしたものかと困っていた。
行って会釈して見せた後、各員がそれぞれの仕事に戻ってくれてありがたいと思ったくらいだ。
場所を移そうという提案で、ナデシコBに戻ることになった。ひとりの男性を連れて。
「で、いきなりだったがどうだった。今回の実験は。」
「実験の当事者が一人いるので言いにくいですが、驚きました。」
「全くですよ。」
アキヤマは本当に驚いた3人に笑って見せる。
「今回の実験はネルガルと火星慰撫部隊の共同研究の成果だよ。」
「火星、」
「慰撫」
「部隊」
ルリとサブロウタとハリがそれぞれに口にする。そうして、新興の部隊を思い出すのだ。
「火星慰撫部隊。ヒサゴプランにおける我々の対抗組織。故郷である火星を守るために集った人の集まりですよ。」
男性が答える。たった一人随行してきた実験のチーフだ。
「彼は慰撫部隊のトップになっているアキト・ヘミング少佐だ。」
「アキト」、何処かで懐かしいという感慨の浮かぶ名前だった。
ほんのりと自分の何処かが切なさを思い出す。
いけないものではない。けれど、これは思い出せば思い出すほどに悲しく、切なくなる父になるはずだった
青年の名前だった。
「少佐、ですか。」
ハリの疑問視するような声に、笑ってこたえるアキト。
「部隊の持つ力はそんなにも大きなものではありません。火星での復興と実験。
そして、今回の任務が私たちの大きな仕事になります。」
慰撫部隊の存在意義は、火星での活動にある。
本来ならば封鎖空間となった火星には、クリムゾングループの者と統合軍、連合宇宙軍のみが駐留を許されている。
しかも、それは中枢コロニーであるアマノイワトのみが建造物として認可された、戦艦の駐留だ。
だが、慰撫部隊の言う構想によってこのパワーバランスは崩されることとなった。
一本主義にクリムゾングループが研究を進めるのではなく、
ボソンジャンプ以外にも研究を進めて多角的に研究を行う。
そのためならば、他企業からの参入も認可すると言うのが慰撫部隊が従事している任務である。
「慰撫部隊の存在は、火星を独占していたクリムソングループと統合軍とは、異なる方向を進むものです。
ゆえに、此度のコロニー臨検査察条項制定において、
部隊はターミナルコロニーの正式運用確認の任務に選出されました。
そのために我々の所有するナデシコBの姉妹艦であるユーチャリスを改装し、活動することとなる。
けれども、単艦での行動はもしものときに、困る場合がある。」
アキトの説明を聞いて、納得できるものはある。だが、それを理解してなるほどと思いながらも疑問は出てくるものだった。
ルリからしてみれば、これがお膳立てされて慰撫部隊に回されたように見える。
サブロウタは統合軍への抑止力として機能することに納得し、成る程と理解した。
「つまり、我々には護衛艦として随行して欲しいということですか。」
「その通りです。」
置かれていたカップに口をつけて、肯定するアキト。
我々の舟は調査船として活動をするので、武力行使は極力避けなくてはならない立場なので。
ナデシコBの方々に護衛していただくと言うことで、行動を共にしていただきたい。」
もっとも、拒否権などない。
既に連合宇宙軍は彼の言うプランに乗っている。慰撫部隊設立から、コロニー査察任務という連合政府の
一端ともいえる仕事に就いた慰撫部隊の実力は計るることは出来ない。
「わかりました、ヘミング少佐。ナデシコBはコロニー査察団の護衛任務に付くことを拝命します。」
「そうして頂くとありがたい。
我々は行動を起こさなくては成らない。片方に勢力が突出することを連合政府も、我々軍人も望んでいない。」
「そうでしょ」という視線が向けられる。
ルリとサブロウタからしてみれば、それは尤もと思える考えだった。
統合軍とクリムゾングループの台頭、ボソンジャンプという不安要因が未だに不安足りえる情勢。
考えられないことは、起こりうる未来のビジョンだった。